ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22(ピアノ独奏版)

♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22(ピアノ独奏版)
Chopin:Andante spianato et Grande Polonaise brillante in E-flat major Op.22(for one piano)

アンダンテ・スピアナート(ピアノ独奏版) by Tomoro


Andante spianato (for one piano) /Tomoro

華麗なる大ポロネーズ(ピアノ独奏版) by Tomoro


Grande Polonaise brillante (for one piano) /Tomoro

● 作曲年:ポロネーズ部 1830~31年
● 作曲年:アンダンテ・スピアナート部 1834年
● 出版年:1836年
● 献呈者:デスト男爵夫人


 【ジャンル解説】
ポロネーズはフランス語で「ポーランド風」の意味があり、その名の通りポーランドの民族舞踏の一種です。
マズルカ同様、農民や市民によって踊り継がれていたものが、やがて士族や貴族階級にまで広がって洗練されていったと言われています。
行進曲的な色合いもあり、様々な式典等で踊られる事が多いようです。


 【作品解説】
本稿では今回、この作品をピアノ独奏版(1台ピアノ版)でお送りいたします。

前回(同曲の2台ピアノ版)からの続き~

このオーケストラ伴奏付きの《華麗なる大ポロネーズ》は、その名の通り、ショパンがそれまでに書いてきた全ての初期ポロネーズの集大成的な作品であり、演奏会でピアニストとしての腕前を披露するための名人芸的要素もふんだんに取り入れられています。
しかしながら、これを書き始めた当時と言うのは、ショパンがウィーンへ旅立つ直前の時期であり、したがって、かの地で開く事になるであろう演奏会に間に合わせる事を第一に、時間的かつ精神的に余裕のない中で急ごしらえした感もあり、そのためか、今までのオーケストラ伴奏付き作品の中でも、もっとも協奏的要素に乏しく、まるでピアノ・パートの充実ぶりに反比例するかのように、オーケストラ・パートはほとんど添え物程度にしか扱われていません。
それはあたかも、ショパンのオーケストラへの関心の度合いを象徴するかのようで、ショパンはこれを最後に、オーケストラを伴う作品を全く書かなくなってしまいます。

皮肉な事に、現在の演奏会事情においては、逆にこう言った協奏的作品は演奏会のプログラムに載せにくくなってしまっており、したがって、この作品が本来のオーケストラ伴奏付きで演奏される機会はほとんどなくなってしまいました。
しかしながら、本来なら欠点となるはずの協奏的要素の欠如が逆に幸いして、この曲は、ピアノ独奏版においても楽曲の良さが少しも損なわれないため、ピアノ独奏版ではそれなりに演奏機会も多く、正にショパンが意図した通り、演奏会でこそ映える作品の一つとなっています。
何と言ってもこの曲は、ショパンの代名詞とも言えるノクターン風の序奏部と、祖国ポーランドの代表的な民族舞曲とを組み合わせた作品ですから、ショパンが聴衆に向かって、挨拶代わりに自らのアイデンティティを1曲で表現しようとした作品だったとも言える訳です。

そう言えば、2002年の映画『戦場のピアニスト』のラストシーンで、主人公が演奏会でこの曲をオーケストラ伴奏付きで弾いていましたが、もしかすると、それで初めてこの曲のオーケストラ・バージョンを耳にしたと言う人も多いのではないでしょうか(※実は私がそうだったりするのですが…)。


一方、ピアノ独奏による序奏部分の《アンダンテ・スピアナート》の「スピアナート」とは、イタリア語で「均一に、滑らかに、ろうろうと歌うように」などの意味がある言葉です。
このように、ポロネーズ部の前にノクターン風の序奏をあとから付けるという発想は、《チェロとピアノのための、序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3》でも同様になされていた事で、そうする事によって「作品」としての体裁を整えていたのでしょう。

ちなみにこの序奏に関しては、シューマンが次のような証言を残しています。
「ショパンはグランド・ポロネーズ・ブリラントの序奏になっている、ノクターン ト長調をメンデルスゾーンに弾いて聴かせた。するとメンデルスゾーンは、目の前に庭が現れ、人々が噴水や珍しい小鳥たちの間を心静かに散歩しているようだ、とこの曲をとても詩的に形容した。メンデルスゾーンはこんなイメージを喚起して、この音楽の何ともいえない魅力を表現しようとしたのである。」
(※ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著/米谷治郎 中島弘二訳『弟子から見たショパン』(音楽之友社)より)

