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ショパン:練習曲 第8番 ヘ長調 作品10-8

2013/06/27 14:01
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:練習曲 第8番 ヘ長調 作品10-8 by Tomoro




Chopin : Étude No.8 in F major Op.10-8 /Tomoro

● 作曲年:1833年
● 出版年:1833年
● 献呈者:フランツ・リスト

 【ジャンル解説】
練習曲(エチュード)は、その名の通り、楽器の演奏技術を習得する手助けとなるように考慮された音楽作品です。
一口に練習曲と言っても、これには大きく分けて3種類あると言えます。

  1. 《ハノン》(シャルル=ルイ・アノン:Charles-Louis Hanon, 1819−1900)に代表されるような、機械的な運指の反復練習のみに特化して、楽曲としての体裁を成していないもの。
  2. 《ツェルニー》(カール・チェルニー:Carl Czerny, 1791−1857)に代表されるような、一応楽曲としての体裁は成しているものの、あくまでも練習曲であって演奏会で弾く事を目的としないもの。
  3. 《ショパン》や《リスト》(フランツ・リスト:Franz Liszt, 1811−1886)に代表されるような、プロが演奏会で弾く事を前提に、最高度の演奏技術を要求すると共に性格的小品としての芸術性をも兼ね備えたもの。


 【作品解説】
ショパンの《練習曲 第8番 ハ長調》は、《12の練習曲 作品10》の第8曲目です。
右手のパッセージ(経過句、走句)のための練習曲と言われており、指の独立性や手首の柔軟性を要求されます。

この曲は、特に何かにたとえられたりする俗称のようなものはありませんが、《作品10》の中では、とてもユーモラスな印象を受ける作品で、私などは個人的に、この曲を聴くと何故か“象の行進”をイメージしてしまいます。



前回に引き続き、《12の練習曲 作品10》を献呈されたリストについて、ショパンとの比較を交えながら書いてみたいと思います。
第3回目の今日は、彼らの子供時代の教育事情についてです。


リストの祖父ゲオルク(Georg Liszt 1755−1844)は学校の教師でしたから、父アダム(Ádám Liszt 1776−1827)にはそれなりの教育を施しており、アダムは高等教育まで受けさせてもらっています。
高校卒業後、アダムはスロヴァキアのフランシスコ教会で修道士となるべく修行を積んでいたのですが、しかしそれに関しては、本人の移り気な性格のために断念し、還俗したそうです。
その後1797年からプレスブルク大学の学生として哲学を専攻しますが、これについては経済的事情のために一年で断念せざるを得なくなります。
こうして見ると、祖父の影響もあるのでしょうが、若い頃のアダムはそれなりに教育に関心を持っていたようではあるのですが、しかしながら、いざ自分の息子に対してとなると、もちろん経済的な事情も大きいのですが、それほど教育熱心ではなかったようですね。

リストの初等教育は、村の学校教師ヨハン・ローラーによって行なわれました。
ローラーがドボルヤーン(現在のオーストリア領ライディング)の教師として任命されて来た時、彼はまだ22歳と若く、ドイツ語を話し、小さな学校には67人の子供たちがいて、男の子が52人、女の子が15人、少年リストはその中で読み書きを習いました。
なので、リストの両親がそうだったように、ハンガリー西部の何千もの人達と同様、リストもドイツ語を話しました。しかし、そもそもドボルヤーン自体がドイツ語を話す村だったのです。
しかも彼は12歳でパリに渡りますから、それ以降はもっぱらフランス語を使うようになります。
そのためリストは、マジャール語(ハンガリー語)を話す事が出来ないまま育ち、そしてそのまま生涯を通す事になるのでした。

後にリストが語ったところによると、少年時代の彼は、貧しい初等教育に留まり、歴史や地理、あるいは自然科学等の一般教養を学ぶ事など考えられず、その事をとても残念に思っていたそうです。
若くして音楽家として有名になり、上流社会との交わりが増えるにつれ、彼はそんな自分の無教養さに非常なコンプレックスを抱くようになります。そしてそれを補おうとして、膨大な読書量をこなすようになるのですが、このように、リストには、向上心が強く、努力家の一面もありました。


一方のショパンはと言うと、彼の父ニコラは、元々はフランス・ロレーヌ地方の片田舎で車大工と葡萄園を兼業する第三身分の出身でしたが、フランス革命を前にした国の混乱から逃れるようにワルシャワへ渡り、叩き上げのフランス語教師として高等学校の教授にまで登り詰めました。
その傍ら、自宅を学生用の寄宿学校にして、地方の裕福な貴族や士族の子息達を預かる事もしていましたから、もちろん自分の子供たちに対しても教育熱心でした。
少年ショパンは病気がちだった事もあってか学校には通っていませんでしたが、そんな事は全く問題にならず、学校同然だった家庭環境のお陰で、同世代の友人達に混じって一般教養なども身につけられたのです。
ショパンは、父はフランス人で母はポーランド人でしたから、基本的にはポーランド語を母国語として話し、フランス語も第二母国語と言って差し支えない程度に読み書きまで出来ましたし、その上、ショパン家の子供たちは皆、更なる教育によってドイツ語にも精通していたのです。
しかもショパンは、高等学校に編入した3年間は常に成績優秀者として賞をもらっていた程でしたから、その意味でも、リストが抱いていたようなコンプレックスとは無縁だったのでした。


続く…

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ショパン:練習曲 第7番 ハ長調 作品10-7

2013/06/24 02:13
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:練習曲 第7番 ハ長調 作品10-7 by Tomoro




Chopin : Étude No.7 in C major Op.10-7 /Tomoro

● 作曲年:1833年
● 出版年:1833年
● 献呈者:フランツ・リスト

 【ジャンル解説】
練習曲(エチュード)は、その名の通り、楽器の演奏技術を習得する手助けとなるように考慮された音楽作品です。
一口に練習曲と言っても、これには大きく分けて3種類あると言えます。

  1. 《ハノン》(シャルル=ルイ・アノン:Charles-Louis Hanon, 1819−1900)に代表されるような、機械的な運指の反復練習のみに特化して、楽曲としての体裁を成していないもの。
  2. 《ツェルニー》(カール・チェルニー:Carl Czerny, 1791−1857)に代表されるような、一応楽曲としての体裁は成しているものの、あくまでも練習曲であって演奏会で弾く事を目的としないもの。
  3. 《ショパン》や《リスト》(フランツ・リスト:Franz Liszt, 1811−1886)に代表されるような、プロが演奏会で弾く事を前提に、最高度の演奏技術を要求すると共に性格的小品としての芸術性をも兼ね備えたもの。


 【作品解説】
ショパンの《練習曲 第7番 ハ長調》は、《12の練習曲 作品10》の第7曲目です。
右手が絶えず16分音符の重音を刻み、それをレガート(音を滑らかにつなげて演奏する事)で弾くための練習曲です。
さらに、上声部と低音部が対位法的に旋律を奏でており、そのバランスも考慮しなければなりませんから、その中からメロディーを浮き立たせるのは容易ではありません。

このエチュードは、“雪上の狩り”、あるいは“空飛ぶ妖精の飛行”等に例えられる事もあるそうです。


今回は、この《12の練習曲 作品10》を献呈されたリストについて、ショパンとの比較を交えながら書いてみるシリーズの第2回目です。
今回は彼の幼児期について書いてみたいと思います。


リストは、父アダムと母アンナの間に一人っ子として生まれました。
意外な事に、赤ん坊の頃のリストは、体が弱くて病気がちだったそうです。
この点はショパンと同じと言うか、むしろショパンよりひどかったようで、アダムによると、神経症による痛みと発熱に襲われ、一度ならず命の危険にさらされたそうです。
と言うのも、リストが生まれたドボルヤーン(現在のオーストリア領ライディング)と言う寒村は、ハンガリーの西端に位置しているのですが、更に行くとハンガリーとオーストリアをまたがるノイジードル湖(ノイジードラー湖)と言う大きな湖があり、そこは低地の湿地帯で、そこが常に病気の感染源となっていたからでした。
なので、この地域は幼児の死亡率が高かったとの事です。
それでアダムは、赤ん坊に予防接種を受けさせるなどして、当時としては先進的な医療処置を施していたのだそうです。

リストが3歳の誕生日を迎えようとしていた時、こんな事がありました。
ある時リストは、危機的な病状に陥ってしまいます。
その症状は強梗(きょうこう)症(ヒステリーなどに伴う筋肉の硬直・無感覚状態)に似ていて、両親はもう助からないと思ったのか、子供が死んだ時のためにと、村の大工に棺桶を作るよう注文しました。
ところが、そうしたらその後間もなく回復したのだそうです。
この重病の間、リストはずっと叔母のテレーズ(母アンナの妹)に看病されていて、後にリスト本人が語ったところによると、彼女が彼を死の淵から救い出したとの事です。

ショパンが小さい頃から病弱だったと言うのは有名ですが、それでも幼児期や幼少期に死の境をさまよったなんてエピソードは聞きませんからね。
ショパンがそんな目に遭うのはむしろ成人してからで、ある時などは、風邪でずっと寝込んでいたら死亡説の噂が立ってしまったなんて事がありました。

我々が知っているリストは、ショパンの倍近く長生きしているし、その力強く華やかな演奏スタイルから、まるで病気とは無縁のようなイメージを抱きがちですが、彼は生涯を通じて、よく発熱に襲われたりして元気がなくなったりする事があったのだそうです。


続く…

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ショパン(?):フルートとピアノのための「シンデレラ」の主題による変奏曲 ホ長調(遺作)

2013/06/17 05:11
♪今日のBGM♪

ショパン作曲(?):フルートとピアノのための「シンデレラ」の主題による変奏曲 ホ長調(遺作)


● 作曲年:1825〜1830年頃?
● 出版年:1959年
● 献呈者:ユゼフ・チホツキ(?)


