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zoom RSS ショパン:練習曲 第12番 ハ短調 作品10-12「革命」

<<   作成日時 : 2013/01/18 01:39   >>

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♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:練習曲 第12番 ハ短調 作品10-12「革命」 by Tomoro




Chopin : Étude No.12 in C minor Op.10-12 /Tomoro

● 作曲年:1830〜32年?
● 出版年:1833年
● 献呈者:フランツ・リスト

 【ジャンル解説】
練習曲(エチュード)は、その名の通り、楽器の演奏技術を習得する手助けとなるように考慮された音楽作品です。
一口に練習曲と言っても、これには大きく分けて3種類あると言えます。

  1. 《ハノン》(シャルル=ルイ・アノン:Charles-Louis Hanon, 1819−1900)に代表されるような、機械的な運指の反復練習のみに特化して、楽曲としての体裁を成していないもの。
  2. 《ツェルニー》(カール・チェルニー:Carl Czerny, 1791−1857)に代表されるような、一応楽曲としての体裁は成しているものの、あくまでも練習曲であって演奏会で弾く事を目的としないもの。
  3. 《ショパン》や《リスト》(フランツ・リスト:Franz Liszt, 1811−1886)に代表されるような、プロが演奏会で弾く事を前提に、最高度の演奏技術を要求すると共に性格的小品としての芸術性をも兼ね備えたもの。


 【作品解説】
ショパンの《練習曲 第12番 ハ短調》は、《12の練習曲 作品10》の第12曲目(最終曲)です。
一般に《革命のエチュード》と呼ばれ、ショパンのエチュードの中でも特に有名なものの一つです。
「革命」と言うのはもちろん俗称で、これをそのように命名したのはリストです。それもショパンの死後、リストの主観によってですから、リストはこの練習曲集をショパンから献呈されていながら、ショパン自身の口からこの曲の作曲秘話について説明されていた訳ではない事が分かります。

この曲は、左手の細かい動きと、右手のオクターブのための練習曲とされています。されています…と言うのは、実はショパンは、これら各曲がそれぞれ何のための練習曲なのか、その練習課題を何も楽譜に書き記していないんですね。そんなところも、いかにも標題音楽を嫌うショパンらしい特徴だと言えるかもしれません。


この曲が作曲された経緯については、1831年9月(※当時22歳)、ショパンがウィーンからパリに渡る途中のシュトゥットガルトで、ロシア軍による「ワルシャワ陥落」のニュースにショックを受けて作曲したと言う話が有名です。
しかしながら、その逸話には何の資料的根拠もありませんし、しかもその話の出所は、ショパン伝に数々の嘘を盛り込んできた事でも有名な、かの国粋主義的伝記作家モーリッツ・カラソフスキーですから、したがって現在では作り話とされており、私もそのように考えています。
バルバラ・スモレンスカ=ジェリンスカは、この曲について次のように書いています。

「…(略)…ショパンの死後、「革命」というあだ名がつけられさえした。シュトゥットガルトで、ワルシャワ陥落の報に接したショパンがこの曲を即興的に書いたとする伝説もあるが、その蓋然性はほとんどなく、何よりもこの曲想自体が、敗北という悲劇によって彼が陥ったときの精神状態に合っていない。この練習曲はむしろ英雄的な活力、執拗に抵抗を続ける闘争の苦痛、革命精神といったものが充満している。」
(※バルバラ・スモレンスカ=ジェリンスカ著/関口時正訳『決定版 ショパンの生涯』(音楽之友社)より)


この曲は、すでにその前年の1830年の秋には構想されていたとも言われており、だとすれば、それはショパンがまだワルシャワにいた頃になりますから、ショパンがウィーンに到着した直後に勃発した「11月蜂起」とも直接関連がない事になります。
また、完成されたのはパリ時代に入ってからだとも言われていますから、だとすれば、「ワルシャワ陥落」の知らせに誘発されて即興的に書き上げたと言う話も事実ではない事になります。
おそらく、あのカラソフスキーの事ですから、彼は、リストがこの曲を「革命」と呼んだ事に便乗し、そこから勝手に想像を膨らませてそのような作り話をこしらえたのでしょう。
でも、だとすると、ショパンがシュトゥットガルトで「ワルシャワ陥落」のニュースを知ったと言う話自体が疑わしい事になりはしないでしょうか? なぜなら、その話の出所も同じカラソフスキーの伝記だからです。

