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ショパン:練習曲 第8番 ヘ長調 作品10-8

2013/06/27 14:01
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:練習曲 第8番 ヘ長調 作品10-8 by Tomoro



Chopin : Étude No.8 in F major Op.10-8 /Tomoro

● 作曲年:1833年
● 出版年:1833年
● 献呈者:フランツ・リスト

 【ジャンル解説】
練習曲(エチュード)は、その名の通り、楽器の演奏技術を習得する手助けとなるように考慮された音楽作品です。
一口に練習曲と言っても、これには大きく分けて3種類あると言えます。

  1. 《ハノン》(シャルル=ルイ・アノン:Charles-Louis Hanon, 1819−1900)に代表されるような、機械的な運指の反復練習のみに特化して、楽曲としての体裁を成していないもの。
  2. 《ツェルニー》(カール・チェルニー:Carl Czerny, 1791−1857)に代表されるような、一応楽曲としての体裁は成しているものの、あくまでも練習曲であって演奏会で弾く事を目的としないもの。
  3. 《ショパン》や《リスト》(フランツ・リスト:Franz Liszt, 1811−1886)に代表されるような、プロが演奏会で弾く事を前提に、最高度の演奏技術を要求すると共に性格的小品としての芸術性をも兼ね備えたもの。


 【作品解説】
ショパンの《練習曲 第8番 ハ長調》は、《12の練習曲 作品10》の第8曲目です。
右手のパッセージ(経過句、走句)のための練習曲と言われており、指の独立性や手首の柔軟性を要求されます。

この曲は、特に何かにたとえられたりする俗称のようなものはありませんが、《作品10》の中では、とてもユーモラスな印象を受ける作品で、私などは個人的に、この曲を聴くと何故か“象の行進”をイメージしてしまいます。



前回に引き続き、《12の練習曲 作品10》を献呈されたリストについて、ショパンとの比較を交えながら書いてみたいと思います。
第3回目の今日は、彼らの子供時代の教育事情についてです。


リストの祖父ゲオルク(Georg Liszt 1755−1844)は学校の教師でしたから、父アダム(Ádám Liszt 1776−1827)にはそれなりの教育を施しており、アダムは高等教育まで受けさせてもらっています。
高校卒業後、アダムはスロヴァキアのフランシスコ教会で修道士となるべく修行を積んでいたのですが、しかしそれに関しては、本人の移り気な性格のために断念し、還俗したそうです。
その後1797年からプレスブルク大学の学生として哲学を専攻しますが、これについては経済的事情のために一年で断念せざるを得なくなります。
こうして見ると、祖父の影響もあるのでしょうが、若い頃のアダムはそれなりに教育に関心を持っていたようではあるのですが、しかしながら、いざ自分の息子に対してとなると、もちろん経済的な事情も大きいのですが、それほど教育熱心ではなかったようですね。

リストの初等教育は、村の学校教師ヨハン・ローラーによって行なわれました。
ローラーがドボルヤーン(現在のオーストリア領ライディング)の教師として任命されて来た時、彼はまだ22歳と若く、ドイツ語を話し、小さな学校には67人の子供たちがいて、男の子が52人、女の子が15人、少年リストはその中で読み書きを習いました。
なので、リストの両親がそうだったように、ハンガリー西部の何千もの人達と同様、リストもドイツ語を話しました。しかし、そもそもドボルヤーン自体がドイツ語を話す村だったのです。
しかも彼は12歳でパリに渡りますから、それ以降はもっぱらフランス語を使うようになります。
そのためリストは、マジャール語(ハンガリー語)を話す事が出来ないまま育ち、そしてそのまま生涯を通す事になるのでした。

後にリストが語ったところによると、少年時代の彼は、貧しい初等教育に留まり、歴史や地理、あるいは自然科学等の一般教養を学ぶ事など考えられず、その事をとても残念に思っていたそうです。
若くして音楽家として有名になり、上流社会との交わりが増えるにつれ、彼はそんな自分の無教養さに非常なコンプレックスを抱くようになります。そしてそれを補おうとして、膨大な読書量をこなすようになるのですが、このように、リストには、向上心が強く、努力家の一面もありました。