 【ジャンル解説】
ピアノの詩人と謳われるショパンは、その作品のほとんどがピアノ独奏曲で、室内楽曲はこれを含めてもたったの4曲しか書いていません。

  1. ピアノ三重奏曲 ト短調 作品8
  2. チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3
  3. チェロとピアノのための「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲 ホ長調
  4. チェロ・ソナタ ト短調 作品65

ショパンがピアノ以外に注目していた楽器がチェロだったと言うのがよく分かります。


 【作品解説】
予定では、今回は《12の練習曲 作品10》のシリーズでリストとショパンの幼少期について書くつもりでいたのですが、その参考文献として注文した洋書が待てど暮らせど一向に届かず、それで書くに書けずに更新が滞ってしまっています。

そうこうしているうちに、《「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲》の記事のコメント欄でご質問を頂きましたので、急遽それをテーマに記事を書く事にしました。

今回のテーマは、「偽作の疑いがかけられているショパン作品」についてです。
この問題について考える時、もはや資料的根拠を示してその真偽を探るのは不可能です。ですから、あくまでも主観的な感想を述べるに留まらざるを得ないので、言葉は慎重に選ばなくてはいけないでしょうね。


まず、《シンデレラによる変奏曲》について。
この作品の偽作説については当ブログで過去に何度か触れており、私自身も偽作と考えている由を書いていたのですが、今回はその根拠についてもう少し深く掘り下げてみようと思います。

この曲を考える上で私が問題視するのは、やはりピアノ・パートなんですね。
何故なら、それがショパン作品かどうかが問題な訳ですから、そうすると、ピアノ・パートについて検証する以外に、ショパンとその作品をつなぐ糸は何も考えられないからです。
「ピアノの詩人」と謳われるショパンは、その全作品において、ピアノを伴わない曲は無伴奏で書かれた歌曲《マズル・どんな花》のたった一曲だけなのです。

この変奏曲については、ショパンの全曲解説を謳った書物でも全く触れられていない事が多いのですが、たとえば下田幸二著『聴くために 弾くために ショパン全曲解説』では、次のように解説されています。
「この曲は、ショパンの友人であったヨゼフ・ノヴァコフスキが所有していたものが巡って今世紀になって世に出た作品で、成立過程はよく分かっていない。原典になっている、以前は自筆譜と考えられていたそのノヴァコフスキ所有の筆写譜は、フルートと別れて書かれているピアノ・パートが「テーマ、第1、3、4変奏用」と、「第2変奏用」の二つしかなく、あまりにも単純な伴奏で、しかも変奏時、ピアノがフルートと和声上あわない箇所が生まれることなどから、このピアノ・パートないし、この曲自体の真実性を疑問視する意見もある。
また、主要のテーマはロッシーニのオペラ「シンデレラ」中のアリア、“Non più mesta”(もう悲しくなく)からであるというのが定説だが、それも疑わしい。と言うのは、この旋律は、ロッシーニが自身のオペラ「セヴィリアの理髪師」から代作したもので、ショパンはセヴィリアの理髪師を聴いたことを、友人のヤン・ビャウォブウォツキ宛の手紙に1825年10月30日付で書いており、それはシンデレラを聴く以前だったと考えられるからである。」
(※下田幸二著『聴くために 弾くために ショパン全曲解説』(ショパン)より)


ここに書かれているユゼフ・ノヴァコフスキ(Józef Nowakowski 1800−1865)と言うのは、単なる友人ではなく、彼もまたポーランドの作曲家兼ピアニストであり、1821年から26年までワルシャワ音楽院に在籍し、ショパン同様エルスネルとヴェルフェルの下で学びました。
ショパンの入学が1826年からですから、この両者はちょうど入れ替わる形で音楽院に在籍していた事になります。つまりショパンにとって彼は兄弟子になる訳です。

また、この曲を個人献呈されたと考えられているユゼフ・チホツキについては、ショパンは友人に宛てた手紙の中で次のように書いています。
「昨日、チホツキを訪問した。例の肥えた男で、彼の命名日のお祝い会があった。ピアノ、クラリネット、ファゴット、ホルン、フルートと共演するシュポーアの五重奏曲を演奏した。非常に美しい曲だ。しかし、指の動かし方が大変だ。ピアノ曲として全てのこと(技)を意図的に、これ見よがしに盛り込んだ作曲だ。 耐え難いほどに難しく、指を持って行く場所が時々分からなくなるほどだ。」
(※『1830年9月18日付ティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』より→全文はこちら

おそらく、この中でフルートを吹いているのがチホツキなのだろうか?とも思われるのですが、だとすれば、少なくとも彼らはこのような難曲を共演するようなレベルの演奏家仲間だった事になります。ちなみに、ルイ・シュポーア(Louis Spohr 1784−1859)の《ピアノ五重奏曲 ニ長調 作品130》とは、こんな曲です(↓)



そうなると尚の事、この変奏曲における「ショパンのピアノ・パート」の低レベル振りには違和感を拭えない事になります。

それに、チホツキの名がショパンの手紙に出てくるのはこれっきりで、この書かれ方から見ても、作品を個人献呈するほど親密だったとも思えません。
逆に、仮にショパンがこの曲をチホツキのために書いたのだとしたら、作曲年は彼らの交流があったこの1830年頃(※当時21歳)だと言う事になります。
その頃には、ショパンは既に、変奏曲では《ドイツ民謡「スイスの少年」による変奏曲》(1826年)、《4手のための変奏曲》(1826年)、《「お手をどうぞ」による変奏曲》(1827年)を書いており、さらに室内楽では《ピアノ三重奏曲》(1829年)を書いています。
その後に、このような超古典的で何一つ独創性の盛り込まれていない、しかも初心者的なピアノ・パートの変奏曲を書くでしょうか?

ショパンが《変奏曲》と銘打って書いた作品には、必ず、初期のショパンらしい序奏と終結部があります。
逆に《変奏曲》と銘打たれていない《パガニーニの思い出》と《子守唄》は、それとは完全に区別されるべきものだと考えています。なぜならこの2曲は、あくまでもピアノ独奏曲であり、更に、左手の伴奏をあえて単純に繰り返す事が重要な意味を持つよう意図して書かれた作品だからです。そうする事によって、右手の変奏を際立たせると共に、曲の終わりの方で初めて見せる和声上の変化が絶大な効果をもたらすように作られているのです。
しかしながら、《シンデレラ》の伴奏が単純である事には、そのような音楽的意図が何もありません。本当にただの伴奏でしかないんです。

また、《ショパンの室内楽作品》として見ても違和感があります。
何故なら、多楽章形式(=ソナタ形式)の《チェロ・ソナタ》と《ピアノ三重奏曲》は別として、《チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ》《チェロとピアノのための「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲》にも、やはり「ショパンの変奏曲」と同様の序奏と終結部があるからです。
つまり《シンデレラ》には、「ショパンの室内楽」、ないしは「ショパンの変奏曲」に必ずあるはずの特徴が何もないんですね。
確かに一般的な意味での《変奏曲》としては、本来の在り方として奇異ではありません。でも、これはあくまでもショパンの作品か否かが問題なのですから、そのショパンの作品の慣例からすれば、これはやはり私には奇異に映ってしまうのです。

また、ショパンが書いた室内楽は、いずれもその成立過程がはっきりしています。
《ピアノ三重奏曲》はワルシャワ音楽院の卒業課題として書かされたものだし、《序奏と華麗なるポロネーズ》は玄人はだしのアマチュア・チェリストでもあるラジヴィウ公爵とその娘のワンダ姫が父娘で共演を楽しめるように書いてあげたものだし、そして《悪魔のロベール》は出版者から依頼され、それを友人でチェリストのフランコムとの親交を温めるために共作されたものです。
つまり、どれ一つとしてショパンが一人で自発的に書いたものではありません。
いずれも、誰かしらために書いたり書かされたりしたものばかりです。要するに、そんな事でもない限り、ショパンは室内楽の作曲には興味が持てなかったと言う事なんですね。
だとすれば、この《シンデレラによる変奏曲》も、仮にショパンがそれを書いたのであれば、必ず何かしら他者が絡んだ成立過程があったはずなんです。
その他者がチホツキだとすると、先述したように、その作曲時期と作風は、明らかにショパンの作曲年表の中では異質なまでに浮きまくっています。

ショパンが友人のために室内楽を書き、あるいは友人がショパンにそれを依頼すると言う事は、すなわち両者が共演を楽しむ事が目的で曲が書かれると言うことです。
だとすれば、「ショパンの室内楽」に限っては、常に共演楽器が対等の立場で扱われ、その主従関係がはっきり分けられてしまうような作品が書かれる事は考えられない事になります。つまり、完全にフルートが主役でピアノが伴奏のみに徹する《シンデレラによる変奏曲》のような作品が、ショパンの手によって書かれるはずがないと言う事なんです。
たとえば、仮に私がフルート奏者で、友人であるショパンが私のためにこの曲を書いてくれて、一緒に演奏を楽しむ事になったとしたら、私は間違いなく彼にこう言うでしょう…「なあフレデリックよ、その幼稚園レベルのピアノ伴奏に徹するのだけはやめてくれないか? そんなんじゃ、せっかく君の曲を君と共演する意味が何もないじゃないか。君だって、自分で弾いてて面白くも何ともないだろ? いつもチェリストの友人達とやるみたいにド派手にしてくれよ。ナンでオレん時だけそんな地味なんだよ!」と…。


この曲をYouTubeで検索してみると、プロアマを問わずたくさんの動画がアップされているのに驚きます。ところが、それ以上に驚いたのは、伴奏が必ずしもピアノとは限っていない事なんですね。ハープやギターを伴奏にしている人がかなりたくさんいる事に気付きます。そしてそれらを聴いてみると、全く何の違和感もない訳です。要するにこの曲の伴奏は、最初からピアノでなければならないと言う必然性なり音楽的根拠なりが何にもないと言う事なんです。別にピアノじゃなくてもいい、それはすなわち、別にショパンじゃなくてもいいと言っているに等しい訳で、果たしてそんなピアノをショパンが書き、そして演奏するだろうか?と思ってしまう訳です。

ハープ伴奏の例(↓)

ギター伴奏の例(↓)




私が思うに、この曲はおそらくノヴァコフスキ自身が書いた遺作で、彼がチホツキに個人献呈する目的で書いたものが、その彼らがショパンと共通の友人だったために、その交遊録の絡みから、いつの間にかショパン作品と誤認されて巡り巡ってしまっただけなのではないか?とも思うのです(あるいは、彼らがショパンの名声を自身の売名行為のために利用しようとしたのではないか?…などとは、あまり考えたくはないですけど…)。

ただ、誤解して欲しくないのは、私はこの曲はショパンが書いたものではないと言っているだけで、作品そのものを否定している訳ではありません。
変奏曲としての出来はさて置くとしても、この原曲であるロッシーニの旋律はとても好きで、仮にこれが誰の書いた変奏曲であるにせよ、これだけ多くのフルート奏者に取り上げられている理由もよく分かります。



その他の「偽作の疑いがかけられている曲」について。

《パガニーニの思い出》《コントルダンス》《ポロネーズ 変ト長調》(←これは第16番の事ですか?)に偽作説があるなんて、私は知りませんでした。勉強不足で申し訳ありません。

《パガニーニの思い出》については、これは元々他人の曲をテーマに用いた変奏(編曲)作品ではありますが、やはり晩年の《子守唄》に連なる要素を持った初期の作品と捉えられるので、私は今まで偽作と感じた事はありませんでした。

《コントルダンス》《ポロネーズ 第16番 変ト長調》については、どちらも決して名曲とは言えないのかもしれないけれども、明らかに音楽的霊感が感じられ、聴いた後にその旋律が耳に残ります。つまり、少なくとも才能のない人間には決して生み落とせない類の作品である事は間違いありません。なので、これらがショパン作品である事を疑った事もありません。

《マズルカ ニ長調 KK Anh.Ia-1》
この曲については、ドレミ楽譜出版社の「ショパン・ピアノ名曲辞典」に「疑わしい作品」と言う項目があり、その資料として筆写譜の冒頭の7小節が掲載されていて、現在私はそれしか情報を持っていません。
なので何とも言えませんが、この箇所だけを聴いた限りでは何の音楽的霊感も感じられず、旋律も耳に残りません。これがショパンの曲であろうとなかろうと、私にはちょっと興味が湧いてこない曲です…。

《憂うつなワルツ 嬰ヘ短調》
これは、上記の「疑わしい作品」の解説によると、筆写譜の表題に「Valse mélancolique Chopin(??)」と書かれていたそうです。もうその時点でショパンの作品じゃないと分かります。ショパンがそのような安易な表題を書くはずがないからです。
当ブログの《ワルツ 第3番 イ短調 作品34-2》の記事でも書きましたが、ショパンがレンツに語ったところでは、彼は《ワルツ 第3番》を“これは物憂げなワルツです。”と説明しはしましたが、決してそのような表題は付けませんでした。
この二つの“ワルツ・メランコリック”を聴き比べれば歴然としているように、偽作の方は、単に《ワルツ 第3番》やその他のショパン作品を模倣して雰囲気だけなぞった曲である事が一目瞭然です(↓)

インスピレーションを感じさせるような旋律は一つも出てきませんし、展開にもメリハリがなく全体的にのっぺりしています。これをどうしてショパンが書いたと信じられるでしょうか? この程度の曲であれば、ちょっと作曲を勉強した事のある者なら誰にでも書けてしまいます。

《忘れられたノクターン(Nocturne Oubliée) 嬰ハ短調 KK Anh.Ia-6》
これも同じです。これはショパンのノクターンではなく、ジョン・フィールドのノクターンだと言われれば、誰もが信じて疑わないのではないでしょうか?
短調で書かれたフィールドのノクターンは三つあり、それらはこんな感じです(↓)





どうでしょう? これらだって十分にショパンっぽいと言えばショパンっぽいですよね? 実際はショパンがこれらから影響されてノクターンを書き始めたのですが、たとえばこれらフィールドのノクターンの中に《忘れられたノクターン 嬰ハ短調》が含まれていたとしても、誰も何も違和感は覚えないのではないでしょうか(↓)

これら全てに共通しているのは、音楽構成上の平坦さです。つまり全体的にのっぺりしていて、ショパン作品にあるような明確なメリハリがないんです。次の展開を期待させるような高揚感もない。だから、正直なところ聴いていて途中で飽きてきてしまうんですね。とにかく、第一主題が何の変奏も転調も加えられる事なくそのまま4回も繰り返されるなんて…。ワルツやマズルカのような舞踏作品ならまだしも、ショパンのノクターンでそのような楽曲構成はありえません。つまり、凡庸な第一主題だから想像力も掻き立てられず、だから音も膨らませられないし、作曲者自身にそのような編曲能力も備わっていないと言う事なんですね。
ちなみにこの曲は、上記の「疑わしい作品」の解説によると、自筆譜や筆写譜ももちろん不明で、「パデレフスキ版の校訂者であるL.ブロナルスキは、この曲をかなりショパンの書式に似てはいるものの、疑わしいとしている」そうです。私もそう思います。

要するに、単に雰囲気だけをなぞったBGM的な曲で、だからそれなりに心地よくはあるのだけれども、それじゃあ聴き終わった後に耳に残る旋律があったかと言うと…、ないんですよね…。これがショパンの曲なら、一曲を通して印象的なフレーズが一つもなかったなんて事はまずありません。彼はインスピレーション(霊感)によって作曲するタイプなので、それがないと曲が書けないし書こうとも思わないからです。
ショパンが、ほとんどピアノ独奏用の小品しか書かないのに寡作なのは、つまりそう言う事だからです。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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ショパン:練習曲 第6番 変ホ短調 作品10-6

2013/05/21 15:42
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:練習曲 第6番 変ホ短調 作品10-6 by Tomoro




Chopin : Étude No.6 in E♭ minor Op.10-6 /Tomoro

● 作曲年:1833年
● 出版年:1833年
● 献呈者:フランツ・リスト

 【ジャンル解説】
練習曲(エチュード)は、その名の通り、楽器の演奏技術を習得する手助けとなるように考慮された音楽作品です。
一口に練習曲と言っても、これには大きく分けて3種類あると言えます。

  1. 《ハノン》(シャルル=ルイ・アノン:Charles-Louis Hanon, 1819−1900)に代表されるような、機械的な運指の反復練習のみに特化して、楽曲としての体裁を成していないもの。
  2. 《ツェルニー》(カール・チェルニー:Carl Czerny, 1791−1857)に代表されるような、一応楽曲としての体裁は成しているものの、あくまでも練習曲であって演奏会で弾く事を目的としないもの。
  3. 《ショパン》や《リスト》(フランツ・リスト:Franz Liszt, 1811−1886)に代表されるような、プロが演奏会で弾く事を前提に、最高度の演奏技術を要求すると共に性格的小品としての芸術性をも兼ね備えたもの。


 【作品解説】
ショパンの《練習曲 第6番 変ホ短調》は、《12の練習曲 作品10》の第6曲目です。
ノクターンを思わせるようなメランコリックな曲ですが、主旋律を奏でる高音部と、絶えず8分音符が動く内声部と、低音部の3部からなる、多声部のための練習曲です。


さて、今回からはシリーズで、この《12の練習曲 作品10》を献呈されたリストについて、ショパンとの比較を交えながら書いてみたいと思います。


リストの国籍については色々と言われてはいますが、本人ははっきり自分をハンガリー人だと言っています。
当時のハンガリーはハプスブルグ家の支配下にあり、かつてはオスマントルコなどに分割支配されていた事もありますから、ショパンの祖国ポーランドがロシア、オーストリア、プロイセンに分割支配されていたのと、歴史的に似通ったところがあります。
音楽的な意味でも、彼ら以前にはまだ両国からは世界的な音楽家が輩出されていなかったので、共に発展途上国だったという点でも共通しています。

リストは、ハンガリーの西端に位置するドボルヤーン(現在のオーストリア領ライディング)と言う寒村に、一人っ子として生まれ育ちました。
平民出身で片田舎に生まれたと言う点ではショパンと同じですが、ショパンが姉一人妹二人の四人兄弟(姉弟?兄妹?)だったのとは対照的ですね。
ドボルヤーンは当時、ハンガリーの大貴族エステルハージ公爵の所領で、エステルハージ家は、ハイドンのパトロンとしても知られる非常に音楽に造詣の深い家系でした。

リストの曾祖父セバスチャンはドイツ系移民の小作人でしたが、祖父ゲオルクは学校の教師などをしながらピアノやヴァイオリンなども演奏していたそうです。
父アダムはエステルハージ家に仕える役人で、かつてハイドンが楽長を勤めていた宮廷楽団でチェロ奏者を勤めていたと云われており、そうするとアダムは、ハイドンの後任であるフンメル(モーツァルトの弟子)の下で演奏していた事になるそうです。アダムはアマチュアながらも、優れた腕前を持っていたと云われています。
ショパン家も、父ニコラがフランスからの移民で、祖父の代にはぶどう園も営んでいたので、その辺の家系的事情は似通っています。ただし、ニコラは単なるフランス語の教師で、楽器演奏には精通していませんでしたから(※フルートやヴァイオリンが巧かったというのは後世の作り話です。その詳細についてはこちらで)、その意味では、リストの方は音楽家になるべくしてなったような、そんな環境に生まれたと言ってもいいでしょう。

ちなみにリストが生まれた時、リスト家はまだ、その綴りを「List」としていた事が彼の出生証書から分かっています。
これは、彼らの先祖がドイツ人だったからなのですが、しかしそのままだと「リシュト」と発音されてしまう事から、ハンガリー的に「Liszt」と綴るようにしたのだそうです。
この点はショパン家とは逆ですね。ショパンの場合、「Chopin」と綴ってそれを「ショパン」と発音するのは、それが典型的なフランス名であるからなのですが、ポーランドでは、そのままだと「ショペン」(あるいは「ホペン」)と発音される事から、しばしばポーランド的に「Szopen」と綴られたりする事があるのです。しかし、当の本人達がその綴りを用いようとした事はただの一度もありません。