すると必然的に、ショパンがその時に書いたとされている「シュトゥットガルトの手記(日記)」にしても、その信憑性が怪しいものになってきます。
ヘンリー・オピエンスキー編の『CHOPIN’S LETTERS』を英訳したE.L.ヴォイニッヒ夫人も、その序文で、この日記を贋作だと考えている由の事を書いています。
私もこの日記は贋作だと考えていて、その根拠は概ね以下の通りです。


【ショパンは日記など書かない】
そもそもショパンは自他共に認める筆不精で、日記や手記など書くようなタイプの人間ではありません。
もしもそのような習慣があるのなら、ワルシャワ時代の20年間やパリ時代の18年間においても同様に日記を書いていたはずです。ところがそのいずれにおいても、ショパンはただの一日たりとも日記や手記の類を書き残してはいないのです。この人は遺言書すら書かなかった位なのですから。それなのに、たった1年足らずのウィーン時代にだけ日記を書いていたなんて、まずその事自体が不自然です。
(※その詳細については「自他共に認める筆不精のショパンが、果たして日記など書くのか?」で)
しかもその日記帳(アルバム)は全部で150ページ以上もあったと言うのに、その中から抜粋紹介されたのはたった数ページでしかなく、その内容にしても、あまりにも愛国心一辺倒に偏向し過ぎています。そこからは、どうしたって日記帳の発見者の政治的意図を感じない訳にはいきません。
実際、これを発見して公表したスタニスラフ・タルノフスキーの著書『CHOPIN: AS REVEALED BY EXTRACTS FROM HIS DIARY』(日記からの抜粋で明らかになったショパン)と言うのは、まさしく愛国的論調に主眼が置かれたもので、しかも資料的根拠のない作り話がいくつも盛り込まれたものでした。

【ショパンの恋の相手はコンスタンチア・グワトコフスカではない】
この日記帳(アルバム)には、ショパンの恋愛対象としてコンスタンチア・グワトコフスカが出てきますが、当時ショパンが恋していたのはグワトコフスカではありません。アレクサンドリーヌ・ド・モリオール伯爵令嬢です。これは本人がハッキリとそう手紙に書いている事です。
ところが、その手紙を最初に公表した伝記作家モーリッツ・カラソフスキーが、その事実を手紙から削除して闇に葬り、手紙の提供者であるティトゥス・ヴォイチェホフスキと結託して、モリオール嬢をグワトコフスカにすり替えてしまっていたのです。なぜ彼らがそんな事をしたのかと言うと、モリオール嬢が、当時ワルシャワを統治していたロシアのコンスタンチン大公家で家庭教師をしていたからです。熱狂的な国粋主義者で革命派だったカラソフスキーは、ショパンがそんな保守派の女性に恋していたと言う事実が許せなかったのでしょう。実際のショパンは平和主義者で、政治的には保守中立の立場でした。ところがカラソフスキーは、ショパンの実像を捻じ曲げて革命派として描くために、ショパンが保守派の人々と親密に交際していた事実をことごとく手紙から削除し、その代わりに、ショパンをポーランド的に美化するために、架空の恋愛相手まであてがって様々な作り話を加筆していたのです。
(※その詳細については「噂の恋人?「モリオール嬢」の存在について」で)

【日記帳の発見者が、グワトコフスカの四行詩について何も触れていない】
その日記帳(アルバム)には、旅立つショパンに向けてグワトコフスカが贈ったと言う四行詩が二つも書き込まれていたとされているのですが、しかしこの日記帳が最初に発見された時、その発見者であるタルノフスキーは、奇妙な事にそれについては何も触れていませんでした。
その四行詩はショパンと彼女の間に個人的な交流があった事を示す唯一の資料となるものなのに、それについて何もコメントしていないなんて事自体が不自然ですし、後世において別途発見され公表されたその四行詩にしても、少なくとも二つのうち一つは間違いなく贋作なのです。
(※その詳細については「グワトコフスカが書いたという、2つの四行詩の不審点」で)

【ショパンのパスポートは来月で期限切れにはならない】
この日記には、「来月をもって、僕のパスポートの有効期限が切れる」とありますが、これも事実ではありません。なぜならショパンのパスポートは、ウィーンの警察に預けていたものが紛失してしまい、そのためウィーンで新たに申請し直したものだからです。要するにこの贋作者は、カラソフスキーがショパンの手紙に加筆改ざんした誤った情報を引用して日記を創作してしまっているのです。
(※その詳細については「家族書簡・第9便におけるカラソフスキーの嘘」で)

