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zoom RSS ショパン:ワルツ 第13番 変ニ長調 作品70-3 遺作

<<   作成日時 : 2011/10/24 14:18   >>

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ショパン作曲:ワルツ 第13番 変ニ長調 作品70-3 遺作 by Tomoro




Chopin : Waltz No.13 in D flat major Op.70-3 /Tomoro

● 作曲年:1829年
● 出版年:1855年
● 献呈者:なし


 【ジャンル解説】
ワルツ(円舞曲)は、西オーストリア、南ドイツ(ハプスブルク帝国)を起源とする、比較的淡々としたリズムの3拍子の舞曲です。
ヨーゼフ・ランナー(Josef Lanner 1801−1843)はオーストリアの作曲家兼ヴァイオリニストで、「ワルツの始祖」とも呼ばれています。
ヨハン・シュトラウス1世(Johann Strauß I(Vater) 1804−1849)はオーストリアのウィーンで活躍した作曲家、指揮者、ヴァイオリニストで、ウィンナ・ワルツの基礎を築いた事から「ワルツの父」とも呼ばれています。


 【作品解説】
《ワルツ 第13番》は、ショパンが初めてウィーン訪問を果たした1829年以降に、突如として次々と書き始められた一連のワルツのうちの一つです。
この曲は作曲者の生前には出版されず、ショパンの死後、友人でもあったフォンタナによってまとめられた一連の遺作集に収められる形で初めて公表されました。作品番号はその際にフォンタナが付けたものです。
ナショナル・エディション(エキエル版)の ワルツ集(死後に発見された作品)では、この曲は《ワルツ 第15番 ホ長調 遺作》《ワルツ 第10番 ロ短調 遺作》に次ぐ3作目として掲載されています。
本稿で使用している楽譜はフォンタナ版によるものですが、ちなみにエキエル版では、フォンタナ版にあった「Moderato(モデラート=中くらいの速さで)」のテンポ表示や強弱記号などがなく、逆に中間部に「TRIO」の記述があったり、繰り返し部分ではリピート記号を使うなど、そういった記譜上の違いがあるだけで、肝心の音符そのものは全て同じです。
この曲に関しては、ショパンの自筆譜というものは現存していません。


このワルツは、ショパンが初恋の相手(※ワルシャワ音楽院声楽科のコンスタンチア・グワトコフスカとされている)を思いながら書いたというエピソードによって有名ですが、私はその話は作り話だと考えています。恋愛話そのものが作り話で、ショパンは当時そんな恋などしていなかったのです。
当時ショパンが本当に恋をしていた相手は《マズルカ風ロンド ヘ長調 作品5》を献呈したアレクサンドリーヌ・ド・モリオール伯爵令嬢で、その事は本人がはっきりと手紙にそう書いているのです。
ところが、それが告白されたショパンの手紙を最初に公表した伝記作家のモーリッツ・カラソフスキーが、その記述を手紙から削除して発表したために、その事実はずっと闇に葬られていました。
なぜなら、モリオール伯爵令嬢が、当時ワルシャワを統治していたロシアのコンスタンチン大公家で家庭教師をしていたからです。
実際のショパンは、そういった体制側にいた保守派の人々とも親密に交際していて、手紙にはその事実が数多く語られているのですが、国粋主義者のカラソフスキーは、そんなショパンの実像を捻じ曲げてショパンを革命派として描くために、それらの記述をことごとく手紙から削除していたのです。
その作為的な編集の痕跡は、後世において、その資料提供者だったティトゥス・ヴォイチェホフスキの手による「写し」の原稿が公表された事によって明らかにされました(※それについての詳細はこちらで)。