リストの両親は共にドイツ語を話し、当時ハプスブルグ家がハンガリーのドイツ化を推し進めていた事から、学校教育もドイツ語で行なわれていました。そのためリストは、ドイツ語しか話せないままハンガリー時代の少年期を過ごしたのです。
しかしながら、当時のハンガリーには移民が多く、純粋なハンガリー人は全人口の半分以下でしかありませんでしたから、ハンガリー人のリストがハンガリー語を話せなかったとしても、それは別に珍しい事でも何でもありませんでした。そのような例は、当時においては何処の国でもよくある事なのです。
したがって、それをもってリストがハンガリー人である事に疑問を呈するのは、その国の歴史的事情についての理解が不足しているからなのかもしれません。


続く…

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ショパン:練習曲 第5番 変ト長調 作品10-5「黒鍵」

2013/05/15 13:03
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:練習曲 第5番 変ト長調 作品10-5 「黒鍵」 by Tomoro




Chopin : Étude No.5 in G♭ major Op.10-5 /Tomoro

● 作曲年:1833年
● 出版年:1833年
● 献呈者:フランツ・リスト

 【ジャンル解説】
練習曲(エチュード)は、その名の通り、楽器の演奏技術を習得する手助けとなるように考慮された音楽作品です。
一口に練習曲と言っても、これには大きく分けて3種類あると言えます。

  1. 《ハノン》(シャルル=ルイ・アノン:Charles-Louis Hanon, 1819−1900)に代表されるような、機械的な運指の反復練習のみに特化して、楽曲としての体裁を成していないもの。
  2. 《ツェルニー》(カール・チェルニー:Carl Czerny, 1791−1857)に代表されるような、一応楽曲としての体裁は成しているものの、あくまでも練習曲であって演奏会で弾く事を目的としないもの。
  3. 《ショパン》や《リスト》(フランツ・リスト:Franz Liszt, 1811−1886)に代表されるような、プロが演奏会で弾く事を前提に、最高度の演奏技術を要求すると共に性格的小品としての芸術性をも兼ね備えたもの。


 【作品解説】
ショパンの《練習曲 第5番 変ト長調》は、《12の練習曲 作品10》の第5曲目です。
ピアノの黒い鍵盤ばかりを使うため、一般に「黒鍵のエチュード」と呼ばれ親しまれています。


ショパンはこの曲について、友人に宛てた手紙で次のようにコメントしたとされているのですが…
「…(略)…ヴィーク(※クララ。後のシューマン夫人)は僕のエチュードを巧く弾いたかい? どうして彼女は他にもっと良いものを選ばなかったのだろう――それが黒鍵のためのものだと知らない人には、少しも面白くないだろうに! 黙って座っていた方がまだ良かった。…(略)…」
(※1839年4月25日付『マルセイユのショパンからパリのユリアン・フォンタナ宛の手紙』より)

…これ、本当にショパンがこんな事を書いていたのでしょうか? 私にはどうしても信じられません。

何故ならショパンと言う人は、自分の作品を文学的に解釈されるのを嫌い、だからこそ、自らも自分の作品に対して解説めいた事をほとんど言わないからです。
稀に言う事があったとしても、決して具体的な事は言わず、あくまでも抽象的で間接的な事しか言いません。
したがって、ショパンの手紙にあのような事が書かれている場合、まず「贋作の疑いがある」と考えてみるべきではないかと思われるのです。

それにこのエチュードは、この時すでに出版されてから6年も経っていた訳で、それが黒鍵のために書かれている事ぐらい、この曲を知っている人なら誰でも常識だったはずだからです。
それをわざわざ、同じ音楽家でもあるフォンタナ相手に今更言うでしょうか?

また、確かにこの曲は黒鍵のために書かれてはいますが、しかしそれが全てではない事も事実で、そんな事ぐらいショパン本人が分かっていないはずがありません。
実は、この曲を弾いた事がある人、あるいは楽譜を見た事のある人なら知っていますが、この曲は完全に黒鍵だけで書かれている訳ではありません。白鍵も少し混じっています。
ショパンが本当に黒鍵のためだけに練習曲を書こうと思ったのなら、最後まで白鍵を一つも使う事なしに書き上げる事だって出来たはずです。それなのに何故そうしなかったのでしょうか? それは彼が、自身に湧き上がる音楽的霊感を無視する事が出来なかったからです。つまり、そこに白鍵を混ぜればもっと良い曲になる事が分かっている以上、ショパンはそうする事に何の躊躇もないと言う事なんですね。
もしもこれが、作曲家として才能のない人間だったら、本当に黒鍵だけで曲を書き上げて、この手紙に書かれている通り「少しも面白くない」曲になっていた事でしょう。
要するに、ショパンは、この曲が単に「黒鍵のためだけに書かれたつまらない練習曲」ではない事を、自分でちゃんと分かっていると言う事なんです。
したがって私の考えでは、おそらくこの手紙は贋作で、ショパンが書いたのではない可能性が高いと思います。こんな事を書くのは、音楽の事をよく分かっていない人間、もっと言えば、ショパンの音楽の本質をよく分かっていない人間でしかあり得ないのではないでしょうか。

この手紙には、他にも不自然な点がたくさんあります。
まず、この宛先人であるフォンタナは、ワルシャワ時代からの友人で彼もまた音楽家でしたが、当時はショパンのマネージャーのような事をしていて、ショパンの仕事の手伝いや身の回りの世話などを献身的にしてくれていました。なので、ショパンが彼宛に手紙を書く時、必ずそういった用件を伝えるために書いていたのです。ところが先の手紙には、肝心のその用件が何も書かれていないんですね。
この二人は、普段は同じパリに住んでいますから、ショパンがパリにいる時は直接口頭でやり取りをするので当然手紙は書きません。ショパンがパリを離れている時にのみ、仕事やその他の用件で手紙をやり取りしなければならない事になるのです。そんな訳ですから、かつて離れ離れに暮らしていた「単なる友人」のティトゥス・ヴォイチェホフスキに手紙を書いていたのとは訳が違い、ショパンが何の用件もなしに、ただ世間話をするためだけのためにフォンタナに手紙を書くなんて事はまず考えられない事なのです。

しかも、手紙の内容が、この前後に書かれたフォンタナ宛やグジマワ宛の手紙、あるいはジョルジュ・サンドが友人宛に書いた手紙と、あまりにも重複しすぎています。元来が筆無精のショパンが、同じような話題をただ繰り返すためだけに手紙を書くなんて事は非常に考えにくい事です。
つまり贋作者は、それらをネタ元にして新たな手紙を捏造している可能性が高く、これは、ショパンの贋作書簡には必ず見られる特徴でもあります。
たとえば、上記のクララ・ヴィークについても、ショパンはこの一ヶ月ほど前に書いたフォンタナ宛の手紙にこう書いているのです…
「…(略)…もしも君がクララ・ヴィークを気に入ったのなら、君は正しいよ;彼女は誰よりも上手に弾く。もしも彼女に会ったら、僕から宜しくと伝えておいてくれたまえ、あと彼女の父親にも。…(略)…」
(※1839年3月『マルセイユのショパンからパリのユリアン・フォンタナ宛の手紙』より)

この手紙には日付がありませんが、仕事上の伝達事項が書かれている事からも、ショパンがフォンタナ宛に書いた手紙として疑わしい点は特に見られません。

この当時、クララはパリを訪問中でした。
《「お手をどうぞ」による変奏曲》の記事でも書いた通り、クララは11歳だった1830年に、ショパンのこの変奏曲をいち早くレパートリーに取り入れて話題になっていました。
彼女の父フリードリヒ・ヴィークは、そんな娘を後押しする意味でも、弟子のシューマンが書いた《「お手をどうぞ」による変奏曲》の批評文を発表前にちゃっかり盗用して雑誌に掲載しようと働きかけ、その過程で、パリに着いて間もなくのショパンにもそれを送ったりしていました。
ショパンは、ヴィークの批評文自体は笑い飛ばしていましたが、その後シューマンとの交流を通してヴィーク父娘ともお近付きになり、クララの才能を高く評価して“僕の作品を弾ける唯一のドイツ人”とまで言うようになっていたのです。
だからこそ、フォンタナにも”彼女は誰よりも上手に弾く”と書いていたのに、それがどうして、ただ単に《黒鍵のエチュード》を弾いたと言うだけの理由で、いきなりショパンからあんな言われ方をしなければならないのでしょうか? クララが《黒鍵のエチュード》を巧く弾けるかどうかなんて、そんな事はショパンなら聞かずとも分かっているはずなんです。
なので、私にはとてもショパンのコメントとは思えないんですね。

ショパンの手紙には非常に贋作が多いのですが、それらを捏造するのは、例外なく、国粋主義的なポーランド人です(カラソフスキー然り、タルノフスキー然り、パウリーナ・チェルニツカ然り…)。
なので、その内容は殊更愛国心が強調されたものになっていて、それ故、リストやシューマン、ジョルジュ・サンド等の、同時代の外国人の芸術家達を貶めるような事も多く書かれています。
先の手紙にも如実にその傾向が現れていて、ここでは初期のショパン作品を広めるのに一役買ってくれたクララ・シューマンが餌食にされてしまってます。

とにかくです、この手紙が本物であれ偽物であれ、こういう偏狭と言うか狭量な意見はあまり聞きたくないものですね。かえって名曲のイメージを損なう事にしかならないと思いますから。
それと、ショパンやクララの名誉のためにも…。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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ショパン:チェロとピアノのための「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲(2台ピアノ版)

2013/05/13 08:39
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:チェロとピアノのための「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲(2台ピアノ版)by Tomoro

Chopin : Grand Duo Concertant sur des thémes de Robert le Diable (for two pianos) /Tomoro

● 作曲年:1831〜1832年
● 出版年:1833年
● 献呈者:アデール・フォレ嬢


 【ジャンル解説】
ピアノの詩人と謳われるショパンは、その作品のほとんどがピアノ独奏曲で、室内楽曲はこれを含めてもたったの4曲しか書いていません。

  1. ピアノ三重奏曲 ト短調 作品8
  2. チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3
  3. チェロとピアノのための「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲 ホ長調
  4. チェロ・ソナタ ト短調 作品65

