ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13「悲愴」

♪今日の試聴BGM♪

ベートーヴェン作曲:ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13「悲愴」 by Tomoro
Sonate für Klavier Nr.8 c-Moll "Grande Sonate pathétique" Op.13 /Tomoro

第1楽章 グラーヴェ―アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオ by Tomoro




1.Satz Grave - Allegro di molto e con brio /Tomoro

第2楽章 アダージョ・カンタービレ by Tomoro




2.Satz Adagio cantabile /Tomoro

第3楽章 ロンド:アレグロ by Tomoro




3.Satz Rondo: Allegro. /Tomoro

● 作曲年:1797~98年
● 出版年:1799年
● 献呈者:リヒノフスキー公爵


 【ジャンル解説】
ソナタは、バロック時代までは単に器楽曲を意味していましたが、古典派時代以降に音楽形式を伴って発展し、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらによって完成されました。
基本的に、3~4つの複数楽章からなり、主に第一楽章にソナタ形式が用いられます。
ソナタ形式とは、提示部、展開部、再現部で構成され、提示部には基本的に2つの主題が提示されます。
また、規模の大きな作品では、序奏部や終結部を伴う事もあります。


 【作品解説】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)は、ピアノ・ソナタを32曲残していますが、中でもこの《第8番『悲愴』》は、《第14番『月光』》、《第23番『熱情』》と並び、3大ピアノ・ソナタと称される事もあるほど有名な作品です。

「悲愴」と言う標題はベートーヴェン自身が付けたもので、ウィーンでの初版の表紙は《大ソナタ「悲愴」》となっています。

ベートーヴェンがソナタに標題を付けたのはこれが初めてです(これ以降においてはもう一つ《告別ソナタ》があるだけで、それ以外はどれも俗称となります)。
いわゆる標題音楽というのはロマン派の時代に入ると盛んに書かれるようになりますが、古典派の時代にはまだそれほど一般的ではなく、ベートーヴェンにおいても稀な事です。
それだけに、この曲に「悲愴」という題名が付けられた事は、何か作曲者の思い入れが窺われるような気もします。

この曲が書かれたのはベートーヴェンが27歳から28歳にかけてとされており、彼にとっては初期の代表作と云われていますが、実は彼はこの頃から難聴に悩まされていました。ですから、どうしてもこの標題をその事と結びつけて考えたくなってしまいます。
ただし、作品全体を見渡してみると、一概に悲愴感一色で塗りつぶされている訳でもありません。
時として懐疑的だったり、小さな希望を見出したり、慰めたり、情熱的に立ち上がろうとしたり、正にベートーヴェン的な要素が複雑に入り組んだような作品になっていて、それこそが当時の彼の難聴に対する思いだったのかもしれません。

そういった様々な音楽的要素が詩的に構成される様は、後のロマン派音楽に多大な影響を与えたと考えられます。
ショパンとの共通点に着目して見ていくと、“グラーヴェ(重々しく)”の序奏で始まってすぐに激しい動きへと展開する構成はショパンの《ピアノ・ソナタ 第2番 「葬送」》でも見られますし、「悲愴」の第2楽章における伴奏形の考え方(右手の中にメロディ・パートと分散和音による伴奏パートとを同時に含ませる)は、やはりショパンの《練習曲 第3番「別れの曲」》にも見られます。

ショパンはよく、バッハやモーツァルトほどにはベートーヴェンにあまり重きを置いていなかったなどと云われる事があるのですが、私にはそうは思えません。
確かにショパンの残した直接的なコメントや関係者の証言だけ見ていると、一見そのように見えなくもないのですが、それは逆に、彼がいかにベートーヴェンを意識していたかの裏返しのようにすら私には思えるのです。

ショパンから見れば、バッハやモーツァルトはそれこそ曾おじいさんや祖父の世代に当たり、既にどちらも故人でしたが、父の世代に当たるベートーヴェンはショパンが17歳の頃まで健在でした。
当時既に評価の確立しつつあったバッハ、モーツァルトに比べれば、ベートーヴェンはまだ現在ほどには時代が彼を正当に評価していたとは言えません。
したがって、いかにベートーヴェンと言えども、それ以前の巨匠達ほどには素直に敬意を示せない部分もあったのではないでしょうか。
つまり、両者の生きた時代が交差している分だけ、尊敬よりもむしろライバル心の方が勝っていたのではないかと、私にはそんな風に思えるのです。

ショパンは直接口には出さないけれども、ベートーヴェンからの音楽的影響はその作品の所々に見られます。
本稿でも既に紹介しましたが、たとえばショパンが用いる多楽章形式は、ベートーヴェンが試行錯誤の末に生み出した一つの形(第1楽章「アレグロ・ソナタ形式」。第2楽章「スケルツォ」。第3楽章「緩叙楽章」。第4楽章「テンポの速いロンド」。)を理想の様式美と見なし、常にそれのみに固執していました。
この《悲愴ソナタ》における3つの楽章の配置(第1楽章「アレグロ・ソナタ形式」。第2楽章「緩叙楽章」。第3楽章「テンポの速いロンド」。)も、やはりショパンが2つのピアノ協奏曲《ヘ短調 作品21》《ホ短調 作品11》で用いたもののお手本になっています。

ピアノの奏法一つを取っても、ショパンはバッハやモーツァルトよりも、実は遥かにベートーヴェンの影響の方が強いのです。
まだ若きベートーヴェンがウィーンの楽壇に登場した頃と言うのは、こんな風だったと云われています。
「…当時のウィーンでは、モーツァルトに代表される軽快な鍵盤奏法が主流だった。それは、音を均一に響かせ、スタッカート(ひとつひとつの音を切って演奏すること)風に軽やかに弾きこなすものだった。
しかしベートーヴェンの奏法は、これとはまったく対照的だった。彼はピアノをレガート(スタッカートの反意語。音をなめらかにつなげて演奏すること)で、ウィーンの人々の心を魅了したのである。」
(※吉成順一[監修]『ベートーヴェンの「正しい」聴き方』より)

こう言った新しい感覚が、この《悲愴ソナタ》の第2楽章のような曲をピアノ曲として書く発想につながり、さらにそれが、後のショパンに、レガート奏法の究極の形を見出させる事へとつながっていったとも言えるのではないでしょうか。

ショパンの弟子の一人であるカロル・ミクリ(Karol Mikuli)は、次のように証言しています。
「…(略)…ショパンは自分の作品を弾くことが多かったとはいえ、偉大な傑作とされるピアノ曲ならなんでも正確に暗譜できた。ことにバッハについてはそうであり、彼がバッハとモーツァルトのどちらが好きだったのかを言い当てるのは難しいくらいだ。この二人の作曲家にかけては、ショパンの演奏は余人の追随を許さぬ偉大さを感じさせた。(中略)もちろんベートーヴェンにも、やはり親近感を持っていた。…(略)…」
(※ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著/米谷治郎・中島弘二訳『弟子から見たショパン』(音楽之友社)より)



余談になりますが、この曲の第2楽章の「アダージョ・カンタービレ」はあまりにも有名な人気曲で、《エリーゼのために》と同様に、歌詞が付けられてポピュラー・ソングとして歌われるなどもしていますね。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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