ショパン:練習曲 第4番 嬰ハ短調 作品10-4

♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:練習曲 第4番 嬰ハ短調 作品10-4 by Tomoro




Chopin : Étude No.4 in C# minor Op.10-4 /Tomoro

● 作曲年:1832年
● 出版年:1833年
● 献呈者:フランツ・リスト

 【ジャンル解説】
練習曲(エチュード)は、その名の通り、楽器の演奏技術を習得する手助けとなるように考慮された音楽作品です。
一口に練習曲と言っても、これには大きく分けて3種類あると言えます。

  1. 《ハノン》(シャルル=ルイ・アノン:Charles-Louis Hanon, 1819-1900)に代表されるような、機械的な運指の反復練習のみに特化して、楽曲としての体裁を成していないもの。
  2. 《ツェルニー》(カール・チェルニー:Carl Czerny, 1791-1857)に代表されるような、一応楽曲としての体裁は成しているものの、あくまでも練習曲であって演奏会で弾く事を目的としないもの。
  3. 《ショパン》や《リスト》(フランツ・リスト:Franz Liszt, 1811-1886)に代表されるような、プロが演奏会で弾く事を前提に、最高度の演奏技術を要求すると共に性格的小品としての芸術性をも兼ね備えたもの。


 【作品解説】
ショパンの《練習曲 第4番 嬰ハ短調》は、《12の練習曲 作品10》の第4曲目です。

前回紹介した《第3番 ホ長調》と同じ時期に手がけられており(※当時23歳)、最新のナショナル・エディション(エキエル版)の解説によると、《第4番》の未完成版のラフの写しには“パリ 1832年8月6日”の日付が書き込まれているとの事です。
《第3番》の未完成版のラフの写しには“パリ(18)32年8月25日”の日付が書き込まれていましたから、《第4番》の方が少し先に作曲されたようです。

ショパンはその年の2月に、パリにおけるデビュー公演を行っています。
前年の9月半ば過ぎ頃にパリへやって来たショパンは、間もなく、少年時代から憧れの存在でもあった当代随一のピアニスト兼作曲家カルクブレンナー(Friedrich Wilhelm Michael Kalkbrenner 1785-1849)と知り合いになり、彼から弟子にならないかと誘われる程気に入られました。
しかしながら、父ニコラや師エルスネルの忠告もあって、ショパンはその申し出自体は断ります。それでもカルクブレンナーは、ショパンのプレイエル・ホールでの演奏会を企画し、その全てをお膳立てしてくれたのでした(※カルクブレンナーは、ピアノ製造者プレイエルと共同経営者でもあったのです)。

その演奏会は当初、前年の12月に予定されていたのですが、諸々の事情で延期され、ようやく年明けの2月26日に執り行われるに至りました。これは、ショパンがパリに渡ってから約5ヵ月半後の事になります。
演奏会は成功を収めるのですが(※その詳細については《ホ短調・協奏曲トモロー・エディション》で)、もう一つ興味深いのは、この演奏会には、後に《12の練習曲 作品10》を献呈する事になるリストも観客として来ていた事で、そしてこれが、この時代を代表する二人のピアニストの初邂逅だったと言われています。

リストはショパンの演奏と作品に感銘を受け、以来この二人は友情を育むようになり、また、良きライバルとしてお互いを刺激し合っていく事にもなります。
その一方で、逆にこの演奏会を境に、ショパンとワルシャワ時代からの親友であるティトゥス・ヴォイチェホフスキとの文通がぴたりと途絶えている点も私には興味深い事です。ショパンは、演奏会の前にはその由を手紙で彼に知らせていたのに、その演奏会の結果がどうだったかとか、それ以降の事について彼宛に一切手紙を書いていないからです(※ちなみに、最晩年に突如現れる彼宛の2通の手紙は、伝記作家のカラソフスキーによる完全な贋作です。書かれている内容とその解説が、後に判明した事実と一致していません)。
《練習曲 第1番》でも説明したように、私は個人的に、ショパンが練習曲を書き始めたきっかけは、ウィーンで知り合ったチェルニーを通じてリストに刺激されたからではないかと考えています。
そのリストとついにパリで知り合ったショパンが、それから約半年後に再び着手し始めたのが、この《第4番》と《第3番》になる訳です。


《第3番》の自筆譜には、曲の終わりに“attacca il presto”の指示があり、休まずに次の《第4番》を続けて弾くようになっていました。しかしその指示は、曲集として出版された際に削除されています。
おそらく、最初“ヴィヴァーチェ(快活に)”だった《第3番》のテンポを“レント(遅く)”に変更したので、その余韻を大切にしたいと考え直したのかもしれません。
あるいは、ひょっとするとショパンは、この2曲を書いた時点で、曲集そのものを全部続けて弾くようにするアイディアを思い付いた可能性も考えられなくはありません。
いずれにせよ、最終的にその考えをやめたと言う事は、個々の作品を独立させる事によって、各々が単なる練習曲ではなく、性格的小品としての芸術性をも兼ね備えているのだと言う事を強調したかったのかもしれません。

「ピアノの詩人」と謳われるショパンの作品の全てに共通している事は、どんなに高度なテクニックであっても、それが必要とされる根拠は常に音楽的な理由であって、決してピアニストがテクニックをひけらかすためではない、と言う事なんですね。
それはたとえ練習曲であっても例外ではなく、むしろ練習曲だからこそその点が特に強調されなければならないと、ショパンはそのように考えていたのだろうと私は思います。
それこそが音楽にとって一番大切な事なのですから。
だからこそショパンの曲は、プロ、アマを問わず、どんなに難しくても弾いてみたいと思われるんですね。


そんな中にあって、この《第4番》はショパンのエチュードの中でも最大の難曲と言われています。
この曲は、様々な要素を相反する対象で捉える事によって、一つ一つのテクニックの効果を意識させるように作られています。
つまり、フォルテ(強く)とピアノ(弱く)だったり、スタッカート(音を短く切って)とレガート(音をなめらかにつないで)だったり、狭いポジションと広いポジションだったり、同じフレーズを左右の手で交互に入れ替えたり…と言った事です。
その結果、この曲は非常に演奏効果の高いものとなっており、正に「クール!(カッコイイ!)」と言う言葉がぴったりな作品となっています。

でも、私がこの曲のそんな魅力に初めて気付かされたのは、何を隠そうTVドラマの『のだめカンタービレ』でこれを聴かされた(観せられた)時だったのでした(※私は普段TVを全く観ないので、姉が買ったDVDを借りて観たのですけどね…)。
それまで私は、この曲に対して特に「好き」とも「嫌い」とも、そういった感情を全く抱いていなかったのです。
あのドラマの主人公・野田恵は、それまで、最高難易度を誇るこのエチュードとは全く無縁の世界を生きる音大生として描かれてきていて、そんなところでいきなりこの曲を鬼気迫る勢いで完璧以上に弾きこなしてのけたのですから、劇中の江藤先生同様、そのギャップから受けた衝撃だけでもかなりなものだった訳です。このエチュードは、彼女の幼少期のトラウマと関係する形で物語の重要な鍵となる楽曲として使われていましたが、あのドラマでは(もちろん原作が素晴らしいからなのですが)、様々なクラシックの曲が非常に深い解釈のもとに物語世界とうまくリンクしていて、それが相乗効果となって音楽と物語が互いに引き立て合っていましたね。その中でもこの《練習曲 第4番》のお披露目シーンは、ショパンが絡んでいた事もあって個人的に一番好きなシーンでした。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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