一方のショパンはと言うと、彼の父ニコラは、元々はフランス・ロレーヌ地方の片田舎で車大工と葡萄園を兼業する第三身分の出身でしたが、フランス革命を前にした国の混乱から逃れるようにワルシャワへ渡り、叩き上げのフランス語教師として高等学校の教授にまで登り詰めました。
その傍ら、自宅を学生用の寄宿学校にして、地方の裕福な貴族や士族の子息達を預かる事もしていましたから、もちろん自分の子供たちに対しても教育熱心でした。
少年ショパンは病気がちだった事もあってか学校には通っていませんでしたが、そんな事は全く問題にならず、学校同然だった家庭環境のお陰で、同世代の友人達に混じって一般教養なども身につけられたのです。
ショパンは、父はフランス人で母はポーランド人でしたから、基本的にはポーランド語を母国語として話し、フランス語も第二母国語と言って差し支えない程度に読み書きまで出来ましたし、その上、ショパン家の子供たちは皆、更なる教育によってドイツ語にも精通していたのです。
しかもショパンは、高等学校に編入した3年間は常に成績優秀者として賞をもらっていた程でしたから、その意味でも、リストが抱いていたようなコンプレックスとは無縁だったのでした。


続く…

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ショパン:練習曲 第7番 ハ長調 作品10-7

2013/06/24 02:13
♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:練習曲 第7番 ハ長調 作品10-7 by Tomoro



Chopin : Étude No.7 in C major Op.10-7 /Tomoro

● 作曲年:1833年
● 出版年:1833年
● 献呈者:フランツ・リスト

 【ジャンル解説】
練習曲(エチュード)は、その名の通り、楽器の演奏技術を習得する手助けとなるように考慮された音楽作品です。
一口に練習曲と言っても、これには大きく分けて3種類あると言えます。

  1. 《ハノン》(シャルル=ルイ・アノン:Charles-Louis Hanon, 1819−1900)に代表されるような、機械的な運指の反復練習のみに特化して、楽曲としての体裁を成していないもの。
  2. 《ツェルニー》(カール・チェルニー:Carl Czerny, 1791−1857)に代表されるような、一応楽曲としての体裁は成しているものの、あくまでも練習曲であって演奏会で弾く事を目的としないもの。
  3. 《ショパン》や《リスト》(フランツ・リスト:Franz Liszt, 1811−1886)に代表されるような、プロが演奏会で弾く事を前提に、最高度の演奏技術を要求すると共に性格的小品としての芸術性をも兼ね備えたもの。


 【作品解説】
ショパンの《練習曲 第7番 ハ長調》は、《12の練習曲 作品10》の第7曲目です。
右手が絶えず16分音符の重音を刻み、それをレガート(音を滑らかにつなげて演奏する事)で弾くための練習曲です。
さらに、上声部と低音部が対位法的に旋律を奏でており、そのバランスも考慮しなければなりませんから、その中からメロディーを浮き立たせるのは容易ではありません。

このエチュードは、“雪上の狩り”、あるいは“空飛ぶ妖精の飛行”等に例えられる事もあるそうです。


今回は、この《12の練習曲 作品10》を献呈されたリストについて、ショパンとの比較を交えながら書いてみるシリーズの第2回目です。
今回は彼の幼児期について書いてみたいと思います。


リストは、父アダムと母アンナの間に一人っ子として生まれました。
意外な事に、赤ん坊の頃のリストは、体が弱くて病気がちだったそうです。
この点はショパンと同じと言うか、むしろショパンよりひどかったようで、アダムによると、神経症による痛みと発熱に襲われ、一度ならず命の危険にさらされたそうです。
と言うのも、リストが生まれたドボルヤーン(現在のオーストリア領ライディング)と言う寒村は、ハンガリーの西端に位置しているのですが、更に行くとハンガリーとオーストリアをまたがるノイジードル湖(ノイジードラー湖)と言う大きな湖があり、そこは低地の湿地帯で、そこが常に病気の感染源となっていたからでした。
なので、この地域は幼児の死亡率が高かったとの事です。
それでアダムは、赤ん坊に予防接種を受けさせるなどして、当時としては先進的な医療処置を施していたのだそうです。

リストが3歳の誕生日を迎えようとしていた時、こんな事がありました。
ある時リストは、危機的な病状に陥ってしまいます。
その症状は強梗(きょうこう)症(ヒステリーなどに伴う筋肉の硬直・無感覚状態)に似ていて、両親はもう助からないと思ったのか、子供が死んだ時のためにと、村の大工に棺桶を作るよう注文しました。
ところが、そうしたらその後間もなく回復したのだそうです。
この重病の間、リストはずっと叔母のテレーズ(母アンナの妹)に看病されていて、後にリスト本人が語ったところによると、彼女が彼を死の淵から救い出したとの事です。

ショパンが小さい頃から病弱だったと言うのは有名ですが、それでも幼児期や幼少期に死の境をさまよったなんてエピソードは聞きませんからね。
ショパンがそんな目に遭うのはむしろ成人してからで、ある時などは、風邪でずっと寝込んでいたら死亡説の噂が立ってしまったなんて事がありました。

我々が知っているリストは、ショパンの倍近く長生きしているし、その力強く華やかな演奏スタイルから、まるで病気とは無縁のようなイメージを抱きがちですが、彼は生涯を通じて、よく発熱に襲われたりして元気がなくなったりする事があったのだそうです。


続く…

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ショパン(?):フルートとピアノのための「シンデレラ」の主題による変奏曲 ホ長調(遺作)

2013/06/17 05:11
♪今日のBGM♪

ショパン作曲(?):フルートとピアノのための「シンデレラ」の主題による変奏曲 ホ長調(遺作)


● 作曲年:1825〜1830年頃?
● 出版年:1959年
● 献呈者:ユゼフ・チホツキ(?)


 【ジャンル解説】
ピアノの詩人と謳われるショパンは、その作品のほとんどがピアノ独奏曲で、室内楽曲はこれを含めてもたったの4曲しか書いていません。

  1. ピアノ三重奏曲 ト短調 作品8
  2. チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3
  3. チェロとピアノのための「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲 ホ長調
  4. チェロ・ソナタ ト短調 作品65

ショパンがピアノ以外に注目していた楽器がチェロだったと言うのがよく分かります。


 【作品解説】
予定では、今回は《12の練習曲 作品10》のシリーズでリストとショパンの幼少期について書くつもりでいたのですが、その参考文献として注文した洋書が待てど暮らせど一向に届かず、それで書くに書けずに更新が滞ってしまっています。

そうこうしているうちに、《「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲》の記事のコメント欄でご質問を頂きましたので、急遽それをテーマに記事を書く事にしました。

今回のテーマは、「偽作の疑いがかけられているショパン作品」についてです。
この問題について考える時、もはや資料的根拠を示してその真偽を探るのは不可能です。ですから、あくまでも主観的な感想を述べるに留まらざるを得ないので、言葉は慎重に選ばなくてはいけないでしょうね。


まず、《シンデレラによる変奏曲》について。
この作品の偽作説については当ブログで過去に何度か触れており、私自身も偽作と考えている由を書いていたのですが、今回はその根拠についてもう少し深く掘り下げてみようと思います。

この曲を考える上で私が問題視するのは、やはりピアノ・パートなんですね。
何故なら、それがショパン作品かどうかが問題な訳ですから、そうすると、ピアノ・パートについて検証する以外に、ショパンとその作品をつなぐ糸は何も考えられないからです。
「ピアノの詩人」と謳われるショパンは、その全作品において、ピアノを伴わない曲は無伴奏で書かれた歌曲《マズル・どんな花》のたった一曲だけなのです。

この変奏曲については、ショパンの全曲解説を謳った書物でも全く触れられていない事が多いのですが、たとえば下田幸二著『聴くために 弾くために ショパン全曲解説』では、次のように解説されています。
「この曲は、ショパンの友人であったヨゼフ・ノヴァコフスキが所有していたものが巡って今世紀になって世に出た作品で、成立過程はよく分かっていない。原典になっている、以前は自筆譜と考えられていたそのノヴァコフスキ所有の筆写譜は、フルートと別れて書かれているピアノ・パートが「テーマ、第1、3、4変奏用」と、「第2変奏用」の二つしかなく、あまりにも単純な伴奏で、しかも変奏時、ピアノがフルートと和声上あわない箇所が生まれることなどから、このピアノ・パートないし、この曲自体の真実性を疑問視する意見もある。
また、主要のテーマはロッシーニのオペラ「シンデレラ」中のアリア、“Non più mesta”(もう悲しくなく)からであるというのが定説だが、それも疑わしい。と言うのは、この旋律は、ロッシーニが自身のオペラ「セヴィリアの理髪師」から代作したもので、ショパンはセヴィリアの理髪師を聴いたことを、友人のヤン・ビャウォブウォツキ宛の手紙に1825年10月30日付で書いており、それはシンデレラを聴く以前だったと考えられるからである。」
(※下田幸二著『聴くために 弾くために ショパン全曲解説』(ショパン)より)


