ショパン:前奏曲 第24番 二短調 作品28-24

♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:前奏曲 第24番 二短調 作品28-24 by Tomoro




Chopin :Prelude No.24 in D minor Op.28-24 /Tomoro

● 作曲年:1836~38年
● 出版年:1839年
● 献呈者:カミーユ・プレイエル(フランス、イギリス版)
● 献呈者:ヨゼフ・クリストフ・ケスラー(ドイツ版)


 【ジャンル解説】
前奏曲(プレリュード)は、文字通り、ある音楽作品の前に演奏する楽曲の事で、元々は即興演奏による器楽曲でした。
それが後に、技巧や即興性を伴う独立した性格的小品として発展していきました。
その中でもショパンの《24の前奏曲 作品28》は特に有名なものの一つです。
ショパンはこの曲集を、1838年10月から翌年2月まで滞在したスペインのマヨルカ島で完成させました。その際にバッハの《平均律クラヴィーア曲集》を携えて行った事から、これはショパンがバッハに敬意を表したものだとも言われています。しかし両者に共通しているのは、ハ長調で始まり全曲が異なる長短24調で書かれている事くらいで、その配列も内容も違います。
バッハの曲集は、ハ長調からハ短調へをワンセットに、それを半音ずつ上げていく順で配列されていますが、ショパンの方は、ハ長調から平行短調(短3度下)のイ短調へをワンセットに、それを完全5度づつ上げていく順になっています。この配列はフンメル(Johan Nepomuk Hummel, 1778-1837)の《24の前奏曲 作品67》(1815年)と同じです。
内容的に見ても、バッハの曲集が前奏曲とフーガで構成されているのに対し、ショパンの方はプレリュードのみで、この点もやはりフンメルと同じなのです。
フンメルは現代でこそマイナーな存在ですが、彼の生前においては、ピアニスト兼作曲家として、ベートーヴェンと共に当時の第一人者の一人と称されていました。ショパンは若い頃から彼の作品に親しみ、ウィーン訪問をきっかけにこの先輩音楽家と親しく交際するようにもなっていましたから、私は、ショパンの曲集はバッハのよりもむしろフンメルのものにインスパイアされたのではないかと考えています。

フンメルの曲集は一曲がとても短く、全曲弾いても9分にも満たないもので、それぞれが単独の性格的小品として成立するような書かれ方はしていません。つまり、文字通りあくまでも前奏曲集なのです。
一方のショパンは、そこから一歩進んで、各曲が独立した性格的小品であると同時にそれぞれが次の曲の前奏曲としての役割も果たし、あたかも、その全24曲で一つの完成された作品であるかのような、そんな書かれ方をしています。
おそらくショパンは、たとえほんの数小節しかない短い曲でも、単独の性格的小品として立派に成立するような音楽が書けるのではないかと、自らの曲集でそれを証明したかったのではないでしょうか。


 【作品解説】
ショパンの《前奏曲 第24番 二短調》は、《24の前奏曲 作品28》の第24曲目(最終曲)です。

本稿は、基本的にショパン作品を作曲順に紹介しているので、今回これを取り上げるのは時期尚早なのですが、この作品は前回紹介した《革命のエチュード》における「シュトゥットガルトの手記」と関連のあるものなので、前回に引き続きその問題について書きたいと思います。


前回も説明したように、《革命のエチュード》が作曲された経緯については、1831年9月(※当時22歳)、ショパンがウィーンからパリに渡る途中のシュトゥットガルトで、ロシア軍による「ワルシャワ陥落」のニュースにショックを受けて作曲したと言う話が有名ですが、その逸話には何の資料的根拠もなく、ショパン伝に数々の嘘を盛り込んできた事でも有名な、かの国粋主義的伝記作家モーリッツ・カラソフスキーによる作り話とされており、私もそのように考えています。
カラソフスキーは《革命のエチュード》について以下のように書いていました。

「ミューニッヒ(※ミュンヘン)での成功に励まされて、ショパンはこの寛容な都を後にして、苛重な試練が待ち受けていたスツッツガルトヘ向った。その試練とは一八三一年九月八日にワルソウ(※ワルシャワ)がロシア人に略取された報道であった。家族の者や愛人の運命を思うての悲嘆、心痛、絶望は彼の不幸の桝を充たした。こうした感情の影響下にあって、彼は「革命のエチュード」と呼ばれるかの壮大なハ短調の練習曲(最初の蒐集の際リストに捧げた)を書いた。左手の急速な経過の狂乱の嵐の中に、或時は熱狂的に、或時は倨傲な威儀を以て現われ、感奮せる聴者の心に、地上をめがけて烈しく雷電を投げつけるツォイス神(ギリシャの主神)の姿をもたらしている。
こうした気分で、ショパンは一八三一年の九月末にパリを指して出発した。」
(※モーリッツ・カラソフスキー著/柿沼太郎訳『ショパンの生涯と手紙』(音楽之友社)より)