ショパンがピアノ以外に注目していた楽器がチェロだったと言うのがよく分かります。
※実は、この他にもう1曲、《フルートとピアノのための「シンデレラ」の主題による変奏曲 ホ長調(遺作)》という作品があるにはあるのですが、これには贋作説があり、私も明らかにショパンの曲ではないと思っていますので、本稿では取り上げません。私がこれを贋作と結論付ける根拠は至って簡単で、ピアノ・パートが完全に素人の手によるもので、ごく単純な伴奏形に終始しているだけで、協奏的要素も全くないからです。また、ショパンの変奏曲には特徴的な序奏と終結部が伴われますが、この曲にはそのどちらもありません。典拠もあいまいで、今まで一度も自筆譜が確認されておらず、しかしそれ以前の問題として、これがショパンの作品である事を示唆し得る音符が一つも書かれていないからです。ショパン作品では、歌曲におけるシンプルなピアノ伴奏ですら、ここまで工夫も主張もないと言う事はありません。

この曲にはピアノ独奏版などの別編成バージョンは存在していませんが、本稿では独自に、これの室内楽版を2台ピアノ版としてお送りいたします。
尚、楽譜はナショナル・エディション(エキエル版)を用い、チェロ・パートをそのままファースト・ピアノにしてステレオ右寄りに、従来のピアノ・パートをセカンド・ピアノにしてステレオ左寄りに配置してあります。


 【作品解説】
この曲は、ジャコモ・マイヤベーア(マイアベーア)(Giacomo Meyerbeer 1791−1864)のオペラ《悪魔のロベール》からテーマをとって作られました。ショパンは、パリに到着して間もなく、友人に宛てた手紙の中で、このオペラについて次のように書いています。
「…(略)…クロシアート(※エジプトの十字軍)を書いたマイヤベーアによる五幕の新作オペラ“悪魔のロベール”のような華やかさが、かつて劇場において成就された事があるかどうか、僕は知らない。それは新しい楽派の傑作で、悪魔達(大合唱)がメガホンを通して歌い、精霊達が墓場から起き上がって来る(でも、ザ・シャルラタン(※クルピンスキのオペラ)のようではない)、ちょうど50人か60人のグループだ;舞台はジオラマになっていて、終わりの方で教会の内部が見えるようになり、その教会は、クリスマスか復活祭のようにライトアップされ、修道士達や礼拝に集まった人々が席に着いている:――舞台の上にはオルガンまであって、その音にはうっとりさせられるし驚かされもして、オーケストラを掻き消してしまうほどだ;このようなものは他では上演できないだろう。マイヤベーアは彼自身を不朽のものにした! しかし彼はこれをモノにするまでパリで3年を費やし、2万フランもの経費を払ったと言われている。
…(略)…シュレジンガー(※音楽出版者)が、ロベールから主題をとって何か書く事を僕と契約したが、彼はそれ(※ロベールの版権)をマイヤベーアから2万4千フランで買ったのだ!…(略)…」
(※1831年12月12日付の『ティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』より


この手紙から、ショパンが、パリの音楽出版業界の大御所であるモーリス・シュレジンガー(Maurice Schelesinger 1798−1871)の依頼でこの作品を書いた事が分かります。

ショパンは、この2日後に書いた師エルスネル宛の手紙でも次のようにコメントしています。
「…(略)…オペラの作曲家として10年の名声を持つマイヤベーアも、パリで熱狂を巻き起こした彼の悪魔のロベールをプロデュースして上演するまで3年間待たねばならず(ここではずっとオベールがいたので)、彼はその間働き、経費を払いました。…(略)…」
(※1831年12月14日付の『ユゼフ・エルスネル宛の手紙』より


前に《マズルカ 第4番》の項で「カルクブレンナー事件」についてお話しましたが、これは、その時エルスネルがショパンに忠告した手紙に返事したもので、エルスネルがポーランド・オペラを書いて欲しいと言ったことに対して、ショパンが何だかんだと言い訳をして固辞している文章の中の一つです。
ショパンは、オペラ鑑賞は大好きなのに、自分でオペラを書こうと言う気は全くないんですね。

オペラ《悪魔のロベール》については、更に翌年、ショパンは、パリで知り合ったピアニストで友人でもあるヒラー宛の手紙で、次のように書いています。
「…(略)…モーリス(※シュレジンガー)は、ロベールの上演のためにロンドンに行っていたが、戻って来た(成功しなかった)…(略)…」
(※『1832年8月2日付の『フェルディナンド・ヒラー宛の手紙』より

ショパンにしてみれば、言わば二次創作的にこのオペラから主題を用いて作品を書いた訳ですから、そのオペラが海外でも成功を収めれば、それはそのまま自作の海外進出にもつながりますから、その意味でもロンドン公演の結果は気にはなった事でしょうね。


ショパンの《チェロとピアノのための「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲》については、シューマンが次のように評しています。
「それはサロンのために運命付けられた作品だ。…(略)…ショパンが触れるものは何でも、優雅さと品格を帯び、この小さなサロン様式において、彼は優美かつ魅力的に彼自身を表現する…(略)…」
(※ロベルト・シューマン、音楽と音楽家についての雑文(1836年:ライプツィヒ)より



楽譜には、チェリストのオーギュスト・フランコム(フランショーム)の名前もクレジットされています。
ショパンは、彼とはパリで知り合い、生涯の友となる訳ですが、これは、チェロ・パートに関して、彼に負うところがいかに大きかったかがうかがい知れる処置と言えるでしょう。
その事も理由の一つなのかもしれませんが、この曲は、完成してから翌年には直ぐ出版され、正式な献呈もあるのに、ショパンは作品番号を付けませんでした。
要するに、そもそも原曲も他人のものだし、しかも出版者の依頼で書いたものだし、チェロ・パートはフランコムの貢献度大だし、なので自分の作品として数に入れるには、色々な意味で少々憚られたのかもしれませんね。


実は、後にショパンは、このマイヤベーアとは、《マズルカ 第24番 ハ長調 作品33の3》を巡って一悶着起こす事になるのですが、それについてはその曲を紹介する時に改めてお話する事にしましょう。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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ショパン:マズルカ 第9番 ハ長調 作品7-5

2013/04/26 04:40
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:マズルカ 第9番 ハ長調 作品7-5 by Tomoro




Chopin : Mazurka No.9 in C major Op.7-5 /Tomoro
● 作曲年:1832年
● 出版年:1832年
● 献呈者:ポール・エミール・ジョーンズ氏


 【ジャンル解説】
マズルカは、ショパンの祖国ポーランドの民族舞踏の一種です。
中部マゾフシェ地方の快活なマズル、
西部クヤヴィ地方のゆったりしたクヤヴィアク、
南部シロンスク地方の急速なオベレク、
の三つに分類され、主に農民によって踊り継がれてきました。

ショパンのマズルカは、それら三つの要素を巧みに融合させながら、独創的で芸術性の高い作品に仕上げられています。


 【作品解説】
《マズルカ 第9番》は、《5つのマズルカ 作品7》として出版された中の第5曲目です。
なお、最新のナショナル・エディション(エキエル版)では、この曲は《作品6》の第5曲目として収録されており、したがってこの曲が《マズルカ 第5番》になっています。
これは、フランス版初版の編集に則ったものだそうで、現在一般的になっているのはドイツ版による編集で、フランス版初版では《5つのマズルカ 作品6》と《4つのマズルカ 作品7》になっており、要するにショパン自身がパリで直接出版者と交渉した際の編集がそうだったのだから、これこそがショパンの意思だったはずだと、エキエルはそう解釈したのだそうです。


このマズルカは、ショパンがパリ時代の1832年(※当時23歳)に書かれ、同年に出版されました。
ショパンのマズルカの中で一番短く、まるで書きかけのスケッチのような曲ですが、かと言って、これに続く展開を想像する事もできず、きちんと一曲として成立してしまっているから不思議です。
たとえば、仮にこれがプレリュード集に収められていたとしても、おそらく違和感がなかったかもしれない、そんなタイプの作品です。


この曲には、他に2種類の別バージョンがあります。
音符自体はどれも一緒ですが、楽曲構成が違っています。
一つは、主部の繰り返しが一回多いもの。
もう一つは、序奏の左手オクターブが曲の最後にも付け加えられていて、尚且つペダルを使用していないもの。

以下が後者のバージョンです。




Chopin : Mazurka No.9 in C major Op.7-5 (other version) /Tomoro

こちらの終わり方も悪くないですね。
【訂正とお詫び】 これらのバージョン違いについて、コメント欄にてご質問を頂きました。ご指摘の通り、これは完全に私の初歩的な誤りです。昔、様々なピアニスト達の演奏を聴き比べていた頃に「耳から入った知識」を、楽譜による版違いがあるかのように思い違いしたまま本稿を執筆してしまいました。この曲をどのような楽曲構成(リピートの回数、あるいは終わり方)で演奏するかは、演奏者それぞれの解釈に委ねられており、それゆえに生じる「様々な解釈の違い」としてこの作品を紹介し、論ずるべきでした。
したがいまして、その趣旨をもって上記の記事を全面的に訂正すると共に、読者の方々に対しまして心からお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。
そして、ご指摘くださったnao様には心よりお礼を申し上げます。どうも有り難うございました。



ちなみに、《作品7》のマズルカを献呈されたポール・エミール・ジョーンズ(Paul Emile Johns 1798−1860)は、クラクフ生まれのピアニスト兼作曲家で、アメリカで初めてベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏した功績で知られています。それは1819年のニューオーリンズにおいてでした。
それででしょうか、ショパンは《作品7》を彼に献呈する際に、“ラ・ヌーヴェル・オルレアン(フランス語でニューオーリンズ)のジョーンズ氏へ”と書き添えています。
ジョーンズはウィーンで音楽を学び、1831年から1834年の間、パリでプレイエルと共同でピアノ曲を出版したりしていて、その頃にショパンと知り合い、友人になりました。
彼はショパン作品の演奏でも知られ、後に、カナダやアメリカの都市でショパンを演奏するピアニスト達は、しばしば彼と比較されたそうです。


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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ショパン:マズルカ 第8番 変イ長調 作品7-4

2013/04/24 23:07
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:マズルカ 第8番 変イ長調 作品7-4 by Tomoro




