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zoom RSS ショパン:マズルカ 第1番 嬰ヘ短調 作品6-1

<<   作成日時 : 2013/04/14 16:21   >>

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♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:マズルカ 第1番 嬰ヘ短調 作品6-1 by Tomoro




Chopin : Mazurka No.1 in F# minor Op.6-1 /Tomoro
● 作曲年:1832年
● 出版年:1832年
● 献呈者:ポーリーヌ・プラーテル伯爵令嬢


 【ジャンル解説】
マズルカは、ショパンの祖国ポーランドの民族舞踏の一種です。
中部マゾフシェ地方の快活なマズル、
西部クヤヴィ地方のゆったりしたクヤヴィアク、
南部シロンスク地方の急速なオベレク、
の三つに分類され、主に農民によって踊り継がれてきました。

ショパンのマズルカは、それら三つの要素を巧みに融合させながら、独創的で芸術性の高い作品に仕上げられています。


 【作品解説】
《マズルカ 第1番》は、《4つのマズルカ 作品6》として出版された中の第1曲目で、生前のショパンが公式に出版したマズルカの記念すべき最初の作品になります。
舞踏曲としては、1831年に出版された《チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3》に次いで二番目となりますが、ピアノ独奏用の舞踏曲としてはこれが最初となります(※1826年にワルシャワのみで30部だけ出版された《マズルカ 第52番(第51番) 変ロ長調》《マズルカ 第53番(第50番) ト長調》を除けばの話ですが)。

以前のショパンは、マズルカ、ポロネーズ、ワルツのような舞踏曲は、あくまでもダンスのための伴奏であって、正式な意味での「作品」とは見なしていなかった節が見受けられたのですが、ここへきて本格的に作曲の才能が開花した事により、舞踏曲も十分に芸術作品になり得るとの発想を持ち始めたようです。
中でも、特にマズルカは地方色の強く、どちらかと言うと土臭い音楽なのですが、この《第1番》は、これまでショパンが書いてきたどのマズルカにもなかった洗練された味わいがあり、全音楽譜出版社の解説にもあるようにメランコリックな中にも独特の晴れやかさが感じられて、非常に完成度の高いものになっています。

この曲は、ショパンがパリに渡った翌年の1832年(※当時23歳)に作曲され、同年の出版に際してポーリーヌ(パウリーナ)・プラーテル伯爵令嬢に献呈されました。
彼女の父ルドヴィク・アウグスト・プラーテル伯爵はポーランドの貴族で、彼は1794年にロシアの支配に抵抗して「コシチウシュコの反乱」に参加し、1830年11月の「ワルシャワ蜂起」の際には臨時政府の外交使節としてフランスのルイ・フィリップ王に援助を求めるためパリに渡りました。しかし蜂起が失敗に終わったために、そのまま亡命者としてパリに残ったのでした。

その娘である伯爵令嬢については、アラン・ウォーカー著『フランツ・リスト:ザ・ヴィルトゥオーゾ・イヤーズ、1811-1847』に次のように書かれています。
「…この若き伊達男(リスト)は、他にも一時的な不倫関係、特にポーランド生まれのポーリーヌ・プラーテル伯爵令嬢との、を持った。そのプラーテル伯爵令嬢は、彼女のサロンで演奏する三人のピアニスト―フェルディナンド・ヒラー、ショパン、そしてリスト―の長所を比較して尋ねられた時、彼女はヒラーを友人に、ショパンを夫に、そしてリストを愛人に選ぶと言った。」
(※Alan Walker『Franz Liszt: The Virtuoso Years, 1811-1847』より)


また、属 啓成著『ショパン 作品篇』にはこうあります。
「パウリーネ・プラーテル伯爵令嬢(ポーランド出身。パリではショパンをわが子のように愛し、心をつくして世話をした)」
(※属 啓成著『ショパン 作品篇』(音楽之友社)より)


エーゲルディンゲルによると、彼女のアルバムには1844年に《ワルツ 第10番 ロ短調 作品69-2 遺作》と《ワルツ 第12番 ヘ短調 作品70-2 遺作》も書き込まれていたそうです。
ただし、この2曲はそれぞれ他の人々にも贈られているので、いわゆる献呈とはちょっと違うようです。


《マズルカ 第1番》が書かれた1832年と言うのは、これを含む《4つのマズルカ 作品6》と、更に《5つのマズルカ 作品7》も同時期に出版されていて(※このうち《第8番 イ長調》はワルシャワ時代の改作、《第3番 ホ長調》《第6番 イ短調》《第7番 ヘ短調》はウィーン時代の作)、その他にも《第55番 ニ長調 遺作》の改作、《第56番  変ロ長調 遺作》も書かれていたので、ショパンはかなりの数のマズルカを書いていました。

この年の2月にショパンはパリにおけるデビュー公演を成功させ、そのお陰で出版者のシュレンジンガーとの契約にこぎつけました。
普通であれば、同公演のメイン演目である《ピアノ協奏曲 ホ短調》が最初に出版されるべきだったのでしょうが、ところがパリで起こった暴動のせいで演奏会が開けなくなると言う事態に陥ってしまい、ショパンの音楽活動も滞ってしまいます。
そんな音楽界の事情を考慮して、代わりにサロン向けの小品を出版するのが得策と判断されたのではないでしょうか。
※ちなみに、あとこの年に出版されたのは《ピアノ三重奏曲 ト短調 作品8》《3つのノクターン 作品9》で、《ピアノ協奏曲 ホ短調》は翌1833年の出版となります。


それで、当時パリに多くいた亡命ポーランド人達向けに(デビュー公演の客の多くも彼らでした)、マズルカを一気に書き上げて出版したのではないかと思われます。
ただし、ショパンがついに本格的に自作を世界に向けて出版する事になった訳ですから、その自覚と意気込みが、これらのマズルカを普遍性ある芸術作品にまで昇華させたのでしょう。


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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