カラソフスキーがこれを雑誌に連載していたのは1862~69年で、その頃にはまだ「シュトゥットガルトの手記」を含むショパンのアルバム(日記帳)なるものはこの世に存在していませんでした。
その後、ショパンの日記帳が発見されたとして、発見者のタルノフスキーがそれについてクラクフの大学で講演したのが1871年です。ちなみにこの年は、先のカラソフスキーの伝記が一冊の本としてまとめられた年でもあります。
前回も説明したように、「シュトゥットガルトの手記」を含むショパンのアルバム(日記帳)なるものは、発見者のタルノフスキーによる贋作だと私は考えています。

ちょっと奇妙な事に、なぜかタルノフスキーは、ショパンが「ワルシャワ陥落」のニュースを受けて《革命のエチュード》を作曲したとする話は採用しておらず、それについては何も触れていません。
その代わり、ショパンがその時作曲したのは《前奏曲 第24番》と《前奏曲 第2番》であるとしています。
その2曲のうち、《前奏曲 第24番》についてはこう書いています。

「…戦争が終了してワルシャワ占領のニュースを受けた時、彼は自分が感じた事を、あの同じ小さなアルバムに明らかにしている。苦痛、落胆、呪い、神への冒涜、涙、全てがすぐに表われ、そして最も恐ろしい全ての事、あらゆる不安、不安と懸念とが表れた。最も激しい気質への容赦ない拷問、狂気へ向かう傾向のある、優しく神経質な何か。ポーランドと、愛するワルシャワに対する全ての悲しみと嘆きの中で、神に関する、また神への苦情の中で、彼の父や母や姉妹達はどうなったのか?と言う、この身悶えするような問い掛けが、リフレインのように繰り返し、そこで混じり合う…….全てこれは、彼の音楽創作の一つに反映されている。前奏曲・第24番である。おそらく、あまり重要でない小さな作品かもしれないが、最も絶望したものの一つで、最も特徴あるものの一つでもある。
…(中略)…ショパンは、シュトゥットガルトでの恐るべき滞在の後に、パリにいた。」
(※スタニスラフ・タルノフスキー著『ショパン:日記からの抜粋で明らかになったその人物像』(LONDON: WILLIAM REEVES)より)

ちょっと待って下さい、この話には何の資料的根拠も示されておらず、それなのにタルノフスキーは、単に自分の主観だけで自説を断言してしまっています。
この曲を聴いてそのような感想を持ったと言うのなら分かりますが、この人は一体何を根拠にショパンの作曲動機をこのように断言しているのでしょうか?
タルノフスキーに資料提供したと言うマルチェリーナ・チャルトリスカ后妃がそう証言したとも書いていませんし、実際、彼女はショパンの姉ルドヴィカから前奏曲に関する自筆資料2点を預かっていたのですが、そのどちらにも《第24番》《第2番》と直接結びつく書き込みはありませんでした。
しかもこれでは、結局のところ、カラソフスキーの話とほとんど内容も一緒なのではないでしょうか? ただ単に曲を差し替えただけで…。
要するにタルノフスキーは、カラソフスキーの作り話からインスパイアされて、それで「シュトゥットガルトの手記」を贋作したのでは?と言うのが見え見えなんですね…。だからそれが分からないように、わざと曲を差し替えて新説をでっち上げたのではないか?と勘ぐりたくなってしまいます。

それに、《前奏曲 第24番》が作曲されたのは1836~38年ですから、その頃にはもう「ワルシャワ陥落」から既に5年以上もの年月が流れています。
資料的根拠の全くないこの話を擁護する人々は、ショパンが当時の事を思い出しながらこれを作曲したのだと主張しますが、それを言い出したらもはや何でもありになってしまうのではないでしょうか。

前回の繰り返しになりますが、タルノフスキーと言うのは、ショパンとポトツカ夫人が愛人関係にあったなどと言う噂を雑誌に書いて流布したりするような人物で、彼の著書『ショパン:日記からの抜粋で明らかになったその人物像』には、ショパンがそんな事をするはずがないと誰にでも分かるような嘘がたくさん書かれています。
たとえば、演奏会用に仕立てたスーツが気に入らなかったので、自分より2倍近くも大男の弟子のスーツを借りて出たとか、作曲でどのフレーズを選ぶか悩んだ時は子供を呼んで選ばせたとか、《英雄ポロネーズ》を書き上げた直後に民族衣装を身にまとった兵士の亡霊が出て来たので逃げたとか、その他諸々…。
(※その詳細については「このアルバム(日記帳)は何処から出て来たのか?」で)

次回も引き続き、「シュトゥットガルトの手記」絡みで《前奏曲 第2番》を取り上げる予定です。


 【ブログテーマについてのお知らせ】
本稿が利用しているウェブリブログでは、テーマ設定の数に限りがあるため、今回「前奏曲」の新テーマを増設するに当たって、やむなく「フーガ」、「エコセーズ」、「コントルダンス」の3テーマを「その他の作品」に振り分ける事にしました。
少々不便にはなりますが、今後とも宜しくお願い致します。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちら)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


Copyright © Tomoro. All Rights Reserved.

ショパン: プレリュード/パデレフスキ編 I (日本語ライセンス版)
ヤマハミュージックメディア
フレデリク・フランソア・ショパン
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ショパン: プレリュード/パデレフスキ編 I (日本語ライセンス版) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ショパンプレリュードとロンド  全音ピアノライブラリー の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ショパン 24のプレリュード (アルフレッドコルトー版) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

驚いた

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック