ショパン:マズルカ 第54番 ニ長調 遺作 KK IVa-7/BI 31

♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:マズルカ 第54番 ニ長調 遺作 by Tomoro




Chopin : Mazurka No.54 in D major Op.posth /Tomoro

● 作曲年:1826年~1829年(?)
● 出版年:1875年
● 献呈者:なし


 【ジャンル解説】
マズルカは、ショパンの祖国ポーランドの民族舞踏の一種です。
中部マゾフシェ地方の快活なマズル、
西部クヤヴィ地方のゆったりしたクヤヴィアク、
南部シロンスク地方の急速なオベレク、
の三つに分類され、主に農民によって踊り継がれてきました。

ショパンのマズルカは、それら三つの要素を巧みに融合させながら、独創的で芸術性の高い作品に仕上げられています。


 【作品解説】

第54番はショパンが20歳の時の作品で、この曲には改訂版もあり、そちらでは若干規模が拡大されています(※その改訂版の方は《マズルカ 第55番 ニ長調 遺作》になります)。
それにも関わらず、結局そのどちらも作曲者の生前には出版されませんでした。
尚、こう言った作品を系統だって分類する手立てとして、ポーランドのショパン研究家クリスティナ・コビランスカ(Krystyna Kobylańska)による『作品番号のない作品目録』の分類番号「KK」があり、そこではこの作品は「KK IVa-7」とされています。
更に、 モーリス・J.E.ブラウン(Maurice J.E. Brown)がショパンの全作品に与えた作曲順の通し番号「BI」では、この作品は「BI 31」とされています。


短いながらもショパンらしい魅力ある作品ですが、最新の研究によって編集されたナショナル・エディションでは、どういう訳か、この曲の初期版も改訂版も収録されませんでした。
資料上の事は分かりませんが、一聴してショパンの霊感が感じられる事は間違いありませんし、この曲に贋作説があるなどという話も聞いた事がないだけに、なぜ収録されなかったのか不思議です。
私は個人的に、エキエルの編集方針には首を傾げたくなる点が多々あるのですが、この曲の不採用もその一つです。
パデレフスキ版、ヘンレ版、ドレミ版などに収められています。
(※と思っていたら、最近になって『ナショナル・エディション 第37巻 補遺』として出版されましたね。)



【追記】
コメント欄にて質問を賜りましたものの、とても長くなってしまいますので、追記という形でお答えさせて頂きたいと思います。

『ナショナル・エディション 第37巻 補遺』の解説によりますと、
「オスカル・コルベルク(※ショパンの学生時代の親友ヴィルヘルムの兄で民謡学者)によると、このマズールは、1826年*の終わり頃、ショパンによってダンスのために即興演奏された。多くの人々に囲まれ、“それから、それは彼の手の下から流れ出て、(※ギリシャ神話の)豊穣の角から出たようだった[…]翌日に3曲(ニ長調、変ロ長調、ト長調)が書き留められた。”:最後の2曲(※《第52番(第51番) 変ロ長調》《第53番(第50番) ト長調》)は、その後、少ない部数で石版印刷され、その信憑性については、ルドヴィカ・イエンドジェイェヴィツ(※ショパンの姉)とユゼフ・シコルスキの写譜によって確認されている。(脚注* マルツェリ・アントニ・シュルツ宛の手紙(1874年12月15日、クラクフ)で、コルベルクは“1826年か1827年”としている。より正確な作曲年の推定はショパン自身の手紙によって可能とされ、そこでは、1827年1月8日に、印刷された彼のマズルカ(※複数形)のうちの一つをヤン・ビアウォブウォツキに送っている。) しかしながら、ここで問題にしているこのマズールの場合、この種の証拠がなく、現時点では、その作品を取り巻く状況を確認するための、現存する原稿やその他の公正な判断を下せる資料が我々にはない。その上、コルベルクが数年後(1878年12月3日)にブライトコップ&ヘルテル社宛に書いた手紙では、彼は自分で作曲年を1828年か1829年と記している。この手紙は他にも、このマズールの2番目のバージョンについての情報ももたらしている:ショパンは1832年に、パリから彼の姉妹ルドヴィカにそれを送ったらしく、そしてコルベルクは“2年後に”その自筆譜から写譜をとった。この作曲年に関する矛盾にも拘らず、コルベルクの話で最も重要な点は損なわれないため、ナショナル・エディションの編集者はこのマズール・ニ長調をマズルカ集の巻ではなく、本補遺集に収める事に決定した。と言うのも、この著名な民謡学者が、彼の提供したテキストに基づいてショパンの死後に出版された作品群に、任意の変更を施していたためである。現存している自筆譜のお陰で、そのような干渉が多方面に渡って見つかっており、たとえば、《ポロネーズ 変ロ短調(※第15番「別れ」遺作)》《レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ(※ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作)》においてである。コルベルクを唯一の情報源として知られているこの状況においては、このマズ-ルの両バージョンのテキストが完全に信用できるものであると見なす事はできない。」