【ホテルの個室にピアノなど置いてある訳がない】
この日記には、「僕はここで…(中略)…ピアノの前で心の苦しみを吐き出して」云々とありますが、そのような事は現実的にあり得ません。なぜなら、旅の途中で一時的に宿泊するだけのホテルの個室に、いちいちピアノなんか置いてある訳がないからです。
その証拠に、当時ヨーロッパ中を演奏旅行して回っていたリストには、次のようなエピソードがあります。
「…そんなリストが愛用していたのが三オクターブの無音鍵盤。音はでないけれど、持ち運びがかんたん。当時はいまみたいにホテルの部屋でもピアノが練習できる、なんてことはなかったので、「巨匠」も大いにこれを活用。移動中も馬車のなかでこの鍵盤を使ってひたすら練習していたのかもしれません。」(※『ピアノを読む本』(株式会社ヤマハミュージックメディア)より)

言うまでもなく、ショパンは演奏旅行などしていませんから、リストと違って無音鍵盤も持っていませんでした。

【ニュースを無批判に信じ過ぎる】
ワルシャワ陥落のニュースがシュトゥットガルトに届くまでに、当時の通信事情では少なくとも10日ぐらいはかかります。しかもその第一報ともなれば、それほど詳細な内容にはならないはずです。それなのに、この日記に書いてある事は、まるで現場を見てきたかのように詳細で正確な情報に基づいており、その上、書き手がその情報の信憑性について何の疑いも持っていません。まるで、それが歴史的事実である事を予め知っているかのようです。
それに、事件に対するリアクションも不自然です。普通はこのような場合、誰であっても、とにかくひたすら家族や友人達の無事を祈るものではないでしょうか? それなのに、もう最初から家族も友人達も殺されたに違いないとか、姉妹達は強姦されたに違いないとか、とにかく一番考えたくないはずの最悪の事態ばかり自分で勝手に決め付け、その妄想のみを根拠に事件を嘆き悲しみ錯乱しているのです。まるでそうあるべきだと望んでいるかのように強引で奇妙な発想です。それでいて、これだけ大騒ぎしておきながら、あとでみんなが無事だった事を知っても、そちらのビッグニュースに関しては一切何も書いていないなんて…。
つまりそれは、これが書かれた目的が、ただひたすらロシアの蛮行をプロパガンダする事だからに他ならないんですね。だからこそ、家族の無事よりもロシア憎しの方が大事なんです。でもそんなのがショパンであるはずがありません。
(※その詳細については「シュトゥットガルトの手記とは何なのか?」で)

【 発見者が信用できる人物ではない】
このアルバム(日記帳)の発見者であるタルノフスキー伯爵と言うのは、ショパンとポトツカ夫人が愛人関係にあったなどと言う噂を雑誌に書いて流布したりするようないかがわしい人物で、彼の著書『ショパン:日記からの抜粋で明らかになったその人物像』には、ショパンがそんな事をするはずがないと誰にでも分かるような嘘がたくさん書かれています。
たとえば、演奏会用に仕立てたスーツが気に入らなかったので自分より2倍近くも大男の弟子のスーツを借りて出たとか、作曲でどのフレーズを選ぶか悩んだ時は子供を呼んで選ばせたとか、《英雄ポロネーズ》を書き上げた直後に民族衣装を身にまとった兵士の亡霊が出て来たので逃げたとか、その他諸々…。
(※その詳細については「このアルバム(日記帳)は何処から出て来たのか?」で)

【 ポーランドの公的機関以外の筆跡鑑定は信用できない】
この手記は、発見者が「オリジナルはアクシデントによって失われた」として直筆資料を最後まで提出しなかったにも拘らず、その真偽が疑われると、後世において何者かがどこからともなく直筆資料なるものを出してきて、一応筆跡鑑定の結果それはショパンが書いたものであると認められてはいます(この経緯は、後のポトツカ贋作書簡の時と酷似しています)。
しかしながら、ポトツカ贋作書簡の事件の際にも露呈したように、ポーランドの公的機関以外の筆跡鑑定は決して信用できるものではありません。
(※その詳細については、イェージー・マリア・スモテル著/足達和子訳『贋作ショパンの手紙―デルフィナ・ポトツカへ宛てたショパンの“手紙”に関する抗争』(音楽之友社)に書かれています)
ただ残念ながら、その直筆資料なるものも既に戦火に失われてしまっており、もはや現代の公的機関による科学的な筆跡鑑定にかける事はかないません。
それでも、ポトツカ贋作書簡の時もそうでしたが、その内容が現実的にあり得ないものであると言う厳然たる事実がある以上、そちらの方がむしろ鑑定結果なんかよりも遥かに重要なのではないでしょうか。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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