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zoom RSS ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11(ピアノ独奏版)

<<   作成日時 : 2012/05/06 12:03   >>

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♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11(ピアノ独奏版)
Chopin : Piano Concerto No.1 in E minor Op.11 (for one piano)

第1楽章 アレグロ・マエストーソ by Tomoro






I. Allegro Maestoso /Tomoro

第2楽章 “ロマンス” ラルゲット by Tomoro




II. ROMANCE Larghetto /Tomoro

第3楽章 “ロンド” ヴィヴァーチェ by Tomoro




III. RONDO Vivace /Tomoro

● 作曲年:1830年
● 出版年:1833年(オーケストラ伴奏版)/2010年(ピアノ独奏版)
● 献呈者:フリードリヒ・カルクブレンナー氏


 【ジャンル解説】
協奏曲(コンチェルト)は、基本的にピアノやヴァイオリン等の独奏楽器とオーケストラによって競演される多楽章形式(ソナタ形式)の音楽作品です。
構成はソナタと同じですが、規模が大きいため3楽章から成る場合がほとんどです。

ちなみに、日本では「コンチェルト(協奏曲)」、「コンサート(演奏会)」という風にその両者が区別されていますが、これらは元々「共同で行なう」、「意思を合わせる」などの意味の言葉が語源となっており、たとえばイタリアでは協奏曲も演奏会もどちらも「コンチェルト(Concerto)」で、ポーランドではどちらも「コンツェルト(Koncert)」ですから、どちらの意味で使っているかは文脈や状況で異なります。


 【作品解説】
ショパンは生涯に協奏曲を2つしか書いておらず、それも1829年〜30年にかけて続けざまに制作したきりで、それ以降、オーケストラを伴う作品は、同年から翌31年にかけて書いた《ピアノとオーケストラのためのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22》のポロネーズ部を最後に手掛けていません。

ナショナル・エディション(エキエル版)の解説によると、ショパンの時代には、こういった協奏的作品には、以下の4タイプの演奏形態が用意されていたそうです。
  1. 1台ピアノ(ピアノ独奏)版
  2. 2台ピアノ版
  3. 室内楽版
  4. 本来のオーケストラ伴奏版
このそれぞれを、演奏場所や条件等によって使い分けていました。
大きなコンサート・ホールでの演奏会を嫌い、サロンで弾く機会が圧倒的に多かったショパンにしてみれば、尚の事、こういった楽譜の準備は必要だったのです。

本稿では今回、この曲をナショナル・エディションによるピアノ独奏版(1台ピアノ版)でお送りいたします。


前回(ホ短調・協奏曲の2台ピアノ版)からの続き〜


今回は、前回ちょっと触れたあるブログ記事についてです。
そこには、ショパンのピアノ協奏曲について、「本人がオーケストレーションをしていないのは、まず確かなこと」と書かれています。
果たして本当にそうなのでしょうか?
ショパンがピアノ協奏曲を書くにあたって、ワルシャワ音楽院の3年間でいかに計画的に準備を進めてきたか、そしてそれを院長のエルスネルがいかに綿密に順序だてて導いていたか、それについては前回説明した通りですが、これは、そういった彼らの努力に対する冒涜とも言えるような話です。

まず、それを検証するために、その記事の内容を以下に引用させて頂きたいと思います。
この箇所は、ナショナル・エディションによる協奏曲のピアノ独奏版について言及されている部分です。

「…(前略)…ところが、この作品の世界初演をした河合優子さんにお話を伺ったら、まったく新しい事実がわかりました!! ショパンのピアノ協奏曲は、後から独奏版が編曲されたのではなく、もともとショパンがピアノ独奏の楽譜を書いていて、後からオーケストレーションしたものだったと言うのです。最初から1人用の楽譜があったというわけなんです!! 誰もそんなこと知りませんでしたよね? 19歳、20歳くらいのまだ若いショパンは、オーケストレーションに慣れていなくて、ここはフルートだな、ここはチェロだなというイメージを思い浮かべながら、まずピアノ・ソロで楽譜を書いたらしいのです。それから、もっと驚いたことは、最終的にオーケストレーションの詳細をショパン自身がやっていない!! 天才ショパンと言えども、まだ若く経験がないので、間に合わなくて誰か経験豊富な先輩音楽家に頼んだみたいなんです。フル・スコアに残っている筆跡が明らかに違うし、オケとピアノが短2度でぶつかったり、同じ人間が書いていたらありえないことが起きていると河合さんはおっしゃっていました。…(後略)…」


ここに書かれている話をそのまま受け取ると、ショパンはまず、協奏曲を想定しつつピアノ独奏曲として作品を書き、それをあとで先輩音楽家にオーケストレーションしてもらった…と言う事になるのだそうですが、それはとんでもない認識間違いをしているように思われます。
おそらく、この話の大元はナショナル・エディションの編者であるエキエルなのだろうと容易に想像がつきますから、単にその受け売りをしているだけなのでしょうけど…。

