ショパン:マズルカ 第5番 変ロ長調 作品7-1

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ショパン作曲:マズルカ 第5番 変ロ長調 作品7-1 by Tomoro




Chopin : Mazurka No.5 in B♭ major Op.7-1 /Tomoro
● 作曲年:1832年
● 出版年:1832年
● 献呈者:ポール・エミール・ジョーンズ氏


 【ジャンル解説】
マズルカは、ショパンの祖国ポーランドの民族舞踏の一種です。
中部マゾフシェ地方の快活なマズル、
西部クヤヴィ地方のゆったりしたクヤヴィアク、
南部シロンスク地方の急速なオベレク、
の三つに分類され、主に農民によって踊り継がれてきました。

ショパンのマズルカは、それら三つの要素を巧みに融合させながら、独創的で芸術性の高い作品に仕上げられています。


 【作品解説】
《マズルカ 第5番》は、《5つのマズルカ 作品7》として出版された中の第1曲目です。
この曲はショパンがパリに渡った翌年の1832年(※当時23歳)に作曲され、その年にすぐ出版されています。
なお、最新のナショナル・エディション(エキエル版)では、この曲は第6番になっています(作品番号は同じ)。今まで《第9番 ハ長調 作品7-5》だった曲が、《第5番 作品6-5》の位置(作品番号)に変更されているからです。これは、フランス版初版の編集に則ったものだそうで、現在一般的になっているのはドイツ版による編集で、フランス版初版では《5つのマズルカ 作品6》と《4つのマズルカ 作品7》になっており、要するにショパン自身がパリで直接出版者と交渉した際の編集がそうだったのだから、これこそがショパンの意思だったはずだと、エキエルはそう解釈したのだそうです。

ただ、この《変ロ長調 作品7-1》は、ショパンのマズルカの中でも最も有名な曲だけに、それを今更《第5番》から《第6番》に変えろと言われても、ちょっとイメージ的に無理があるようにも思えるのですが…。


さて、前にも書きましたが、ロシア帝国の参事官にして音楽愛好家のヴィルヘルム・フォン・レンツ(Wilhelm von Lenz 1809-1883)が、1842年のパリでショパンに師事するためリストに仲介を求めた時、彼はリストにショパンのマズルカをレッスンしてもらっていて、その中にこのマズルカも含まれていました。
その際レンツはリストから、ショパンが喜んでレッスンを引き受けてくれるような“弾き方”を伝授されます(※その詳細については《第6番 イ短調》の記事で)。と言うのも、リストによるとショパンは、レッスンはもちろんの事、それ以前に彼に会う事自体が非常に難しいと言われていたからです。
とにかくレンツは、リストの紹介状と、彼からアドバイスされた様々な秘策を携えてショパンの許を訪れます。
そして何とかショパンに会う事が叶ったレンツは、そこで、ショパンからそのマズルカを“聴かせてください”と言われ、次のようなやり取りをしたそうです。
「…(前略)…私は目を上げて彼を見返すのも憚られ、意を決してマズルカ変ロ長調作品7の1を弾き始めた。リストから異稿(ヴァリアンテ)があることも教わった、典型的なマズルカだ。
我ながら上出来で、二オクターブにわたる跳躍は今までになく巧くいった。ピアノも、自分のエラールよりずっと反応がよかった。ショパンは親しみを込めて、こう囁いた。
“あのパッセージは貴方の考えじゃないでしょう。リストが教えてくれたのですね――あの人ときたら、あたりかまわず自分の爪あとを残したがるのですから。彼は数千の聴衆を前に弾くけれど、私はたった一人のために弾くことすら滅多にありません! よろしい。レッスンしてさしあげましょう。でも週に二回だけですよ。私にはそれが精一杯のところです。何しろ四十五分の時間を取るのは、大変難しいものですから” …(後略)…」
(※ヴィルヘルム・フォン・レンツ著/中野真帆子訳『パリのヴィルトゥオーゾたち ショパンとリストの時代』より)

ちなみに、この時レンツが弾いた異稿は、彼の回想録に掲載されている譜例によると次のようになっています。




ちょっと和声上おかしな感じに聴こえなくもないですが、左手の伴奏は特に記されていないのでそのままのようです。

ちなみに、ナショナル・エディションではこれが次のようになっています。




こちらの方が多少違和感が軽減されているような感じがしないでもないですが、いずれにせよ、私にはどちらも微妙な感じがするのですがどうでしょう?

これは私の想像ですが、おそらくリストは、ショパンがこのマズルカをアドリブ的にこんな感じで変奏していたのをどこかで聴いて覚えていて、それをジョークのつもりでわざとちょっと変えてレンツに教え、気難しいショパンの心をほぐしてやろうと考えたのではないでしょうか。
いずれにせよ、それがまんまと功を奏して、無事レンツはショパンのレッスンを受けられるようになった訳です。

そのレッスンの中で、ショパンは自分のマズルカ演奏について次のように語ったそうです。
「…(前略)…私がマズルカを弾くとき、自分の演奏に満足したことがあるとお思いですか? とんでもない! そんなことは一度か二度、会場の熱い雰囲気に勇気づけられた年間演奏会であるかないかです。そういう時にこそ私の演奏を聴いてほしいものですね。でもそれは年に一度のこと。後はすべて練習なのです!…(後略)…」
(※ヴィルヘルム・フォン・レンツ著/中野真帆子訳『パリのヴィルトゥオーゾたち ショパンとリストの時代』より)


この言葉を裏付けるような事実として、グラスゴー音楽家協会会長のユリウス・セリグマンが、1848年9月27日にグラスゴーで開かれたショパンの演奏会について次のような証言を残しています。
「かの有名なマズルカ変ロ長調(作品7-1)は、アンコールを求められました。ショパンはもう一度演奏してくれましたが、今度は最初とはまったく違うニュアンスをつけたのです。」
(※ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著/米谷治郎 中島弘二訳『弟子から見たショパン』(音楽之友社)より)


同じ曲をアンコールで求められるなんて事自体が、現在ではちょっと考えられない事ですよね。それほど今のクラシック・コンサートは自由度の低い格式ばったものになっていると言う事でもあるのでしょうか。
まあ、もっともロックやポップスの世界でも、昔のライブハウスならいざ知らず、コンサートで同じ曲を二度やるなんて事はまずしませんし、アンコール用の曲も事前に用意しちゃっていますけどね。


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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