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zoom RSS ショパン:ワルツ 第3番 イ短調 作品34-2「華麗なる円舞曲」

<<   作成日時 : 2013/02/27 00:04   >>

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♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:ワルツ 第3番 イ短調 作品34-2「華麗なる円舞曲」 by Tomoro




Chopin : Waltz No.3 in A minor Op.34-2 "Walse brillante" /Tomoro

● 作曲年:1831年
● 出版年:1838年
● 献呈者:C. ディヴリー男爵夫人


 【ジャンル解説】
ワルツ(円舞曲)は、西オーストリア、南ドイツ(ハプスブルク帝国)を起源とする、比較的淡々としたリズムの3拍子の舞曲です。
ヨーゼフ・ランナー(Josef Lanner 1801−1843)はオーストリアの作曲家兼ヴァイオリニストで、「ワルツの始祖」とも呼ばれています。
ヨハン・シュトラウス1世(Johann Strauß I(Vater) 1804−1849)はオーストリアのウィーンで活躍した作曲家、指揮者、ヴァイオリニストで、ウィンナ・ワルツの基礎を築いた事から「ワルツの父」とも呼ばれています。


 【作品解説】
※以前に書いたこの曲の記事が、どう言う訳かいつの間にか削除されてしまっていて(私が何か操作を誤ったのでしょうか?)、バックアップデータなど取っていないし、兎に角とてもショックで頭が真っ白になってしまいました。なので、仕方がないので記憶を頼りにもう一度同じ(?)内容の記事を書くことにしました…トホホ…。



ショパンが書いたワルツは、現在楽譜が確認されているものは全部で19曲あり、そのうち作曲者自らが作品番号を付して公式に出版したのは8曲だけです。遺作となった残りの11曲のうち、半数以上の7曲が初期の作品に含まれ、《ワルツ 第1番 変ホ長調 作品18「華麗なる大円舞曲」》が出版される1833年以前に書かれています。

この曲は、《3つの華麗なる円舞曲 作品34》としてまとめられた3曲 のうちの第2曲目です。
そのため、この《第3番》も「華麗なる円舞曲」と呼ばれてはいるのですが、他の2曲に比べてちょっと「華麗」とは言い難い曲調で、ショパン自身の言葉を借りれば正に“物憂げなワルツ”です。

ショパンが生前に出版したワルツの中では最も初期の作品となりますが、これは、作曲されてから出版されるまでに、実に7年もの歳月が流れています。
このワルツは、どの解説書でもマズルカとの関連が指摘されていますが、その点がこの曲の一番の特徴とも言えるでしょう。

ショパンは、1829年のウィーン初訪問の前後から翌1830年にかけて精力的にワルツを作曲し始めています。また、その一方で、同じくマズルカも数多く手がけています。
この事から、ワルツが「ウィーンの社交界に溶け込むための準備」として、マズルカが「祖国を離れる事への郷愁」として、これら二つの舞曲が当時のショパンの心を占めていたらしい事が察せられます。

ショパンは1830年11月2日にワルシャワを発ち、期待に胸を膨らませながら、同月の23日にウィーンに到着しました。
ところがそれも束の間、それからたった6日後の29日には、祖国ポーランドでロシアの支配に反抗する「ワルシャワ蜂起」が勃発します。
その報せはじきにウィーンのショパンの許にも届き、その後ショパンは、ワルシャワの家族に宛てた手紙に次のように書いています。
「僕があなた方の許を去ってから、昨日で7週間になります。何のために? でも、そうなのですから、仕方ありません。…(中略)…ウィーンの色々な娯楽のうち、最も人気のあるのはガーデン・コンサートで、そこでは人々が夕食をとっている間に、ランナーやシュトラウスがワルツを演奏します。ワルツが終わる毎に、その音楽家達は騒々しいブラボーを受けます。人気のあるオペラのメロディーや、歌曲やダンス曲で始まるお好みが演奏されると、ウィーン人の熱狂には際限がありません。
僕は、この手紙と一緒に僕の最近作のワルツを送りたかったのですが、郵便馬車が行ってしまいますし、それを書き写す時間がないので、また別の機会にしなければなりません。マズルカ(※複数)もまた、僕は最初に写さなければなりません;でもそれらは、踊るためのものではないのです。…(後略)…」
(※『1830年12月22日付の家族宛の手紙』より→全文はこちら

ここで言及されている「僕の最近作のワルツ」がおそらくこの《第3番》だと思われるのですが、この時のショパンは、「ワルシャワ蜂起」の勃発によってもはや音楽活動どころではなくなってしまっていました。
しかしそんな中でも、彼はウィーンの社交界とは関わり続けなければなりませんでしたし、その一方では、祖国への郷愁もまた募るばかりだった事でしょう。
そんな時に、あたかもその二つの思いが絡み合ったかのような、つまりワルツとマズルカが融合したかのような“物憂げなワルツ”が生まれたと言うのも、おそらく自然な、あるいは必然的な成り行きだったのではないかと思われるのです。


そんな事もあってか、実際ショパンはこの曲をたいそう気に入っていたようで、その事を示すパリ時代のエピソードに、次のようなものがあります。
「ステファン・へラーが――彼がこの話を聞かせてくれたのだが――ある日、パリのシュレジンガー社の店先にいると、ショパンがひょっこり姿を現した。ヘラーが、ワルツを1曲弾いていただけませんか、とお願いすると、ショパンはどのワルツが好きなのかと聞き返した。「みんな好きですから、どれか1曲と言われてもですねえ」とヘラーが答えた。「でも強いて言うなら、やはりイ短調のものがよいでしょうか」。ショパンはこれを聞いてとても喜んだ。「そりゃ嬉しいことを言ってくれるじゃありませんか。実はわたしもそれが一番好きなんですよ」と言ったのである。」
(※ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著/米谷治郎・中島弘二訳『弟子から見たショパン』(音楽之友社)より)


また、この曲には初期稿と改定稿とがあり、一般に知られているのは改定稿の方で、本稿でもそちらを使用しています。それについて、パリ時代にショパンに師事していたレンツが次のような証言をしています。
「(※ショパン曰く)“これは物憂げなワルツです。いいですか、この曲はあなたには一生かかっても弾けませんよ。でも理解はおできになるわけだから、わたしがよいことを教えてあげましょう。” 第8小節の上声部にはシ(第2拍目の4分音符)があり、次にレ―ソ#(第3拍目の4分音符)がある。その箇所でレ―ソ#―ドを弾いてからソ#―シを弾くと、声部が加わってポリフォニーの豊かな響きが生じる:このリフレインがくり返されるたびに、このように声部を追加すると、素晴らしい効果が得られるのである。」
(※ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著/米谷治郎・中島弘二訳『弟子から見たショパン』(音楽之友社)より)

この改定はショパンの姉や弟子達の楽譜にも施されている事から、後の出版譜にも転載されるようになったそうで、それについてエーゲルディンゲルは「これは任意に加え得る単なる異稿というよりも、ショパン自らの意思による訂正と考えた方がよさそうである」としています。
ちなみに、訂正前のヴァージョンは以下の通りです。





これはこれで全然悪くはありませんが、一瞬の感情の高まりのようなものはなく、物憂げさが淡々と流れていくような感じがしますね。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちら)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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