まず、今回お送りしているピアノ独奏版をお聴き頂ければ明らかなように、これはそもそも「独奏版」などと呼べるような代物ではありません。なぜなら、これ自体がきちんと完成した独奏作品としての体を成していないからです。
エキエルはナショナル・エディションの解説で、「我々は、ホ短調・協奏曲のピアノ独奏版をショパン自身が人前で演奏した可能性を除外する事が出来ない。」と書いていますが、その「可能性」が考えられるのはせいぜい第2楽章だけで(※それは《ヘ短調・協奏曲》の第2楽章についても同様)、ショパンは、ソナタや協奏曲のような多楽章形式の作品については、抜粋で演奏する事が多く、その事実を証明する証言や資料はいくつも残っています。

一方、第1楽章と第3楽章については、この独奏バージョンをショパンが人前で披露していたとはとうてい信じられません。
《ヘ短調・協奏曲トモロー・エディション》の項でも書きましたが、この独奏バージョンと言うのは、本来のオーケストラ版のピアノ・パートがそのまま流用されてほとんど手が加えられておらず、単にそのピアノ・パートの休符部分のみにオーケストラ・パートが継ぎ接ぎされているだけなんです。
本当にただそれだけの楽譜です。
だからその結果として、ピアノ・パートが主旋律のみを弾いている箇所では、オーケストラ伴奏がスッポリと抜け落ちて無伴奏状態になっており、また、逆にオーケストラが主旋律を担当してピアノが伴奏に回っている箇所では、オーケストラによる主旋律がスッポリ抜け落ちてピアノのカラオケ状態になってしまっています。

つまり、肝心要のピアノとオーケストラによる「協奏的部分」がほとんど省略され、協奏曲としての作品の意図がちっとも反映されていない訳です。
これに関しては、ナショナル・エディションで刊行された全ての協奏的作品のピアノ独奏版について同じ事が言えます。
ですから、それらを聴くと、オーケストラ版による原曲を知っている人はもちろんですが、知らない人が聴いても、所々間の抜けた印象を抱いてしまう訳です。
そのようなものを、あの完璧主義のショパンが完成作品と見なし、人前で披露するなんて事が果たして考えられるでしょうか?

つまり、本来のピアノ・パートにほとんど手が加えられていないと言う事は、この独奏バージョンが独奏曲としてでなく、最初からオーケストラありきで書かれたものである何よりの証拠であり、ショパンが当初からそのオーケストラ・パートを念頭に入れながら作曲していたと言う事なんです。
ですから、あとで他人にオーケストレーションを依頼するはずがありません。
最初から自分の頭の中にオーケストレーションについてのアイディアがあったからこそ、この独奏版では、その協奏的部分がスッポリ抜け落ちているんです。

したがって、この中途半端な独奏バージョンの存在意義を最も正当に説明できるとしたら、このバージョンは、ショパン本人を含めたプロのピアニスト、もしくはピアノ学習者が、将来的にオーケストラや弦楽四重奏、もしくは2台ピアノと共演するにあたって、自宅で1人で練習するために便宜が図られた楽譜であると、そう解釈する以外にはありません。
だからこそ、所々無伴奏になろうがカラオケになろうがおかまいなしに、独奏作品として完成させる事は念頭になく、それゆえ、本番で共演する事を前提に、本来のオーケストラ版のピアノ・パートがほとんどそのままにしてあるんです。
なので、この独奏版は、これそのものを演奏会等で披露する事を目的としたものではあり得ません。
例外は《ヘ短調・協奏曲》の第2楽章だけで、この曲だけ、中間部の両手ユニゾンがメロディ・パートと伴奏パートに振り分けられています(※しかしながら、オーケストラ版でのトレモロによる伴奏のアイディアはまだ構想されていなかったのか、そこには反映されていません)。

上記のブログ記事でもコメントされていたように、このピアノ独奏版に対し、聴く方も「また聴きたいとは思わないな」と感じ、また弾く方も「2度と演奏したくないね。やっぱり、コンチェルトはオーケストラとやりたいよ」と感じるのは、正にこれがそう言うバージョンだからです。


もう一つ、「フル・スコアに残っている筆跡が明らかに違う」と言う事についてですが、それは確かに一面においては事実です。
事実ですが、しかしその事が、ショパンがオーケストラの楽譜を自分で書かなかった事の証拠には決してなりません。ショパンは間違いなく、最初は自分でオーケストラのパート譜を書いています。ただ、その自筆譜が現存していないだけです。

その証拠に、ショパンが1829年に初めてウィーンを訪問した時、彼は、当時の自分の最新作である《ピアノとオーケストラのための演奏会用大ロンド「クラコヴィアク」 ヘ長調 作品14》の楽譜を持参していたのですが、そのオーケストラ・パートの楽譜を自分で書いたと、はっきりそう自分で証言しているからです。
それは以下の通りです。