この証言は、当初ショパンがこれを「ノクターン」として作曲していたらしい事を示唆していると、エーゲルディンゲルは指摘しています。

この序奏部を書き足した1834年頃には、ショパンはすでにパリで音楽家としての名声を確立しており、楽譜の出版とピアノのレッスンだけでもそれなりに収入が安定するようになっていました。
この曲が実際に演奏会で初演されたのは翌1835年の事で、パリ音楽院ホールで催された演奏会にショパンが出演した時でした。
演奏が終わると、聴衆は立ち上がって大喝采を贈ったそうです。
ショパンはそれに先立つ同年の4月に、イタリア劇場で行なわれた亡命ポーランド人のための慈善演奏会に出演していますから、おそらくその事が、この曲の完成と初演にもつながったのではないかと想像されます。と言うのも、ショパンはその頃から、久々にピアノ独奏用のポロネーズ(※作品26)の作曲にも取り組み始めていたからです。
パリに移住して以来、久しぶりに愛国心を強く刺激されたであろう事は想像に難くありません(※ちなみにマズルカの方は毎年のように万遍なく書かれ続けていましたが、こちらはあくまでも地方々々の音楽ですから、ポロネーズとは違って若干国家色は薄いのです)。

そして、ショパンはこの曲の初演を最後に、演奏活動そのものからも長い間身を引いてしまい、ひたすらピアノ独奏用の小品の作曲に専念するようになります。
たまに聴衆の前に姿を現しても、それは他の演奏家に頼まれたもので、他の作曲家の作品を共演する程度の事ぐらいしかしなくなります。
演奏会(※コンサート=コンチェルト)をしなくなったショパンにとって、もはやオーケストラを伴う作品(※コンチェルト=コンサート)を書く必要性もなくなったため、結果的にこれがその最後の作品となった訳です。


私のようなロック畑の人間からすると、こう言ったショパンの音楽遍歴は、ビートルズにも通じるものを感じてしまいます。
ビートルズもまた、その人気が世界的に確立した時期にパタッと演奏活動をやめてしまいます。
ショパンの弾く演奏会でのピアノの音が、虚弱体質ゆえに音が小さくてオーケストラにかき消され、そのせいで聴衆の耳に届かなかったとすれば、ビートルズの演奏もまた、社会現象的な人気によるファンの悲鳴にかき消され、聴衆の耳には届かなくなっていたからです。
そのような不毛な演奏活動に忙殺され、それによって作品の質が低下するのを危惧したビートルズは、突然ライブ活動を一切やめ、自らの新しい芸術スタイルを追求するためにひたすら作曲とレコーディングに専念するようになります。
必然的に彼らの作品は、当時のライブ事情では再現困難な作品が比重を占めるようになっていくのです。

ショパンとビートルズ…それぞれの音楽ジャンルの違いや、それぞれの時代の演奏会事情の違いはありこそすれ、それぞれが、その時代の申し子として用意された未知の芸術を探求するために、音楽家の収入源として最も大きな演奏活動を斬り捨ててまで作曲に専念したその姿は、私には全く同じ種類のものとして映るのです。


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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この記事へのコメント

nao
2013年07月11日 20:57
この曲の音源も新しくしたのですね。昨日、とあるコンサートでこの曲の下手な演奏を聞かされたばかりなので、耳の清めになります。
まだupしたばかりなので今のうちに指摘しますが、ポロネーズのコーダ第238小節右手の最後の音は、Cesではなく本位のCだと思います。私はこの曲の楽譜は全音出版のしか持っていませんが、それによると当該小節1拍めの最後の16分音符がフラットのついたド、つまりCesになっていて、2拍めから8vaがかかってそのフラットが最後のドにも有効なようになっています。しかし、この小節のコードは本位C音上の減七和音で一貫しており、最後から3つ手前の16分音符のドが本来不要なナチュラルが付いた本位のドであることから見ても、少なくとも手持ちの楽譜では最後のドに付けるべきフラットが抜けているものと思います。実際の演奏では、私がこれまで聴いてきた限り百%本位のCです。CとCesでは音のヌケが違います。
トモロー
2013年07月12日 00:16
nao様へ。
これもまた言い訳になってしまいますが、まさに楽譜表示ソフトの落とし穴的なミスでした。ちなみに私も全音版を使用しましたが、この箇所はナショナル・エディションでも全く同じ記譜になっており、私ごときでは、指摘されない限り一生気が付かなかった事でしょう。
本当に感謝にたえません。
nao
2013年07月12日 00:48
これは純粋に楽譜のミスです。そのまま打ち込めばスコアメーカーでも同じ結果になります。演奏家はみんな解っているんですね。
で、私のコメントにもミスがありました。「最後のドに付けるべきナチュラルが抜けている」と書くべきものを…。言葉だけで楽譜のことを説明するのは異常な煩雑さ!
nao
2013年07月12日 03:48
新たにupされたのを聴いてみたら・・・厳しいこと言いますよ。
「一を聞いて十を知る」という言葉がありますが、第238小節に問題があるのなら、それと全く同じことを繰り返している第258小節にも当然同じ問題があるわけですから、そちらにも気を向けなきゃダメですよ。これは当然わかるものと思ってたので言いませんでした。
トモロー
2013年07月12日 05:43
nao様へ。
面目ございません。

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