ここに書かれているユゼフ・ノヴァコフスキ(Józef Nowakowski 1800−1865)と言うのは、単なる友人ではなく、彼もまたポーランドの作曲家兼ピアニストであり、1821年から26年までワルシャワ音楽院に在籍し、ショパン同様エルスネルとヴェルフェルの下で学びました。
ショパンの入学が1826年からですから、この両者はちょうど入れ替わる形で音楽院に在籍していた事になります。つまりショパンにとって彼は兄弟子になる訳です。

また、この曲を個人献呈されたと考えられているユゼフ・チホツキについては、ショパンは友人に宛てた手紙の中で次のように書いています。
「昨日、チホツキを訪問した。例の肥えた男で、彼の命名日のお祝い会があった。ピアノ、クラリネット、ファゴット、ホルン、フルートと共演するシュポーアの五重奏曲を演奏した。非常に美しい曲だ。しかし、指の動かし方が大変だ。ピアノ曲として全てのこと(技)を意図的に、これ見よがしに盛り込んだ作曲だ。 耐え難いほどに難しく、指を持って行く場所が時々分からなくなるほどだ。」
(※『1830年9月18日付ティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』より→全文はこちら

おそらく、この中でフルートを吹いているのがチホツキなのだろうか?とも思われるのですが、だとすれば、少なくとも彼らはこのような難曲を共演するようなレベルの演奏家仲間だった事になります。ちなみに、ルイ・シュポーア(Louis Spohr 1784−1859)の《ピアノ五重奏曲 ニ長調 作品130》とは、こんな曲です(↓)



そうなると尚の事、この変奏曲における「ショパンのピアノ・パート」の低レベル振りには違和感を拭えない事になります。

それに、チホツキの名がショパンの手紙に出てくるのはこれっきりで、この書かれ方から見ても、作品を個人献呈するほど親密だったとも思えません。
逆に、仮にショパンがこの曲をチホツキのために書いたのだとしたら、作曲年は彼らの交流があったこの1830年頃(※当時21歳)だと言う事になります。
その頃には、ショパンは既に、変奏曲では《ドイツ民謡「スイスの少年」による変奏曲》(1826年)、《4手のための変奏曲》(1826年)、《「お手をどうぞ」による変奏曲》(1827年)を書いており、さらに室内楽では《ピアノ三重奏曲》(1829年)を書いています。
その後に、このような超古典的で何一つ独創性の盛り込まれていない、しかも初心者的なピアノ・パートの変奏曲を書くでしょうか?

ショパンが《変奏曲》と銘打って書いた作品には、必ず、初期のショパンらしい序奏と終結部があります。
逆に《変奏曲》と銘打たれていない《パガニーニの思い出》と《子守唄》は、それとは完全に区別されるべきものだと考えています。なぜならこの2曲は、あくまでもピアノ独奏曲であり、更に、左手の伴奏をあえて単純に繰り返す事が重要な意味を持つよう意図して書かれた作品だからです。そうする事によって、右手の変奏を際立たせると共に、曲の終わりの方で初めて見せる和声上の変化が絶大な効果をもたらすように作られているのです。
しかしながら、《シンデレラ》の伴奏が単純である事には、そのような音楽的意図が何もありません。本当にただの伴奏でしかないんです。

また、《ショパンの室内楽作品》として見ても違和感があります。
何故なら、多楽章形式(=ソナタ形式)の《チェロ・ソナタ》と《ピアノ三重奏曲》は別として、《チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ》《チェロとピアノのための「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲》にも、やはり「ショパンの変奏曲」と同様の序奏と終結部があるからです。
つまり《シンデレラ》には、「ショパンの室内楽」、ないしは「ショパンの変奏曲」に必ずあるはずの特徴が何もないんですね。
確かに一般的な意味での《変奏曲》としては、本来の在り方として奇異ではありません。でも、これはあくまでもショパンの作品か否かが問題なのですから、そのショパンの作品の慣例からすれば、これはやはり私には奇異に映ってしまうのです。

また、ショパンが書いた室内楽は、いずれもその成立過程がはっきりしています。
《ピアノ三重奏曲》はワルシャワ音楽院の卒業課題として書かされたものだし、《序奏と華麗なるポロネーズ》は玄人はだしのアマチュア・チェリストでもあるラジヴィウ公爵とその娘のワンダ姫が父娘で共演を楽しめるように書いてあげたものだし、そして《悪魔のロベール》は出版者から依頼され、それを友人でチェリストのフランコムとの親交を温めるために共作されたものです。
つまり、どれ一つとしてショパンが一人で自発的に書いたものではありません。
いずれも、誰かしらために書いたり書かされたりしたものばかりです。要するに、そんな事でもない限り、ショパンは室内楽の作曲には興味が持てなかったと言う事なんですね。
だとすれば、この《シンデレラによる変奏曲》も、仮にショパンがそれを書いたのであれば、必ず何かしら他者が絡んだ成立過程があったはずなんです。
その他者がチホツキだとすると、先述したように、その作曲時期と作風は、明らかにショパンの作曲年表の中では異質なまでに浮きまくっています。

ショパンが友人のために室内楽を書き、あるいは友人がショパンにそれを依頼すると言う事は、すなわち両者が共演を楽しむ事が目的で曲が書かれると言うことです。
だとすれば、「ショパンの室内楽」に限っては、常に共演楽器が対等の立場で扱われ、その主従関係がはっきり分けられてしまうような作品が書かれる事は考えられない事になります。つまり、完全にフルートが主役でピアノが伴奏のみに徹する《シンデレラによる変奏曲》のような作品が、ショパンの手によって書かれるはずがないと言う事なんです。
たとえば、仮に私がフルート奏者で、友人であるショパンが私のためにこの曲を書いてくれて、一緒に演奏を楽しむ事になったとしたら、私は間違いなく彼にこう言うでしょう…「なあフレデリックよ、その幼稚園レベルのピアノ伴奏に徹するのだけはやめてくれないか? そんなんじゃ、せっかく君の曲を君と共演する意味が何もないじゃないか。君だって、自分で弾いてて面白くも何ともないだろ? いつもチェリストの友人達とやるみたいにド派手にしてくれよ。ナンでオレん時だけそんな地味なんだよ!」と…。


この曲をYouTubeで検索してみると、プロアマを問わずたくさんの動画がアップされているのに驚きます。ところが、それ以上に驚いたのは、伴奏が必ずしもピアノとは限っていない事なんですね。ハープやギターを伴奏にしている人がかなりたくさんいる事に気付きます。そしてそれらを聴いてみると、全く何の違和感もない訳です。要するにこの曲の伴奏は、最初からピアノでなければならないと言う必然性なり音楽的根拠なりが何にもないと言う事なんです。別にピアノじゃなくてもいい、それはすなわち、別にショパンじゃなくてもいいと言っているに等しい訳で、果たしてそんなピアノをショパンが書き、そして演奏するだろうか?と思ってしまう訳です。

ハープ伴奏の例(↓)

ギター伴奏の例(↓)




私が思うに、この曲はおそらくノヴァコフスキ自身が書いた遺作で、彼がチホツキに個人献呈する目的で書いたものが、その彼らがショパンと共通の友人だったために、その交遊録の絡みから、いつの間にかショパン作品と誤認されて巡り巡ってしまっただけなのではないか?とも思うのです(あるいは、彼らがショパンの名声を自身の売名行為のために利用しようとしたのではないか?…などとは、あまり考えたくはないですけど…)。

ただ、誤解して欲しくないのは、私はこの曲はショパンが書いたものではないと言っているだけで、作品そのものを否定している訳ではありません。
変奏曲としての出来はさて置くとしても、この原曲であるロッシーニの旋律はとても好きで、仮にこれが誰の書いた変奏曲であるにせよ、これだけ多くのフルート奏者に取り上げられている理由もよく分かります。



その他の「偽作の疑いがかけられている曲」について。

《パガニーニの思い出》《コントルダンス》《ポロネーズ 変ト長調》(←これは第16番の事ですか?)に偽作説があるなんて、私は知りませんでした。勉強不足で申し訳ありません。

《パガニーニの思い出》については、これは元々他人の曲をテーマに用いた変奏(編曲)作品ではありますが、やはり晩年の《子守唄》に連なる要素を持った初期の作品と捉えられるので、私は今まで偽作と感じた事はありませんでした。

《コントルダンス》《ポロネーズ 第16番 変ト長調》については、どちらも決して名曲とは言えないのかもしれないけれども、明らかに音楽的霊感が感じられ、聴いた後にその旋律が耳に残ります。つまり、少なくとも才能のない人間には決して生み落とせない類の作品である事は間違いありません。なので、これらがショパン作品である事を疑った事もありません。

《マズルカ ニ長調 KK Anh.Ia-1》
この曲については、ドレミ楽譜出版社の「ショパン・ピアノ名曲辞典」に「疑わしい作品」と言う項目があり、その資料として筆写譜の冒頭の7小節が掲載されていて、現在私はそれしか情報を持っていません。
なので何とも言えませんが、この箇所だけを聴いた限りでは何の音楽的霊感も感じられず、旋律も耳に残りません。これがショパンの曲であろうとなかろうと、私にはちょっと興味が湧いてこない曲です…。

《憂うつなワルツ 嬰ヘ短調》
これは、上記の「疑わしい作品」の解説によると、筆写譜の表題に「Valse mélancolique Chopin(??)」と書かれていたそうです。もうその時点でショパンの作品じゃないと分かります。ショパンがそのような安易な表題を書くはずがないからです。
当ブログの《ワルツ 第3番 イ短調 作品34-2》の記事でも書きましたが、ショパンがレンツに語ったところでは、彼は《ワルツ 第3番》を“これは物憂げなワルツです。”と説明しはしましたが、決してそのような表題は付けませんでした。
この二つの“ワルツ・メランコリック”を聴き比べれば歴然としているように、偽作の方は、単に《ワルツ 第3番》やその他のショパン作品を模倣して雰囲気だけなぞった曲である事が一目瞭然です(↓)

インスピレーションを感じさせるような旋律は一つも出てきませんし、展開にもメリハリがなく全体的にのっぺりしています。これをどうしてショパンが書いたと信じられるでしょうか? この程度の曲であれば、ちょっと作曲を勉強した事のある者なら誰にでも書けてしまいます。

《忘れられたノクターン(Nocturne Oubliée) 嬰ハ短調 KK Anh.Ia-6》
これも同じです。これはショパンのノクターンではなく、ジョン・フィールドのノクターンだと言われれば、誰もが信じて疑わないのではないでしょうか?
短調で書かれたフィールドのノクターンは三つあり、それらはこんな感じです(↓)





どうでしょう? これらだって十分にショパンっぽいと言えばショパンっぽいですよね? 実際はショパンがこれらから影響されてノクターンを書き始めたのですが、たとえばこれらフィールドのノクターンの中に《忘れられたノクターン 嬰ハ短調》が含まれていたとしても、誰も何も違和感は覚えないのではないでしょうか(↓)

これら全てに共通しているのは、音楽構成上の平坦さです。つまり全体的にのっぺりしていて、ショパン作品にあるような明確なメリハリがないんです。次の展開を期待させるような高揚感もない。だから、正直なところ聴いていて途中で飽きてきてしまうんですね。とにかく、第一主題が何の変奏も転調も加えられる事なくそのまま4回も繰り返されるなんて…。ワルツやマズルカのような舞踏作品ならまだしも、ショパンのノクターンでそのような楽曲構成はありえません。つまり、凡庸な第一主題だから想像力も掻き立てられず、だから音も膨らませられないし、作曲者自身にそのような編曲能力も備わっていないと言う事なんですね。
ちなみにこの曲は、上記の「疑わしい作品」の解説によると、自筆譜や筆写譜ももちろん不明で、「パデレフスキ版の校訂者であるL.ブロナルスキは、この曲をかなりショパンの書式に似てはいるものの、疑わしいとしている」そうです。私もそう思います。

要するに、単に雰囲気だけをなぞったBGM的な曲で、だからそれなりに心地よくはあるのだけれども、それじゃあ聴き終わった後に耳に残る旋律があったかと言うと…、ないんですよね…。これがショパンの曲なら、一曲を通して印象的なフレーズが一つもなかったなんて事はまずありません。彼はインスピレーション(霊感)によって作曲するタイプなので、それがないと曲が書けないし書こうとも思わないからです。
ショパンが、ほとんどピアノ独奏用の小品しか書かないのに寡作なのは、つまりそう言う事だからです。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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