「…(前略)…リハーサルでオーケストラの伴奏が不出来だったため、僕はロンドを《フリー・ファンタジア》(※即興演奏)に代えなければなりませんでした。…(中略)…)オーケストラは、僕の楽譜の書き方が悪いと言ってけなし、少しも僕に好意的ではなかったのですが、それも即興演奏を弾くまででした。…(後略)…」
(※『1829年8月12日付の家族宛の手紙』より→全文はこちら


この時のリハーサルでのトラブルについては、友人宛の手紙でも以下のように詳しく説明されています。

「…(前略)…僕は一日で、ウィーンにいる全ての偉大な芸術家達と知り合いになった;その中には、マイセダー、ギロウェッツ、ラハナー、クロイツェル、シュパンツィッヒ、メルク、レヴィがいる。それにも関わらず、オーケストラはリハーサル中、不機嫌にしていた。まず第一に、僕が思うに、僕がどこからともなくやって来たばかりなのに、すでに自作の曲をやろうとしていたからだろう。それから僕は、ロンド・クラコヴィアクの次にやる事になっていた変奏曲、君に捧げたあの変奏曲(※《「お手をどうぞ」による変奏曲 変ロ長調 作品2》)を初めにやった。変奏曲は上手くいったが、ロンドの方は(※楽譜の)書き方が悪かったため、何度も最初からやり直さなければならなかったほどひどかった。全ての混乱の原因は、楽譜の上声部と下声部で休符の書き方が違っていたからなんだが、でも僕は、上声部だけで数えるように説明しておいたんだけどね。それは部分的には僕の落ち度だったけど、でも彼らは分かってくれると思っていたんだ。でも彼らは(※楽譜の)不正確さに腹を立てていて、その上この紳士達は、自身が名手であり作曲家でもあったからね。とにかく、彼らは数々の嫌がらせをして、その晩の僕は病気にでもなりそうだったよ。…(後略)…」
(※『1829年9月12日付のティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』より→全文はこちら


この時のショパンは、初めて訪れたウィーンの地でまさか自分が演奏会を開く事になるなどとは夢にも思っていませんでした。
ウィーン訪問の目的の一つに、以前ショパンが楽譜の出版を依頼して作品を送ってあったのに、その後何の音沙汰もなくなっていたハスリンガーに直接会ってお伺いを立てる事がありました。
ですから、《「お手をどうぞ」による変奏曲》の方は、すでに出版用に清書された楽譜がウィーンのハスリンガーの許にあったのです。
一方、新作の《演奏会用大ロンド「クラコヴィアク」》の方は、この機会に売り込む目的で持参して行ったのか、それとも、かつてワルシャワ音楽院の恩師の1人だったヴェルフェルに見せるだけのつもりだったのか、定かではありませんが、いずれにせよ、出版用、もしくは実演用に清書したものではなかった事だけは確かです。

なぜなら、もしもその楽譜が、ショパン本人ではなく誰か経験豊富な先輩音楽家に書いてもらったものだったなら、そのような休符の書き間違いなどある訳がないからです。
他でもない、オーケストラ譜に不慣れなショパン自身が書いたからこそ、そのようなトラブルを引き起こす羽目になったのです。
このエピソードは、ショパンが自分自身でオーケストレーションをし、そしてだからこそ自分で楽譜を書いていたのだと言う事実を如実に物語るものです。

それでは、なぜその自筆譜が残っていないのでしょうか?
その答えも簡単です。
ショパンは演奏会を開くに当たって、指揮者やオケのメンバーのために用意する本番用の楽譜を自分では書いていなかったからです。正確には、自分で清書していなかったと言った方が正しいでしょう。
つまり、ピアノ・パートの楽譜のみ自分で書いたもので、それ以外のフル・スコアやパート譜は演奏会の準備のために他人が写譜していたものなんですね。
その事実を伝える手紙が以下のもので、それは、ここで問題にしている《ホ短調・協奏曲》について言及したものす。

「…(前略)…(※ウィーンへの)旅行が近くなっているので、僕は今週、四重奏の伴奏で協奏曲(※ホ短調)の全部をリハーサルしなければならず、四重奏と僕とで合わせて、少し馴染ませるのだ、と言うのも、エルスネルが言うには、そうしないとオーケストラとのリハーサルがうまくいかないのだと。リノフスキは時間との競争でそれを写譜しており、ロンド(※終楽章)に着手したところだ。…(後略)…」
(※『1830年8月31日付のティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』より→全文はこちら