Chopin : Mazurka No.8 in A♭ major Op.7-4 /Tomoro
● 作曲年:1832年
● 出版年:1832年
● 献呈者:ポール・エミール・ジョーンズ氏


 【ジャンル解説】
マズルカは、ショパンの祖国ポーランドの民族舞踏の一種です。
中部マゾフシェ地方の快活なマズル、
西部クヤヴィ地方のゆったりしたクヤヴィアク、
南部シロンスク地方の急速なオベレク、
の三つに分類され、主に農民によって踊り継がれてきました。

ショパンのマズルカは、それら三つの要素を巧みに融合させながら、独創的で芸術性の高い作品に仕上げられています。


 【作品解説】
《マズルカ 第8番》は、《5つのマズルカ 作品7》として出版された中の第4曲目です。
なお、最新のナショナル・エディション(エキエル版)では、この曲は第9番になっています(作品番号は同じ)。今まで《第9番 ハ長調 作品7-5》だった曲が、《第5番 作品6-5》の位置(作品番号)に変更されているからです。
これは、フランス版初版の編集に則ったものだそうで、現在一般的になっているのはドイツ版による編集で、フランス版初版では《5つのマズルカ 作品6》と《4つのマズルカ 作品7》になっており、要するにショパン自身がパリで直接出版者と交渉した際の編集がそうだったのだから、これこそがショパンの意思だったはずだと、エキエルはそう解釈したのだそうです。


このマズルカは、ショパンがワルシャワ時代の1824年(※当時15歳)に書いたものを、パリ時代の1832年(※当時23歳)に改訂を施し、同年に出版されました。
初期稿はヘンレ版のマズルカ集に付録として掲載されています。ちなみにナショナル・エディションには、生前の公式出版作に関しては異稿が収められていません。

初期稿と改訂稿では、細かいニュアンス(付点のリズム、強弱、装飾音等)の違いが主で、大きな変更点と言えば、全体の楽曲構成が若干見直されているくらいでしょうか。
以下がその初期稿版になります。




Chopin : Mazurka No.8 in A♭ major Op.7-4 (earlier version) /Tomoro

この作品は、おそらくショパンが書いたマズルカの中では最も初期のものなのではないかと思われます。
これ以前には、1820年(※当時11歳)に《ニ長調?》のマズルカを書いていたと言う説もあるのですが定かではありませんし、また、《第8番》の初稿と同じ1824年に《第13番 イ短調 作品17-4》の初稿が書かれていたと言う説もあるのですが、これも定かではありません。

いずれにせよ、確かな楽譜資料に基づくマズルカで最古のものは、現在これしか確認されていません。
これが書かれた1824年と言うのは、ショパンが、生まれて初めて家族と離れてシャファルニャと言う田舎の村で夏休みを過ごした年でした。

ショパンは1809年3月1日にジェラゾヴァ・ヴォラと言う田舎で生まれていますが、その翌年の秋にはもうワルシャワへ引っ越していますから、彼は完全に都会っ子として育ちました。
しかも父ニコラは、ワルシャワ高等中学校で教鞭をとる傍ら、自宅を学生用の寄宿舎にして、地方の裕福な領主階級の子息達を預かる仕事もしていたので、そんなショパン家は、彼らの学業と躾を見るべく、非常に貴族的な営みをする環境にあったのです。
そのような中では、音楽の中心はやはりポロネーズと言う事になり、必然的にショパンの処女作とされている作品も1817年(※当時8歳)の《ポロネーズ 第11番 ト短調》あるいは《ポロネーズ 第12番 変ロ長調》となっていったのでした。
なので、ずっと都会的で貴族的な環境で過ごしてきたショパンは、地方色の強いマズルカに触れる機会がほとんどなかったのではないかと考えられます。
あるいは、仮にあったとしても、まだ少年だったショパンにしてみれば、マズルカのような音楽は“垢抜けなくてカッコ悪い”くらいにしか感じられなかったのかもしれません(我々日本人で言うなら、“小中学生が民謡や演歌?”みたいな…)。

いずれにせよ、そんなショパンがマズルカに興味を持ち始めたきっかけになったのが、このシャファルニャ滞在だった事は間違いありません。
彼は、当地からワルシャワの家族宛に手紙を書く代わりに、『シャファルニャ通信』(※『ワルシャワ通信』と言う実際の新聞をパロディにしたもの)を作って書き送っていたのですが、そこにはこんな記事が掲載されています。

「本年の同月29日:ピション氏(※自分の名前を逆に綴ってパロディ化したもの)は、ニェシャヴァ村を通りかかった際、村のカタラーニ(※有名なイタリアのソプラノ歌手の名前。要するに「この村の美空ひばり」と言う意味)が牧草地の柵に腰掛け、声を限りに歌っている所に行き合う。非常に興味をそそられ、礼節を持ってその歌声に耳を傾けるも、歌詞までは聞き取れず、いささか欲求不満に。柵の手前を行ったり来たりするも、田舎の人の歌う歌詞ゆえ、その意味まではつかみ切れず、そこで氏は、ポケットからコインを3枚取り出し、これをあげる代わりにもう一度歌ってくれまいかと歌い手と交渉。長い事そのカタラーニは、なんやかんやと唇を尖らせて拒み続けたが、やがてコイン3枚に釣られたか、意を決してマズルカを1曲歌ってくれた。編集者は当局と検閲官の許可の下、冒頭の一節をサンプルとしてここに掲載する:

『見てごらん、裏山で、オオカミ一匹踊ってる
裏山で、オオカミ一匹踊ってる
いえいえ、嫁さんいないとて、何でそんなに悲しがる(繰り返し)』」
(※『1824年8月31日付のシャファルニャ通信(家族宛の手紙)』より→全文はこちら


私には、この“オオカミ”の踊りがこの《マズルカ 第8番》と重なって見えるのですが、どうでしょう?

この曲の初稿譜では、中間部に「celeste(セレステ)」と言う発想標語が書かれているのですが、これはイタリア語(フランス語とスペイン語も)で「天の、空の、天上の、神の、空色の」等の意味がある言葉です(ちなみに改訂稿にこの表記はなく、「dolcissimo(ドルチッシモ=最高に甘く、たいへん柔らかく)」に変更されています)。
この中間部の最後の箇所が、“オオカミ”が“嫁さん”を求めて、“空”に向かって“最高に甘く”遠吠えしている様子を描写しているのだろうか?と、つい想像してしまうのは、いささか考え過ぎでしょうか?


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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ショパン:マズルカ 第5番 変ロ長調 作品7-1

2013/04/23 19:24
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ショパン作曲:マズルカ 第5番 変ロ長調 作品7-1 by Tomoro




Chopin : Mazurka No.5 in B♭ major Op.7-1 /Tomoro
● 作曲年:1832年
● 出版年:1832年
● 献呈者:ポール・エミール・ジョーンズ氏


 【ジャンル解説】
マズルカは、ショパンの祖国ポーランドの民族舞踏の一種です。
中部マゾフシェ地方の快活なマズル、
西部クヤヴィ地方のゆったりしたクヤヴィアク、
南部シロンスク地方の急速なオベレク、
の三つに分類され、主に農民によって踊り継がれてきました。

ショパンのマズルカは、それら三つの要素を巧みに融合させながら、独創的で芸術性の高い作品に仕上げられています。


 【作品解説】
《マズルカ 第5番》は、《5つのマズルカ 作品7》として出版された中の第1曲目です。
この曲はショパンがパリに渡った翌年の1832年(※当時23歳)に作曲され、その年にすぐ出版されています。
なお、最新のナショナル・エディション(エキエル版)では、この曲は第6番になっています(作品番号は同じ)。今まで《第9番 ハ長調 作品7-5》だった曲が、《第5番 作品6-5》の位置(作品番号)に変更されているからです。これは、フランス版初版の編集に則ったものだそうで、現在一般的になっているのはドイツ版による編集で、フランス版初版では《5つのマズルカ 作品6》と《4つのマズルカ 作品7》になっており、要するにショパン自身がパリで直接出版者と交渉した際の編集がそうだったのだから、これこそがショパンの意思だったはずだと、エキエルはそう解釈したのだそうです。

ただ、この《変ロ長調 作品7-1》は、ショパンのマズルカの中でも最も有名な曲だけに、それを今更《第5番》から《第6番》に変えろと言われても、ちょっとイメージ的に無理があるようにも思えるのですが…。


さて、前にも書きましたが、ロシア帝国の参事官にして音楽愛好家のヴィルヘルム・フォン・レンツ(Wilhelm von Lenz 1809−1883)が、1842年のパリでショパンに師事するためリストに仲介を求めた時、彼はリストにショパンのマズルカをレッスンしてもらっていて、その中にこのマズルカも含まれていました。
その際レンツはリストから、ショパンが喜んでレッスンを引き受けてくれるような“弾き方”を伝授されます(※その詳細については《第6番 イ短調》の記事で)。と言うのも、リストによるとショパンは、レッスンはもちろんの事、それ以前に彼に会う事自体が非常に難しいと言われていたからです。
とにかくレンツは、リストの紹介状と、彼からアドバイスされた様々な秘策を携えてショパンの許を訪れます。
そして何とかショパンに会う事が叶ったレンツは、そこで、ショパンからそのマズルカを“聴かせてください”と言われ、次のようなやり取りをしたそうです。
「…(前略)…私は目を上げて彼を見返すのも憚られ、意を決してマズルカ変ロ長調作品7の1を弾き始めた。リストから異稿(ヴァリアンテ)があることも教わった、典型的なマズルカだ。
我ながら上出来で、二オクターブにわたる跳躍は今までになく巧くいった。ピアノも、自分のエラールよりずっと反応がよかった。ショパンは親しみを込めて、こう囁いた。
“あのパッセージは貴方の考えじゃないでしょう。リストが教えてくれたのですね――あの人ときたら、あたりかまわず自分の爪あとを残したがるのですから。彼は数千の聴衆を前に弾くけれど、私はたった一人のために弾くことすら滅多にありません! よろしい。レッスンしてさしあげましょう。でも週に二回だけですよ。私にはそれが精一杯のところです。何しろ四十五分の時間を取るのは、大変難しいものですから” …(後略)…」
(※ヴィルヘルム・フォン・レンツ著/中野真帆子訳『パリのヴィルトゥオーゾたち ショパンとリストの時代』より)

ちなみに、この時レンツが弾いた異稿は、彼の回想録に掲載されている譜例によると次のようになっています。




ちょっと和声上おかしな感じに聴こえなくもないですが、左手の伴奏は特に記されていないのでそのままのようです。

ちなみに、ナショナル・エディションではこれが次のようになっています。




こちらの方が多少違和感が軽減されているような感じがしないでもないですが、いずれにせよ、私にはどちらも微妙な感じがするのですがどうでしょう?