要するに、このマズルカはショパンの作品であると見なす事はできるものの、コルベルクの写譜には改ざん(?)の前例があるため、その内容を全面的に信用する事はできない…と言う事で『補遺』に回した…と言う事のようですね。
確かにオスカル・コルベルクと言う人は、ショパンも生前、彼の編纂した《ポーランド民謡集》について、音を飾り過ぎてオリジナルの美しさが荒らされていると言う様な趣旨の批判をしていたので(※1847年3月28日~4月18日付の家族宛の手紙)、私の中でもあまり信用できない人と言うイメージがあります。
でも、これだと結局は状況証拠による主観的な憶測でしかありませんから(分かりやすく言うと、前科がある奴だからここでもきっとやってるに違いない…みたいな…)、なんか、エキエルは自分の長年の研究成果の痕跡を何とかナショナル・エディションに反映させようと、むりやり理屈をこねているかのようにも受け取れかねない判断と解説…にも思えてしまうのですが…。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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この記事へのコメント

nao
2013年07月01日 02:45
このマズルカの2つのバージョンが両方とも本編マズルカ集に入れられず、補遺に回されたことについて、エキエルは何とコメントしているのですか?(ハ長調のマズルカも補遺に収録されていますが、この曲にはやはり偽作説があります)
トモロー
2013年07月01日 11:41
nao様へ。
とても有意義なご質問、どうも有り難う御座います。長くなってしまいますので、記事の本文に【追記】する形でお答えさせて頂きました。
なお、《マズルカ 第57番 ハ長調 遺作》につきましては、推定作曲年が1833年なので近々該当記事を書く予定でおりますから、少々お待ち頂きたく存じます。
nao
2013年07月03日 03:37
追記読ませていただきました。私もトモローさんと同感ですね。まぁ変ホ長調のワルツに対する処遇と違って全集に収録はされるので補遺でもなんでもいいですけど、ショパンの自筆稿が出てこなければこのマズルカはずっと半偽作扱いになるわけで、この先自筆稿が発見される可能性の方がずっと低いように思える以上、なんともすっきりしない処置です。現行のままでショパンのオリジナルとしての真正性が十分保たれているのかもしれないのに。他者による写譜でしか伝えられていない、本来「完全に信用できるものではない」ショパン作品などたくさんありますが、他の作品でのO・コルベルクの改竄がよほどひどいということなのでしょうか。
それでも《3つのエコセーズ》ではコルベルク>フォンタナなんですね。
トモロー
2013年07月03日 17:25
nao様へ。
そうなんですよね…エキエル氏の判断基準(主観)には、ちょっと首を傾げたくなるような点がしばしば見られますね。その辺の事については、プロのピアニストの方の中からも批判めいたコメントがあったのをどこかで読んだ覚えがあります。
自筆譜絶対主義に囚われるあまり、資料を分析する上で考えうるあらゆる可能性を考慮していないのではないだろうか?と思う事もあります。

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