ショパンは1829年の夏、初めてのウィーン訪問における思いがけない演奏会で大成功を収め、当地から戻って約1ヶ月後、友人のティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てた手紙で以下のように書いている…とされています。
「僕はウィーンに戻らなければいけないのだと、君も分かっているだろうと確信している;しかしそれは、ブラヘトカ嬢のためではないよ、彼女については君に書いたと思うけど。彼女は若くて、可愛くて、しかもピアニストだ;しかし僕には、おそらく不幸な事かもしれないが、すでに僕自身にとっての理想の人がいて、半年もの間、黙って忠実に仕えてきたのだ;僕はその夢を見ながら、僕の協奏曲に含まれるアダージョを構想し、そして今朝、小さなワルツのインスピレーションを受けたので、君に送る。×印に注意してくれたまえ;これは君以外には誰も知らないのだ。僕はどんなにかこのワルツを君に弾いてあげたい事だろう、親愛なるティトゥス。中間部の第5小節で、低音部のメロディがヴァイオリン記号の高い変ホ音(ミ♭)まで優先しなければいけない;しかしそんな事は君に書く必要はないだろう、君自身が感じてくれるだろうから。」
(※『1829年10月3日付のティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』より→全文はこちら

実は、この手紙には、ショパン本人が書いた直筆原文による資料というものが存在しません。
この手紙が初めて世に公表された時、それをしたのはポーランドの伝記作家モーリッツ・カラソフスキーでしたが、彼はショパンの唯一無二の親友とされているティトゥス・ヴォイチェホフスキからこれらの手紙を借り受けていました。しかしその手紙はどう言う訳かショパンの直筆原文ではなく、ヴォイチェホフスキの手による「写し」だったのです。その事実は、他ならぬ著者自身が伝記の中でそう説明しています。
さらに、この手紙にはもう一つ典拠の違う資料があるのですが、それはポーランドのショパン研究家ヘンリク・オピエンスキーが1910年にヴォイチェホフスキの遺族から借り受けて公表したもので、ただしこれもまたショパンの直筆原文ではなく、ヴォイチェホフスキの手による「写し」の方でした。
カラソフスキー版とオピエンスキー版の違いは、カラソフスキーがその「写し」に対して省略と要約と更なる改ざんを加えてドイツ語に翻訳して発表したのに対し、オピエンスキーはそれをポーランド語のままほとんど手を加えずに発表した事だけで、両者が用いていた資料自体は同じ「写し」だったのです。なので、実際にショパンの直筆原文を目にした第三者は一人もいないのですから、本当にヴォイチェホフスキが手紙を一字一句正確に書き写していたのかどうか、それを証明するものは何もありません。現物を持っているのにわざわざ「写し」を取ってそちらを資料提供するからには、現物の方を見せたくない何らかの理由があったと考えるのが普通で、しかも後年のヴォイチェホフスキは政治家でもありましたから、自分にとって都合の悪い内容は当然表には出したくなかったでしょう。したがって、彼が手紙の一字一句をそのまま世間に公表するのが憚れたであろう事は容易に想像がつきます。しかし、もはやその真実を知っているのは、実際に手紙を書いたショパン本人と、それを直接受け取ったヴォイチェホフスキの二人だけなのです(※これらに関する詳細は、『誰も「ヴォイチェホフスキ書簡」の現物を見た者はいない』で)。

私は、この手紙の中の「理想の人」のくだりは、この手紙の「写し」を取ってそれを伝記作家のモーリッツ・カラソフスキーに資料提供したティトゥス・ヴォイチェホフスキによる加筆改ざんだと考えています。おそらく、カラソフスキーもまた、その改ざんの共犯者だったはずです。実は、この手紙を読んだだけでは分かりませんが、この手紙の次に書かれた『1829年10月20日付のティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』と読み比べてみれば、この「理想の人」のくだりが明らかに第三者によって後から加筆されたものである疑惑が浮き彫りになってくるのです(※それについての詳細は『捏造された初恋物語』で)。
それに、ショパンの手紙で直筆の資料が確認されているものにおいては、ショパンが自分の作品について、このように解説めいた事や作曲秘話に関わるような事を書いた例はありません。そのような事が書かれているのは、これら「ヴォイチェホフスキ書簡」や「ウィーン時代のマトゥシンスキ書簡」、あるいは「シュトゥットガルトの手記」など、直筆原文の確認されていないものばかりで、そこには、読者の興味を巧みに引こうとする贋作者の思惑が見え隠れしています。
したがって、その証拠隠滅を図るために、ショパンの直筆原文はヴォイチェホフスキが生前に処分してしまったため、それらを後世の人間が確認した事がないのです。そのような例は、他の友人達の中で彼一人だけです。
実はヴォイチェホフスキと言うのは、お金も時間も自由にできるだけの高い身分を有していながら、ショパンの記念すべきプロ・デビュー公演や告別演奏会のどちらも観に来ないなど、それで本当に唯一無二の親友と言えるのか?と言うような挙動不審が非常に多い人物なのです。