これは私の想像ですが、おそらくリストは、ショパンがこのマズルカをアドリブ的にこんな感じで変奏していたのをどこかで聴いて覚えていて、それをジョークのつもりでわざとちょっと変えてレンツに教え、気難しいショパンの心をほぐしてやろうと考えたのではないでしょうか。
いずれにせよ、それがまんまと功を奏して、無事レンツはショパンのレッスンを受けられるようになった訳です。

そのレッスンの中で、ショパンは自分のマズルカ演奏について次のように語ったそうです。
「…(前略)…私がマズルカを弾くとき、自分の演奏に満足したことがあるとお思いですか? とんでもない! そんなことは一度か二度、会場の熱い雰囲気に勇気づけられた年間演奏会であるかないかです。そういう時にこそ私の演奏を聴いてほしいものですね。でもそれは年に一度のこと。後はすべて練習なのです!…(後略)…」
(※ヴィルヘルム・フォン・レンツ著/中野真帆子訳『パリのヴィルトゥオーゾたち ショパンとリストの時代』より)


この言葉を裏付けるような事実として、グラスゴー音楽家協会会長のユリウス・セリグマンが、1848年9月27日にグラスゴーで開かれたショパンの演奏会について次のような証言を残しています。
「かの有名なマズルカ変ロ長調(作品7-1)は、アンコールを求められました。ショパンはもう一度演奏してくれましたが、今度は最初とはまったく違うニュアンスをつけたのです。」
(※ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著/米谷治郎 中島弘二訳『弟子から見たショパン』(音楽之友社)より)


同じ曲をアンコールで求められるなんて事自体が、現在ではちょっと考えられない事ですよね。それほど今のクラシック・コンサートは自由度の低い格式ばったものになっていると言う事でもあるのでしょうか。
まあ、もっともロックやポップスの世界でも、昔のライブハウスならいざ知らず、コンサートで同じ曲を二度やるなんて事はまずしませんし、アンコール用の曲も事前に用意しちゃっていますけどね。


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学
音楽之友社
ジャン=ジャック エーゲルディンゲル
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ショパン:マズルカ 第4番 変ホ短調 作品6-4

2013/04/22 00:56
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:マズルカ 第4番 変ホ短調 作品6-4 by Tomoro




Chopin : Mazurka No.4 in E ♭ minor Op.6-4 /Tomoro
● 作曲年:1832年
● 出版年:1832年
● 献呈者:ポーリーヌ・プラーテル伯爵令嬢


 【ジャンル解説】
マズルカは、ショパンの祖国ポーランドの民族舞踏の一種です。
中部マゾフシェ地方の快活なマズル、
西部クヤヴィ地方のゆったりしたクヤヴィアク、
南部シロンスク地方の急速なオベレク、
の三つに分類され、主に農民によって踊り継がれてきました。

ショパンのマズルカは、それら三つの要素を巧みに融合させながら、独創的で芸術性の高い作品に仕上げられています。


 【作品解説】
《マズルカ 第4番》は、《4つのマズルカ 作品6》として出版された中の第4曲目です。

この曲は、ショパンがパリに渡った翌年の1832年(※当時23歳)に作曲されました。
まるでスケッチのような簡素で短い曲ですが、短調で書かれているのに何処か爽やかな感じさえする、とても不思議な印象を残す作品です。


さて、前回はショパンがパリに渡って直の頃の手紙を紹介しましたが、今回はその直後に起きた事件、事件と言うとちょっと大げさですが、ちょっとした騒動についてお話したいと思います。

それは、私が個人的に「カルクブレンナー事件」と呼んでいるエピソードで、おそらくショパン・ファンなら大抵の人が知っているとは思いますが、私が興味を引かれたのは、それに関わった人々(ショパン本人、父ニコラ、姉ルドヴィカ、師エルスネル、そしてカルクブレンナー)のそれぞれの人間模様についてです。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ミヒャエル・カルクブレンナー(Friedrich Wilhelm Michael Kalkbrenner 1785−1849)はドイツのピアニスト兼作曲家で、ピアノ教師でもあり、また、プレイエルと共同でピアノ製造にも携わっていました。
ちょうど古典派とロマン派の橋渡し的な時代に活躍していたためか、後世における彼の評価は今一つですが、当時は当代きっての代表的な音楽家の一人とされていました。
現在の我々から見れば「クラシックの人」として一括りですが、いつの時代でも、その時その時に最新のものが流行の先端としてもてはやされ、もっとも消費される対象となるものです。それは今も昔も変わりません。ショパンの少年時代においては、カルクブレンナー、フンメル、フィールドらがそれであり、ベートーヴェンはもはやピークを過ぎていました。ですから、ショパンの少年時代の手紙には、勉強のために過去の偉人であるバッハやモーツァルトに触れるのとは違って、カルクブレンナーの作品をそのような対象として弾いていた事が書かれています(※その手紙はこちら)。要するに、現在でたとえるなら、その時にヒットしている歌をカラオケで歌う…みたいな事ですね。

つまり、ショパンにとってカルクブレンナーは、少年時代のアイドルと言ったら言い過ぎですが、まあそのような類いの対象だったと言ってもいいのではないでしょうか。
そのカルクブレンナーと、ショパンはパリ到着後間もなく知り合いになります。そして彼に気に入られ、弟子にならないかと誘われたのが「カルクブレンナー事件」と言う訳です。

前回紹介したクメルスキ宛の手紙にも、その事がそれとなく触れられていて、そこでは以下のように書かれていました。
「僕はこちらに3年は滞在するだろうと思う。僕は、ヨーロッパのピアニストの第一人者であるカルクブレンナーととても近しい関係になった。君も彼の事を好きになると思う。(彼は、僕が彼の靴紐を解くにも値しない唯一の人だ。あのエルツやその他の連中は、僕に言わせれば口先だけで、誰も彼以上には弾けない。)…(後略)…」
(※1831年11月18日付「パリのショパンからベルリンのノルベルト・アルフォンス・クメルスキ宛の手紙」より)

実は、ここで「3年」と書いてあるところがミソで、要するにこれは、カルクブレンナーがショパンに提示した弟子入り期間を指すものなんですね。つまりショパンは、この時点ではカルクブレンナーに弟子入りするつもりでいたらしい事が分かるのです。

そしてショパンは、その由をワルシャワの家族宛に詳しく書いて送っていたのですが、しかしその手紙は、残念ながら内容が公表されないまま戦火に失われてしまいました。その代わり、それに対する父ニコラからの返事の方は内容が公表され残されており、それによって間接的に以下の事が分かっています。

「我が親愛なる息子よ、お前からの最新の手紙で、パリでの滞在がおそらくお前にとって多くの点でウィーンより有利に働くだろう事が分かり、満足している。私は、お前が自らを捧げた芸術の分野で熟練するためのあらゆるチャンスを逃さないだろうと確信している。有名な芸術家達と知り合い、話をし、彼ら自身による自作の演奏を聞き、その経験は、その道を学ぼうとする若者に大きな利益をもたらすだろう。カルクブレンナー氏がお前に示してくれた友情に対しては、父として礼を言わなくてはなるまい。しかし、我が良き友よ、私に理解できないのは、彼がお前の才能を認めながらも、お前を一人前の芸術家にするために“しっかりした基礎”を作るのに、彼の指導の下でもう3年学ぶ必要があると言った事だ。私にはその言葉がどうしても理解できない、だからお前の真の友であるエルスネルにその意味を尋ねた、なので彼の手紙を参考にしてもらいたい。お前も分かっている通り、お前の技術や才能を開花させるために私の力で出来る事は全てしてきたつもりだし、お前の妨げになるような事は何もしなかった。また、お前は演奏テクニックにはそれほど多くの時間を犠牲にしなくても良かったし、指で弾く以上に音楽的理解に長けていた事も分かっている。他の者が一日中鍵盤に向かっていなければならないような他人の作品でも、お前はそれを習得するのに一時間とかからなかった。これら全ての事を考慮しても、3年と言う期間は私には考えられないのだ。しかし、私は何もお前に反対している訳ではなく、ただ、決めるのは後にして、忠告をよく聞き、もっとよく検討してくれれば幸いに思う。…(中略)…知り合ったばかりの人をあまり信用しないようお勧めする。…(後略)…」
(※1831年11月27日付「ワルシャワのニコラ・ショパンからパリのショパン宛の手紙」より)

いかにも、教育者でもある父親らしい内容の手紙で、ニコラは時に厳しい事も言いますが、基本的には、答えを一方的に押し付けるような事はせず、あくまでも自分で正解にたどり着くよう導く言い方をするんですね。
この手紙の日付は、ショパンがクメルスキに手紙を書いてから9日後になっており、これと同じ日付で姉ルドヴィカからの手紙と師エルスネルからの手紙も同封されていました。

ルドヴィカによれば、家族はみんな、最初はショパンからの手紙に感激して、カルクブレンナーが“神様のような人に見えた。”とさえ思っていたそうです。
ところが、ニコラはそうは思っていなかったので、翌日みんなでエルスネルの所へ行き、ルドヴィカがショパンの手紙を読み上げると、エルスネルは “ああ、もはや嫉妬だ! 3年だなんて!”と頭を振り、ルドヴィカがショパンの手紙からカルクブレンナーの美徳をどんなに引用しても、“私はフレデリックを知っている;彼はいい奴で、うぬぼれがなく、また、自分を前に押し出そうという願望もなく、簡単に影響されてしまう。私が彼に手紙を書いて、私がこの事をどう見ているか話そう。”と、カルクブレンナーの事を全く信用しなかったのです。
エルスネルに言わせると、“彼ら(※カルクブレンナーと、おそらくシマノフスカ夫人か?)はフレデリックに天性の才能を認め、もはや自分達が追い越されるのを恐れたのだ。だから彼を3年間自分達の手元に置いて、彼が自然に前に出て行こうとするのを引き戻したいのだ。シマノフスカ夫人( ※ポーランド出身の有名なピアニスト)がカルクブレンナーの言った事を提案したのだ:「彼は悪党だ」、だから彼は、少なくともフレデリックは自分の弟子だと言ってその権利を主張するために、フレデリックの才能に投資しようとしているのだ。カルクブレンナーは、芸術に対するあらゆる愛情を無視してでも、彼の本当の狙いは、フレデリックの才能を束縛する事なのだ。”
更にルドヴィカの報告では、エルスネルは、カルクブレンナーの言う“しっかりした基礎”についても、“もしもカルクブレンナーがこの「基礎」とやらを持っていたとしても、まあどうせテクニックに限った事で、そんなものは本人が望めば3年も弟子入りせずとも習得して自分のものに出来る。”と言っています。

ニコラの手紙は要点をまとめて簡潔でしたが、ルドヴィカの手紙は、まるで女性のおしゃべりと同じ勢いで事の一部始終を追っているので、一番長く、その上エルスネルの生の声もほとんどそのまま再現しているため、カルクブレンナーに対してもっとも辛らつです(彼女自身はショパンに賛同しているようですが)。
エルスネルは昔パリでカルクブレンナーの父親に会った事もあり、カルクブレンナーの人となりについての良くない噂も多く耳にしていたようです。
ショパン自身も友人に宛てた手紙では、彼は付き合う人間を選ぶので敵も多いような事を書いていました(実際カルクブレンナーには、貴族ぶって尊大なところがあったと多くの人が証言しています)。

一方、エルスネル自身がショパンに向けて書いた手紙では、ルドヴィカ達に語った言葉ほど感情的ではなく、さすがに先生然とした節度ある態度で慎重に言葉を選んでいます(エルスネルは、まさか自分のオフレコ・トークが全部ルドヴィカに暴露されていたとは夢にも思っていなかったでしょうね)。

ショパンは結局みんなの忠告を受け入れ、カルクブレンナーへの弟子入りは丁重にお断りしました(ただし、エルスネルの言う“嫉妬”については認めようとはしませんでした)。
それに対してカルクブレンナーは、それで気分を害する事もなく、その後もショパンのパリ・デビュー公演の世話をするなど(彼自身も共演しているのですが)、友好関係は続きます。
ショパンはその返礼として、公演でのメイン演目だった《ピアノ協奏曲 ホ短調》が1833年に出版された際、これをカルクブレンナーに献呈しました。

ところがです。その12年後の1845年の事、カルクブレンナーの孫弟子にあたるアメリカの作曲家兼ピアニストのルイス・モロー・ゴットシャルク(Louis Moreau Gottschalk 1829 – 1869)がプレイエル・ホールでパリ・デビューした時、ゴットシャルクはその《ピアノ協奏曲 ホ短調》を弾いたのですが、それに対してカルクブレンナーは、“誰があんな曲を弾けと言ったのかね、ショパンだなんて!…どうして私の曲を弾かなかったのかね。”と言い放ったそうです。

ところがです。その舌の根も乾かないうちに、カルクブレンナーはその年のクリスマスにショパン宛に次のような手紙を書いています。
「親愛なるショパン、私は君に大変なお願い事をしたいのです:私の息子アーサーが、大胆にも君の素晴らしい《ソナタ ロ短調》を弾きたがっていて、君からのアドバイスを熱心に望んでおり、なので、出来るだけ君の都合に合わせて彼を行かせようと思っています。君も知っているように、私がどれほど君の才能を愛し、私の馬鹿息子を授ける事に対するご好意にどれほど感謝しなければならないか、言う必要もないでしょう。…(後略)…」
(※1845年12月25日付「パリのフリードリヒ・カルクブレンナーからパリのショパン宛の手紙」より)

カルクブレンナーは裏表があるのか、よく分からない人ですね。


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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2012/02/08 00:56
ショパン:練習曲 第2番 イ短調 作品10-2
♪今日の試聴BGM♪ ...続きを見る

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2012/01/25 21:47
ショパン:ワルツ 第14番 ホ短調 遺作 KK IVa-15/BI 56
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2012/01/21 20:37
ショパン:歌曲『願い』作品74-1 遺作(2台ピアノ版)
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2012/01/08 01:38
ショパン:ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21(ピアノ独奏版/トモロー・エディション)
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2011/12/30 18:24
ショパン:ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21(ピアノ独奏版)
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2011/12/29 18:48
ショパン:ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21(2台ピアノ版)
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2011/12/17 20:32
ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3(2台ピアノ版)
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2011/11/12 03:20
ショパン:練習曲 第1番 ハ長調 作品10-1
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2011/11/01 19:32
ショパン:ワルツ 第13番 変ニ長調 作品70-3 遺作
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2011/10/24 14:18
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 作品26「葬送」
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2011/10/11 08:42
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2「月光」
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2011/09/29 22:01
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調(トルコ行進曲付き)K.331
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2011/09/24 15:31
サティ:ジムノペディ 第1番
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2011/09/04 20:59
ショパン:ポロネーズ 第16番 変ト長調 遺作 KK IVa-8/BI 36
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2011/08/25 21:33
ショパン:ワルツ 第10番 ロ短調 作品69-2 遺作
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2011/08/17 13:56
ショパン:ポロネーズ 第10番 ヘ短調 作品71-3 遺作
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2011/08/09 21:30
ショパン:ワルツ 第15番 ホ長調 遺作 KK IVa-12/BI 44
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2011/08/03 06:07
ショパン:歌曲『マズル・どんな花』遺作 KK IVa-9(1台ピアノ版)
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2011/07/28 21:16
ショパン:パガニーニの思い出 イ長調 遺作 KK IVa-10 BI 37
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2011/07/22 10:53
ショパン:マズルカ 第54番 ニ長調 遺作 KK IVa-7/BI 31
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2011/07/13 03:40
ショパン:ピアノ三重奏曲 ト短調 作品8(2台ピアノ版)
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2011/07/07 03:17
アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳より:2つのト調のメヌエット
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2011/07/04 00:34
ショパン:ポロネーズ 第9番 変ロ長調 作品71-2 遺作
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2011/06/27 21:47
ショパン:演奏会用大ロンド「クラコヴィアク」 ヘ長調 作品14(2台ピアノ版)
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2011/06/24 07:12
ショパン:演奏会用大ロンド「クラコヴィアク」 ヘ長調 作品14(ピアノ独奏版)
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2011/06/19 10:28
ショパン:ポーランド民謡による大幻想曲 イ長調 作品13(2台ピアノ版)
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2011/06/16 02:33
ショパン:ポーランド民謡による大幻想曲 イ長調 作品13(ピアノ独奏版)
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2011/06/14 10:02
ショパン:ロンド ハ長調 作品73 遺作(2台ピアノ版)
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2011/06/08 23:53
ショパン:ロンド ハ長調 作品73 遺作(1台ピアノ版)
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2011/06/06 13:17
ショパン:モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」による変奏曲(2台ピアノ版)
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2011/06/03 13:57
ショパン:モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」による変奏曲(ピアノ独奏版)
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2011/06/02 03:55
ショパン:歌曲『消え失せよ…』作品74-6 遺作(2台ピアノ版)
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2011/05/28 19:52
ショパン:4手のための変奏曲 二長調 遺作
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2011/05/25 15:15
モーツァルト:小葬送行進曲 ハ短調 K.453a
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2011/03/09 10:35
ベートーヴェン:ある英雄の死を悼む葬送行進曲
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2011/03/08 16:54
ベートーヴェン:エリーゼのために
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2011/03/06 11:51
ショパン:ピアノ・ソナタ 第1番 ハ短調 作品4
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2011/03/01 08:43
ショパン:ロンド ハ短調 作品1
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2011/02/23 00:08
ショパン:ポロネーズ 第13番 変イ長調 遺作 KK IVa-2/BI 5
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2011/02/22 00:29
ショパン:ポロネーズ 第12番 変ロ長調 遺作 KK IVa-1/BI 3
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2011/02/21 01:07
ショパン:ポロネーズ 第11番 ト短調 KK IIa-1/BI 1
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2011/02/20 07:34
ショパン:コントルダンス 変ト長調 遺作 KK Anh.Ia-4/BI 17
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2011/02/18 18:32
ショパン:マズルカ 第47番 イ短調 作品68-2 遺作
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2011/02/14 20:59
ショパン:フーガ イ短調 遺作 KK IVc-2/BI 144
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2011/02/08 08:24
ショパン:葬送行進曲 ハ短調 作品72-2 遺作
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2011/01/30 22:11
ショパン:ノクターン 第19番 ホ短調 作品72-1 遺作
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2011/01/13 12:33
ショパン:ポロネーズ 第8番 ニ短調 作品71-1 遺作
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2011/01/08 03:08
ショパン:3つのエコセーズ 作品72-3
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2010/12/25 01:08
ショパン:ドイツ民謡『スイスの少年』による変奏曲 ホ長調 遺作
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2010/12/19 19:37
ショパン:マズルカ風ロンド ヘ長調 作品5
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2010/12/16 02:43
ショパン:ポロネーズ 第15番 変ロ短調 遺作『別れ』KK IVa-5/BI 13
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2010/12/07 14:03
ショパン:ポロネーズ 第14番 嬰ト短調 遺作 KK IVa-3/BI 6
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2010/11/28 20:22
ショパン:マズルカ 第53番(第50番) ト長調 KK IIa-2/BI 16
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2010/11/26 10:06
ショパン:マズルカ 第52番(第51番) 変ロ長調 KK IIa-3/BI 16
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2010/11/23 09:37
ショパン:マズルカ 第17番 変ロ短調 作品24-4
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2010/11/16 15:19

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