ショパン:ポロネーズ 第12番 変ロ長調 遺作 KK IVa-1/BI 3

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ショパン作曲:ポロネーズ 第12番 変ロ長調 遺作 by Tomoro




Chopin : Polonaise No.12 in B flat major Op.posth. /Tomoro

● 作曲年:1817年
● 出版年:1910年
● 献呈者:なし


 【ジャンル解説】
ポロネーズはフランス語で「ポーランド風」の意味があり、その名の通りポーランドの民族舞踏の一種です。
マズルカ同様、農民や市民によって踊り継がれていたものが、やがて士族や貴族階級にまで広がって洗練されていったと言われています。
行進曲的な色合いもあり、様々な式典等で踊られる事が多いようです。


 【作品解説】
《ポロネーズ 第12番》は、《第11番 ト短調》と同じ8歳の時の作品ですが、こちらはリアルタイムでは出版されませんでした。
ショパンの生前1834年に出版されたと伝えている著書もある一方、初出版は1910年であるとか、1947年であるとか、様々な情報が錯綜しており、どれが本当なのかよく分かりません。
尚、こう言った作品を系統だって分類する手立てとして、ポーランドのショパン研究家クリスティナ・コビランスカ(Krystyna Kobylańska)による『作品番号のない作品目録』の分類番号「KK」があり、そこではこの作品は「KK IVa-1」とされています。
更に、 モーリス・J.E.ブラウン(Maurice J.E. Brown)がショパンの全作品に与えた作曲順の通し番号「BI」では、この作品は「BI 3」とされています。また、ナショナル・エディションでは、この曲が最初期の作品として「WN1」という新しい分類番号が振られています。

この曲は元々、父ニコラの写譜によって知られていましたが、その楽譜は現在では失われています。
ちなみに、幼年期のショパンの曲をニコラが採譜していたと伝えている著書を時々見かけますが、ニコラの生まれ育った時代背景やその生活環境(境遇)から、彼がそのような高度な音楽教育を受けていたとは非常に考えにくいです。
ショパンの両親の音楽的素養については、後世の人々によってかなり美化して伝えられているようです。
(※その詳細については『幼年期のグリーティングカードが語るショパンの家庭環境』で)。
実際にショパンの曲を採譜していたのは、当時ニコラの経営する寄宿学校でピアノ教師として雇われ、その傍らショパン家の子供達も教えていたジヴニーでした。

この《ポロネーズ 第12番 変ロ長調》が書かれた翌年、当時ワルシャワを統治していたロシア皇帝の母マリア・テオドロヴナがワルシャワの大学と高等中学校を訪問した際、ショパンが2つのポロネーズを捧げたと、1818年10月6日のワルシャワの新聞『新聞特派員(GAZETA KORRESPONDANTE)第80号』に書かれています。
その2曲とは、この曲と《第11番 ト短調》だったのではないかとも云われていますが、確かな事は分かっていません。
2つのポロネーズを比べると、こちらの《第12番》の方はまるでモーツァルト作品のようで、ショパンのポロネーズらしさがやや希薄である事から、これがショパンの処女作だったのでは?という可能性も考えられそうです。
《第11番》の出版を伝えた1818年1月の『ワルシャワ評論』には、ショパンは当時すでに、“数曲のワルツや変奏曲も作曲している”と書かれていますが、それらの作品については、具体的な事は何も分かっていません。


【追記】
最新のナショナル・エディション(エキエル版)による『ポロネーズ遺作集』では、この曲が最も古いポロネーズとして第1曲目に掲載されています。
その解説によりますと、
「自筆譜はほぼ確実に製作される事はなかった。ユゼフ・エルスネルの原稿は、おそらく1817年の前半に、少年ショパンの弾くポロネーズを採譜して書かれた(オリジナルは失われている。写真複写がワルシャワのフレデリック・ショパン協会のコレクションに収められている)。それは今まで、ショパンの最初の教師ヴォイチェフ・ジヴニー、あるいは作曲家の父ミコワイ・ショパンの原稿であると信じられてきた。このポロネーズのこれまでの全ての版は―直接的あるいは間接的に―この原稿が基本テキストとなっていた。」

また、「今までに発見された最も初期の出版物」は1910年のものだとしています。
と言う事は、先述した「ショパンの生前1834年に出版されたと伝えている著書」の情報は誤りと言う事になるようです。

ただ、このポロネーズを最初に採譜したのがエルスネルであるとする説には、やはり私には同意できないものがあります。
なぜなら、その「写真複写」なるものを私も書籍資料で見ましたが、それはきれいに清書された楽譜なので、これが採譜のオリジナルであるはずがないからです。採譜と言うのは言わば速記みたいなものですから、もっと、書いた本人にしか分からないような乱雑な記譜になるはずなんですね。
なので、そのエルスネルの原稿というのは、おそらくジヴニーが採譜したものを写譜したもので、だからこそ最初から清書されているのであろうと、そう考えるのが自然なように思えるのです。
とにかく、当時ショパンがピアノを習っていたのはジヴニーであり、彼はショパン家と共に家族同然の生活を送り、ショパンは楽譜の書き方も彼から学んでいました。その証拠と成果が正に、1821年の、ショパンの最初の自筆譜である《ポロネーズ 第13番 変イ長調》のジヴニーへの献呈でした。
ショパンがワルシャワ音楽院でエルスネルに本格的な作曲の指導を受け始めるのは1826年以降であり、もちろんエルスネルはそれ以前からずっとショパン家の良き友人であり続けてはいましたが、彼は決して、初期のショパンとジヴニーの師弟関係に割って入るような真似はしなかったのではないかと、私にはそう思われるのです。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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