尚、この手紙に書かれている「アダージョ」の記述も矛盾しているのですが、それについては、『捏造された初恋物語』の方で詳述しておりますので、興味のある方は是非そちらをご覧いただければ幸いです。
ここでは、楽曲解説として「小さなワルツ」のくだりに搾って解説いたします。この記述も、以下の理由で非常に不自然です。


【1.カラソフスキーが、この「小さなワルツ」について何も註釈していない事】

カラソフスキーがこの手紙の「写し」をヴォイチェホフスキから借り受け、雑誌に連載する形で最初に公表したのは1862年以降です。
一方、《ワルツ 第13番 変ニ長調 作品70-3》は、それより7年も前の1855年に、すでに友人フォンタナによって遺作集の1曲として出版されていました。それにも関わらずカラソフスキーは、この「小さなワルツ」が、その《第13番》を含め、ショパンのどの作品に該当するのかについて、なぜか一切何も触れていないのです。他の曲については可能な限り、それがどの作品であるかの解説を怠っていないと言うのに…です。
しかしカラソフスキーは明らかに、これが《ワルツ 第13番 変ニ長調 作品70-3》であると認識しているはずです。なぜなら、ここに書かれている「中間部の第5小節で、低音部のメロディがヴァイオリン記号の高い変ホ音まで優先」と言う記述に該当する作品は、ショパンの全ワルツ中《第13番》以外にはないからです。仮にこの手紙が、その《第13番》が出版されるより先に公表されていたのなら、その記述は「当事者しか知り得ない新事実」として疑いの余地はなかったでしょう。しかし公表順序が逆となれば、その信憑性については大いに疑問が残ります。ヴォイチェホフスキらが、その既知の遺作ワルツを、ショパンの初恋を捏造するための小道具として後付けで利用した可能性が考えられる事になるからです。

ただしカラソフスキーらは、この《第13番》を小道具として利用しはしたものの、その楽譜の所在や内容について追求されると困るのと思ったのか、それを避けるために敢えて作品の素性を曖昧な形で公表するにとどめました。そのためこの「小さなワルツ」は、しばらくの間「不明の作品」として取り扱われてきたのです。
したがって、オピエンスキーが1930年にこれらの手紙を含む書簡集を編纂した時でさえ、彼はこの「小さなワルツ」については、「私はこのワルツを特定する事ができない;おそらく出版されていないのかもしれない」と解説しています。つまり、オピエンスキーもまた、ヴォイチェホフスキの遺族から、この「小さなワルツ」の楽譜の存在については確認が取れなかったのです。
でもそれもおかしな話で、なぜならヴォイチェホフスキの家(宮殿)が戦争によって焼失するのはそれから14年も後の1944年ですから、ヴォイチェホフスキが生前にそれらを証拠隠滅してしまったか、あるいは最初からそんなものはなかったかしない限り、遺族がその楽譜をオピエンスキーに資料提供できないはずがないからです。

