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zoom RSS ショパン:練習曲 第8番 ヘ長調 作品10-8

<<   作成日時 : 2013/06/27 14:01  

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♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:練習曲 第8番 ヘ長調 作品10-8 by Tomoro




Chopin : Étude No.8 in F major Op.10-8 /Tomoro

● 作曲年:1833年
● 出版年:1833年
● 献呈者:フランツ・リスト

 【ジャンル解説】
練習曲(エチュード)は、その名の通り、楽器の演奏技術を習得する手助けとなるように考慮された音楽作品です。
一口に練習曲と言っても、これには大きく分けて3種類あると言えます。

  1. 《ハノン》(シャルル=ルイ・アノン:Charles-Louis Hanon, 1819−1900)に代表されるような、機械的な運指の反復練習のみに特化して、楽曲としての体裁を成していないもの。
  2. 《ツェルニー》(カール・チェルニー:Carl Czerny, 1791−1857)に代表されるような、一応楽曲としての体裁は成しているものの、あくまでも練習曲であって演奏会で弾く事を目的としないもの。
  3. 《ショパン》や《リスト》(フランツ・リスト:Franz Liszt, 1811−1886)に代表されるような、プロが演奏会で弾く事を前提に、最高度の演奏技術を要求すると共に性格的小品としての芸術性をも兼ね備えたもの。


 【作品解説】
ショパンの《練習曲 第8番 ハ長調》は、《12の練習曲 作品10》の第8曲目です。
右手のパッセージ(経過句、走句)のための練習曲と言われており、指の独立性や手首の柔軟性を要求されます。

この曲は、特に何かにたとえられたりする俗称のようなものはありませんが、《作品10》の中では、とてもユーモラスな印象を受ける作品で、私などは個人的に、この曲を聴くと何故か“象の行進”をイメージしてしまいます。



前回に引き続き、《12の練習曲 作品10》を献呈されたリストについて、ショパンとの比較を交えながら書いてみたいと思います。
第3回目の今日は、彼らの子供時代の教育事情についてです。


リストの祖父ゲオルク(Georg Liszt 1755−1844)は学校の教師でしたから、父アダム(Ádám Liszt 1776−1827)にはそれなりの教育を施しており、アダムは高等教育まで受けさせてもらっています。
高校卒業後、アダムはスロヴァキアのフランシスコ教会で修道士となるべく修行を積んでいたのですが、しかしそれに関しては、本人の移り気な性格のために断念し、還俗したそうです。
その後1797年からプレスブルク大学の学生として哲学を専攻しますが、これについては経済的事情のために一年で断念せざるを得なくなります。
こうして見ると、祖父の影響もあるのでしょうが、若い頃のアダムはそれなりに教育に関心を持っていたようではあるのですが、しかしながら、いざ自分の息子に対してとなると、もちろん経済的な事情も大きいのですが、それほど教育熱心ではなかったようですね。

リストの初等教育は、村の学校教師ヨハン・ローラーによって行なわれました。
ローラーがドボルヤーン(現在のオーストリア領ライディング)の教師として任命されて来た時、彼はまだ22歳と若く、ドイツ語を話し、小さな学校には67人の子供たちがいて、男の子が52人、女の子が15人、少年リストはその中で読み書きを習いました。
なので、リストの両親がそうだったように、ハンガリー西部の何千もの人達と同様、リストもドイツ語を話しました。しかし、そもそもドボルヤーン自体がドイツ語を話す村だったのです。
しかも彼は12歳でパリに渡りますから、それ以降はもっぱらフランス語を使うようになります。
そのためリストは、マジャール語(ハンガリー語)を話す事が出来ないまま育ち、そしてそのまま生涯を通す事になるのでした。

後にリストが語ったところによると、少年時代の彼は、貧しい初等教育に留まり、歴史や地理、あるいは自然科学等の一般教養を学ぶ事など考えられず、その事をとても残念に思っていたそうです。
若くして音楽家として有名になり、上流社会との交わりが増えるにつれ、彼はそんな自分の無教養さに非常なコンプレックスを抱くようになります。そしてそれを補おうとして、膨大な読書量をこなすようになるのですが、このように、リストには、向上心が強く、努力家の一面もありました。


一方のショパンはと言うと、彼の父ニコラは、元々はフランス・ロレーヌ地方の片田舎で車大工と葡萄園を兼業する第三身分の出身でしたが、フランス革命を前にした国の混乱から逃れるようにワルシャワへ渡り、叩き上げのフランス語教師として高等学校の教授にまで登り詰めました。
その傍ら、自宅を学生用の寄宿学校にして、地方の裕福な貴族や士族の子息達を預かる事もしていましたから、もちろん自分の子供たちに対しても教育熱心でした。
少年ショパンは病気がちだった事もあってか学校には通っていませんでしたが、そんな事は全く問題にならず、学校同然だった家庭環境のお陰で、同世代の友人達に混じって一般教養なども身につけられたのです。
ショパンは、父はフランス人で母はポーランド人でしたから、基本的にはポーランド語を母国語として話し、フランス語も第二母国語と言って差し支えない程度に読み書きまで出来ましたし、その上、ショパン家の子供たちは皆、更なる教育によってドイツ語にも精通していたのです。
しかもショパンは、高等学校に編入した3年間は常に成績優秀者として賞をもらっていた程でしたから、その意味でも、リストが抱いていたようなコンプレックスとは無縁だったのでした。


続く…

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
…前の記事もそうだけど、俗称や表題だけで作品を語られるのはショパンが最も望まないことなのでは?
nao
2013/06/27 22:07
nao様へ。
そうなんですよね…仰るとおりです…。
私もそれは重々承知しているつもりなのですが、どう言う訳か《練習曲》となると、その性格上、作品そのものについて語れる事が限られてしまって、ついつい一般で言われている事の紹介記事になりがちになってしまいます。それでこうして、この機会にと、ショパンを語る上でどうしてもはずせないリストのお話しを書こうと思った訳なのですが、少々そちらの方に意識が行ってしまっていたのかもしれません…。個人的に、決してあれらの俗称等に賛同している訳でもなく、自らも新たな俗称を生み出さんとするつもりなど毛頭ないのですが、誤解を招く書き方になってしまっていたようです。でもショパン・ファンならその辺の事を軽く考えず、もう少し襟を正さなければいけませんね。
トモロー
2013/06/28 00:02
「ファン」というよりもう「研究者」という意識でいた方が(研究者は最も偉大なファンなのですが)。
ショパンのエチュード構想の根幹を成す第1番と2番、なにかと逸話のある3〜5番や12番と違って、6番以降の数曲は確かに解説しにくいかもしれないですね。ただ、リストについて書いているなら次の第9番は格好の材料でやりやすいかと思います。面白い記事を期待してます。

ショパンとリストの関係はよく取り上げられますが、私はショパンとアルカンとの関係について知りたいです。ショパンにおける他の作曲家たちとの関係は、どうも表面的であったり、作曲に関しては徹底的に嫌っているということが多いですが、アルカンとは相当仲が良かったらしいと聞きます。けれど、アルカンの過剰で異常で狂気じみてさえいる超絶技巧の誇大妄想的な音楽を、趣味のよいショパンが好むわけがないと思えます(アルカンの異名は「ピアノのベルリオーズ」)。アルカンが最近までずっと歴史に埋もれていたためか、二人の関係を詳述したものを見たことがありません。どこかの時点でアルカンについても書いていただきたいと思います。
nao
2013/06/28 02:39
nao様へ。
プ…、プレッシャーが…(笑)。
トモロー
2013/06/29 03:07

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