ショパン:マズルカ 第8番 変イ長調 作品7-4

♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:マズルカ 第8番 変イ長調 作品7-4 by Tomoro




Chopin : Mazurka No.8 in A♭ major Op.7-4 /Tomoro
● 作曲年:1832年
● 出版年:1832年
● 献呈者:ポール・エミール・ジョーンズ氏


 【ジャンル解説】
マズルカは、ショパンの祖国ポーランドの民族舞踏の一種です。
中部マゾフシェ地方の快活なマズル、
西部クヤヴィ地方のゆったりしたクヤヴィアク、
南部シロンスク地方の急速なオベレク、
の三つに分類され、主に農民によって踊り継がれてきました。

ショパンのマズルカは、それら三つの要素を巧みに融合させながら、独創的で芸術性の高い作品に仕上げられています。


 【作品解説】
《マズルカ 第8番》は、《5つのマズルカ 作品7》として出版された中の第4曲目です。
なお、最新のナショナル・エディション(エキエル版)では、この曲は第9番になっています(作品番号は同じ)。今まで《第9番 ハ長調 作品7-5》だった曲が、《第5番 作品6-5》の位置(作品番号)に変更されているからです。
これは、フランス版初版の編集に則ったものだそうで、現在一般的になっているのはドイツ版による編集で、フランス版初版では《5つのマズルカ 作品6》と《4つのマズルカ 作品7》になっており、要するにショパン自身がパリで直接出版者と交渉した際の編集がそうだったのだから、これこそがショパンの意思だったはずだと、エキエルはそう解釈したのだそうです。


このマズルカは、ショパンがワルシャワ時代の1824年(※当時15歳)に書いたものを、パリ時代の1832年(※当時23歳)に改訂を施し、同年に出版されました。
初期稿はヘンレ版のマズルカ集に付録として掲載されています。ちなみにナショナル・エディションには、生前の公式出版作に関しては異稿が収められていません。

初期稿と改訂稿では、細かいニュアンス(付点のリズム、強弱、装飾音等)の違いが主で、大きな変更点と言えば、全体の楽曲構成が若干見直されているくらいでしょうか。
以下がその初期稿版になります。




Chopin : Mazurka No.8 in A♭ major Op.7-4 (earlier version) /Tomoro

この作品は、おそらくショパンが書いたマズルカの中では最も初期のものなのではないかと思われます。
これ以前には、1820年(※当時11歳)に《ニ長調?》のマズルカを書いていたと言う説もあるのですが定かではありませんし、また、《第8番》の初稿と同じ1824年に《第13番 イ短調 作品17-4》の初稿が書かれていたと言う説もあるのですが、これも定かではありません。

いずれにせよ、確かな楽譜資料に基づくマズルカで最古のものは、現在これしか確認されていません。
これが書かれた1824年と言うのは、ショパンが、生まれて初めて家族と離れてシャファルニャと言う田舎の村で夏休みを過ごした年でした。

ショパンは1809年3月1日にジェラゾヴァ・ヴォラと言う田舎で生まれていますが、その翌年の秋にはもうワルシャワへ引っ越していますから、彼は完全に都会っ子として育ちました。
しかも父ニコラは、ワルシャワ高等中学校で教鞭をとる傍ら、自宅を学生用の寄宿舎にして、地方の裕福な領主階級の子息達を預かる仕事もしていたので、そんなショパン家は、彼らの学業と躾を見るべく、非常に貴族的な営みをする環境にあったのです。
そのような中では、音楽の中心はやはりポロネーズと言う事になり、必然的にショパンの処女作とされている作品も1817年(※当時8歳)の《ポロネーズ 第11番 ト短調》あるいは《ポロネーズ 第12番 変ロ長調》となっていったのでした。
なので、ずっと都会的で貴族的な環境で過ごしてきたショパンは、地方色の強いマズルカに触れる機会がほとんどなかったのではないかと考えられます。
あるいは、仮にあったとしても、まだ少年だったショパンにしてみれば、マズルカのような音楽は“垢抜けなくてカッコ悪い”くらいにしか感じられなかったのかもしれません(我々日本人で言うなら、“小中学生が民謡や演歌?”みたいな…)。

いずれにせよ、そんなショパンがマズルカに興味を持ち始めたきっかけになったのが、このシャファルニャ滞在だった事は間違いありません。
彼は、当地からワルシャワの家族宛に手紙を書く代わりに、『シャファルニャ通信』(※『ワルシャワ通信』と言う実際の新聞をパロディにしたもの)を作って書き送っていたのですが、そこにはこんな記事が掲載されています。

「本年の同月29日:ピション氏(※自分の名前を逆に綴ってパロディ化したもの)は、ニェシャヴァ村を通りかかった際、村のカタラーニ(※有名なイタリアのソプラノ歌手の名前。要するに「この村の美空ひばり」と言う意味)が牧草地の柵に腰掛け、声を限りに歌っている所に行き合う。非常に興味をそそられ、礼節を持ってその歌声に耳を傾けるも、歌詞までは聞き取れず、いささか欲求不満に。柵の手前を行ったり来たりするも、田舎の人の歌う歌詞ゆえ、その意味まではつかみ切れず、そこで氏は、ポケットからコインを3枚取り出し、これをあげる代わりにもう一度歌ってくれまいかと歌い手と交渉。長い事そのカタラーニは、なんやかんやと唇を尖らせて拒み続けたが、やがてコイン3枚に釣られたか、意を決してマズルカを1曲歌ってくれた。編集者は当局と検閲官の許可の下、冒頭の一節をサンプルとしてここに掲載する:

『見てごらん、裏山で、オオカミ一匹踊ってる
裏山で、オオカミ一匹踊ってる
いえいえ、嫁さんいないとて、何でそんなに悲しがる(繰り返し)』」
(※『1824年8月31日付のシャファルニャ通信(家族宛の手紙)』より→全文はこちら


私には、この“オオカミ”の踊りがこの《マズルカ 第8番》と重なって見えるのですが、どうでしょう?

この曲の初稿譜では、中間部に「celeste(セレステ)」と言う発想標語が書かれているのですが、これはイタリア語(フランス語とスペイン語も)で「天の、空の、天上の、神の、空色の」等の意味がある言葉です(ちなみに改訂稿にこの表記はなく、「dolcissimo(ドルチッシモ=最高に甘く、たいへん柔らかく)」に変更されています)。
この中間部の最後の箇所が、“オオカミ”が“嫁さん”を求めて、“空”に向かって“最高に甘く”遠吠えしている様子を描写しているのだろうか?と、つい想像してしまうのは、いささか考え過ぎでしょうか?


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


Copyright © Tomoro. All Rights Reserved.

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ショパン: マズルカ集/ヘンレ社原典版 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック