ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 作品26「葬送」

♪今日の試聴BGM♪

ベートーヴェン作曲:ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 作品26「葬送」 by Tomoro
Sonate für Klavier Nr.12 As-Dur Op.26 /Tomoro

第1楽章 変奏曲 アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ by Tomoro




1.Satz Andante con variazioni /Tomoro

第2楽章 スケルツォートリオ(アレグロ・モルト) by Tomoro




2.Satz Scherzo and Trio: Allegro molto /Tomoro

第3楽章 マエストーソ・アンダンテ『ある英雄の死を悼む葬送行進曲』 by Tomoro




3.Satz Maestoso Andante (Marcia funebre sulla morte d'un Eroe) /Tomoro

第4楽章 アレグロ by Tomoro




4.Satz Allegro /Tomoro

● 作曲年:1800-1801年
● 出版年:1802年
● 献呈者:リヒノフスキー侯爵


 【ジャンル解説】
ソナタは、バロック時代までは単に器楽曲を意味していましたが、古典派時代以降に音楽形式を伴って発展し、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらによって完成されました。
基本的に、3~4つの複数楽章からなり、主に第一楽章にソナタ形式が用いられます。
ソナタ形式とは、提示部、展開部、再現部で構成され、提示部には基本的に2つの主題が提示されます。
また、規模の大きな作品では、序奏部や終結部を伴う事もあります。


 【作品解説】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)は、ピアノ・ソナタを32曲残していますが、この《第12番》は、ベートーヴェンの作風が初期から中期へと移行する際のその分岐点に位置するものとされている意欲作です。
第3楽章に葬送行進曲を置いている事から「葬送ソナタ」、あるいは、第1楽章に変奏曲を置いている事から「変奏ソナタ」などと呼ばれる事もあります。
本稿では以前、第3楽章の葬送行進曲については抜粋で取り上げましたが(※それについては『ある英雄の死を悼む葬送行進曲』で)、ここではあらためて、ソナタ作品としての全楽章についてお送りしたいと思います。

このソナタを構成する4つの楽章のうち、ソナタ形式で書かれた楽章が一つもなく、第1楽章が変奏曲で始まり、今までメヌエットが置かれていた位置にスケルツォを配し、緩除楽章に葬送行進曲を置いて全体を劇的に構成するなど、後の《交響曲 第3番 変ホ長調『英雄』作品55》で結実するアイディアの原点となっています。

ただし、これらの要素のうち、
 1.ソナタ形式の楽章を持たない、
 2.アンダンテ(歩く早さで)の主題による変奏曲で始まる、
 3.行進曲を含む、
などの特徴は、すでにモーツァルトが《ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調(トルコ行進曲付き)》で試していた事で、ベートーヴェンがそこからヒントを得てこのソナタを書いた事は間違いないでしょう。

また、ベートーヴェンは第2楽章にスケルツォを置いていますが、彼は最初これをメヌエットにするつもりだったのを、前後の楽章との対比を際立たせるためにスケルツォにしたそうです。
このような考え方は、すでに《ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 作品2-2》、《第3番 ハ長調 作品2-3》、《第10番 ト長調 作品14-2》でも試されており、これはのちのショパンのソナタでも取り入れられています。
ただし、モーツァルトの《ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調(トルコ行進曲付き)》の第2楽章に置かれたメヌエットがスケルツォ的な性格を有していた事から、これについてもベートーヴェンがそこからヒントを得ていたと考えられるでしょう。
その証拠に、ベートーヴェンの最初の《ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品2-1》のメヌエットが正にスケルツォ的性格を有しているからで、このようなパターンは《第11番 変ロ長調 作品22『大ソナタ』》にも見られます。
また、メヌエットとスケルツォの中間に位置するタイプの曲も多く、それらについてはあえてそのどちらとも記載せずにソナタの一部として取り入れており、そのような例は《第4番 変ホ長調 作品7》、《第6番 ヘ長調 作品10-2》、《第9番 ホ長調 作品14-1》、《第13番 変ホ長調 作品27-1》、《第14番 嬰ハ短調 作品27-2「月光」》等、枚挙に暇がありません。
《第12番》の各楽章は、元々別々の単独曲としてスケッチされていたものが、あとで一つのソナタとしてまとめられる形で完成されたという経緯があるため、個々の楽章がそれぞれに印象深いものになっています。

このソナタを献呈されたリヒノフスキー侯爵は、ベートーヴェンが他界してから12年のちにショパンとも知り合いになっています。
ショパンが初めてウィーンを訪問した時、当地で急遽演奏会を開く事になりますが、その結果報告を家族宛の手紙にしたためた際、彼はリヒノフスキーについて以下のように書いています。
「今日、僕はリヒノフスキー伯爵と知り合いになりました。彼は、僕の事をどう褒めたら良いか分らない様子で、それほど僕の演奏を喜んでくれていました。ヴェルフェル(※ワルシャワ音楽院の恩師)が連れて行ってくれたのです。伯爵はべートーヴェンの親友で、あの偉大な巨匠が恩恵を受けた人です。
…(中略)…
今日お茶をご一緒したリヒノフスキー伯爵夫人と令嬢とは、僕が火曜日に2回目の演奏会を開く事になったのでたいへん楽しみにしています。彼女達は、もしも僕がパリヘ行く事になってウィーンを通った際には、必ず訪問するようにと勧めてくれました;それで、リヒノフスキー伯爵の姉妹に当るある伯爵夫人宛の手紙を、僕に渡して欲しいようです。たいへん親切な方達です。」
(※「1829年8月13日付の家族宛の手紙」より→全文はこちら

ショパンはこのウィーン訪問から帰宅後、友人宛の手紙では次のように書いています。
「かつてべートーヴェンの友人(パトロン)だったリヒノフスキーは、僕のピアノが弱過ぎると思ったらしく(確かにその手の意見は多かったよ)、音楽会のために自分のを貸そうと言ってくれた。でもこれが僕の演奏法だし、それでご婦人方、特にブラヘトカ嬢を非常に喜ばせたんだからね。」
(※「1829年9月12日付のティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙」より→全文はこちら


ショパンはこののち、パリ時代の1842年に、あるロシアの貴族のサロンで、このベートーヴェンの《ソナタ 第12番》の第1楽章を弾いた事があります。
その時の事は、当時ショパンとリストに師事していたロシアの参事官ヴィルヘルム・フォン・レンツ の回想録に詳しく書かれています。
「ショパンはベートーヴェンのそのソナタをどんな風に弾いただろうか? 彼の演奏は素晴らしかったが、彼自身の作品を演奏する時ほどではなかった。深い感動はなく、曲の輪郭を浮き彫りにするような立体感に欠け、変奏から変奏へと、筋を追っていくうちについ引き込まれてしまう小説にまでは至らなかった。しかし、カンティレーナでのメッツォ・ヴォーチェによる囁きは、フレーズを連綿とつなげていく技法においてきわめて完璧で、比べるものがないほど見事なものだった。美しさにかけては理想的だったが、女々しい演奏だ! ところがベートーヴェンは男らしさを決して失わなかった作曲家であった!…(中略)…
馬車に戻った時、私はショパンに尋ねられるまま、自分の感想を包み隠さず、素直に話した。すると彼は少しも腹を立てずにこう言ったのである。
「私は素描するだけ。絵を最後まで完成させるのは聴衆なのですから」…(後略)…」
(※ヴィルヘルム・フォン・レンツ 著/中野真帆子訳「パリのヴィルトゥオーゾたち ショパンとリストの時代」より)

これを見ると、ショパンは、こと他の作曲家の作品を演奏する時に関しては、ピアニストとしてほとんど自己主張する事がないらしい様子がうかがえます。
このあとレンツは、ショパンのアパートに戻ると、自分の解釈する《第12番》の変奏曲をショパンに弾いて聴かせ、それを「一人の人間の生き様」だと語ります。ショパンはそれを「美しい」と評価しながらも、一方で、その「演説めいた調子」の演奏に対してはやや懐疑的でした。
これらのエピソードから私が感じるのは、ショパンが、自分の作品を文学的に解釈されるのを嫌っていたのと同じように、ショパン自身もまた、他人の作品を文学的に解釈するような事はしなかったのだと言う事です。
元々ベートーヴェンは、最初からこの変奏曲を『ある英雄の死を悼む葬送行進曲』と関連づけて書き始めていた訳ではありません。ですから、レンツの解釈はあくまでも「後付け」の印象に過ぎないとも言える訳です。
おそらくショパンは、その生まれ持った音楽的感性によって、その事を無意識のうちに感じ取っていたのではないでしょうか。


ちなみにショパンは、このソナタの全楽章を披露した事もあるそうで、それについては次のような証言が残されています。
「それからわたし(※匿名希望のスコットランド女性)に代わってショパンが、ピアノ・ソナタ(作品26)を全曲演奏してくれました。まるで啓示のような気がしました。(中略)彼はベートーヴェンのこの葬送行進曲を勇壮に、オーケストラのように、力強いドラマのように弾きました。しかもどこか感動を抑えているようなところがあって、えも言われぬ効果を出していたのです。思いきったフィナーレは正確そのもので、繊細をきわめ――音符ひとつゆるがせにせず――目をみはるようなフレージングには光と影の交錯が感じられました。今までこんな演奏を聴いたことがなかったわたしたちは、言葉もなく黙り込んでしまったのです。」
(※ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著/米谷治郎・中島弘二訳『弟子から見たショパン』(音楽之友社)より)

レンツがこれを聴いていたらどう感じたでしょうか? 何しろレンツは、ベートーヴェンに関する著作もあるほどベートーヴェンに関しては一家言ある人なので、当時のパリの楽壇において、ベートーヴェンのピアノ作品が数曲しかしられていない現状に対してもこぼしていたくらいですから。

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弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学
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