要するに、このようにして他人に写譜された楽譜のみが現存していて、オリジナルのショパンの自筆譜が失われていれば、両者の筆跡が違ったり誤記があったりしても何の不思議はない訳です。
元来が筆不精なショパンは、ピアノ独奏用の小品ですら楽譜を清書するのをめんどくさがっていたような人なので、パリ時代には、ほとんどそれを友人で秘書でもあったフォンタナにやらせていたのです。その事実もきちんと手紙で確認されています。


また、《ホ短調・協奏曲》の第2楽章の楽譜には、ヴァイオリンに弱音器を付けるように指示されていますが、そのアイディアもショパン自身が作曲当初に構想していたものです。それについては2度に渡って、手紙で以下のように言及されています。

「…(前略)…弱音器はヴァイオリンの弦の上にとめる櫛のようなもので、ある種鼻にかかったような銀色のトーンになる。おそらく、それは間違っているのだが、しかし、なぜ人は分別があるにも関わらず、間違った事を書くのを恥じなければならないのか――間違いかどうかは結果で示すべきだ。ここで君は、なるほど、僕が意に反して過ちを犯す傾向があると観察する。たとえそれが間違いであるとしても、僕は無意識のうちに僕の目を通して頭に浮かんだ事に対しては、身を任せてみたいのだ。君も理解してくれていると思う。…(後略)…」
(※『1830年5月15日付のティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』より→全文はこちら



「…(前略)…また、大学が今日から始まるので、僕はエルスネルとビエラフスキ(※劇場付の楽長)の所へ飛んで行かねばならず、昨日すっかり忘れていた譜面台と弱音器を確認するのだ。それらがないとアダージョ(※第2楽章)はボロボロになってしまうが、僕は実のところ、それが成功するとは思っていないのだ。…(後略)…」
(※『1830年9月22日付のティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』より→全文はこちら


このように、ショパンが手探り状態ながらも自分でオーケストレーションしていた事実を証明する間接的な資料は、それこそいくらでもあるのです。
たまたま戦火を免れて現存している楽譜が自筆譜じゃなかったからと言って、それが、ショパンが自分で楽譜を書いていなかった事の証拠になどなりはしません。
祖国ポーランドが長きに渡って歴史的不幸に見舞われたために、ショパンの作品に関しては、自筆譜が確認されていない作品など枚挙に暇がないほどあるのですから。

エキエルはとにかくショパンの自筆資料を神のごとくに絶対視し、そこにこそショパンの意図があると言う考えにとらわれていますが、しかし、ショパンは自分で清書しない事が多かったのも事実である以上、自筆譜の方こそ逆にショパンの意図する完成形ではない可能性だって十分にあり得る訳です。

実際、パリ時代のショパンはフォンタナに楽譜の清書を頼む際に、変更事項の注意を手紙に書き添えている事があるのです。
でも、それが手紙でなされて残っているならいいですが、手紙が失われていたり、口頭で伝えたりしていた場合には、その痕跡が残りません。
その場合、自筆譜と実際の出版譜に違いがあっても、その変更がショパンの意思によるものなのか、それとも出版社が勝手にやった事なのか、我々にはもはや分かりようがない訳です。

たとえそれがショパンの自筆譜であろうと、資料と言うものは、あらゆる周辺情報や状況証拠と照らし合わせながら、あくまでも客観的に読み解かなければならないものです。
それなのに、ポーランドのショパン研究家というのは、往々にしてショパンを神格化しすぎるため、得てして物の見方が主観的になりがちで、研究者として必要不可欠な客観性に欠ける嫌いがあります。

おそらくエキエルは、「ショパンがオーケストレーションを苦手としている」という定説に対して、それは他人がやっていたからで、決してショパン本人の落ち度ではないとでも言いたかったのかもしれませんが、いずれにせよ完全に間違った解釈です。


さて、次回は、《ヘ短調・協奏曲》の時にも試みたように、このナショナル・エディションのピアノ独奏版の協奏的不備を補完したピアノ独奏版として、私トモロー・エディションによるピアノ独奏版を紹介すると共に、《ホ短調・協奏曲》のパリ・デビューまでの道のりについてお話ししたいと思います。


次回(ホ短調・協奏曲トモロー・エディション)へ続く〜


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちら)。
なので、当ブログではそれに則ってショパンの年齢を数えています。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
試聴音源の第1楽章を聴きましたが、その後半が2台ピアノ版になっているようです。アップの際に手違いがあったのではないでしょうか。
nao
2013/06/13 03:44
nao様へ。
本当だ! 何と言う事でしょう!
ブログ音声の方はちゃんとなっていますけど、YouTube動画の方ですね。
これは、動画を作った時に2台ピアノ版のファイルを書き換えて作ったので、その際に音源を差し替えるのを忘れてしまっていたようです。
早速直しておきました。
重ね重ね、nao様には何とお礼を申して良いか分かりません。
本当にどうも有り難うございます。
トモロー
2013/06/13 05:27

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