この「小さなワルツ」が《第13番》だと特定されるのが遅れた理由は、実は些細な事によるものでした。
手紙には、「中間部の第5小節で、低音部のメロディがヴァイオリン記号の高い変ホ音まで優先しなければいけない」とありますが、厳密に言うと、この記述と完全にぴったり一致する作品は確かにありません。《第13番》では、「中間部」における「低音部のメロディ」が「高い変ホ音」に達するのは「第5小節」ではなく第4小節目だからです(※以下のサンプル参照)。




ところがこの「中間部」は、実際には左手の低音部からではなく右手の高音部から始まっていますから、その場合だと、中間部は「低音部のメロディ」が出てくる前の小節の3拍目から始まっている事になり、そこから数えれば左手の「変ホ音」は手紙の記述通りちょうど「第5小節」目にある事になります(※以下のサンプル参照)。




1855年に出版されたフォンタナ版の楽譜には、そこに「中間部(TRIO)」という表示が書き込まれていませんでした。しかし最新のナショナル・エディション(エキエル版)では、しっかり右手の3拍目から「中間部(TRIO)」の表示が書き込まれています。

ですから、当時のカラソフスキーが、この「小さなワルツ」を《第13番》と認識して書いていたのは明らかです。しかも彼は、ヴォイチェホフスキ本人と直接コンタクトを取っていたのですから、確認しようと思えばはいくらでも出来た訳です。それなのに、誰もが興味津々なはずのこの「小さなワルツ」の素性を読者に明らかにしようとしないなんて、伝記作家としてどう考えてもおかしい訳で、その挙動不審に辻褄を合わせるとしたら、カラソフスキーが、そんな楽譜など最初からこの世に存在しない事を知っていたからに他ならないのではないでしょうか。


【2.カラソフスキーが、「×印」のついた楽譜について何もヴォイチェホフスキに問い合わせていない事】

この「×印」云々の記述については、たとえばショパンの作品解説書などを見ると、《ワルツ 第13番》のページでは、たいていこの手紙を引用したあとに、「このバス・メロディにどんな意味があったのか、彼らふたりにしかわからないことである」だとか、「×印がどこで、コンスタンチアのどんな思い出に関係しているのかは、彼らだけのロマンティックな謎である」などとコメントされています。
しかし、そんなはずはない訳です。なぜなら、その話を最初に流布した伝記作家のカラソフスキーには、その資料を提供したヴォイチェホフスキに直接問い合わせる事で、その「ロマンティックな謎」を解き明かす絶好の機会があったのですから。もしもあなたがカラソフスキーの立場で、ショパンの親友から手紙を借り受け、その中にこのような記述を見つけたら、それについて興味を持たないなんて事があるでしょうか? そして、その「×印」のついたショパンの自筆譜を見せて欲しいと、ヴォイチェホフスキに交渉しないなんて事が果たして考えられるでしょうか? しかもカラソフスキーは、彼自身もまた音楽家の端くれだと言うのに、それなのに、誰もが知りたがるそのような音楽上の話題を完全に素通りし、単にその文章を書き写すだけで何も解説しようとしないなんて、どう考えてもおかしい訳です。
要するに、何故カラソフスキーがそんな当たり前の取材手順を踏まないのかと言えば、彼が最初から、そのような楽譜などこの世に存在しない事を知っていたからです。なぜならそれは、彼とヴォイチェホフスキが結託して捏造した作り話だったからではないでしょうか。
それに、仮にショパンが本当に楽譜にそのような「×印」を書き込んでいたのなら、普通その印を付けた時に、一緒にそこに何らかのコメントも書き加えるのではないでしょうか。もしそうであれば、それを後から手紙で説明する必要もない事になり、つまりこのエピソードは本来、楽譜への書き込みだけで全てが完結し、我々第三者には永遠に知り得ないものとなっていたはずです。それなのに、わざわざその説明の方だけ別に手紙に書くなんて、あたかも、わざと我々の目に触れるようにしているかのようであり、また、その説明自体もいかにも思わせぶりであり、それでいて、肝心の物的証拠である自筆譜については一切触れないとなれば、そこには明らかに作為的なものを感じざるを得ません。


【3.「これは君以外には誰も知らないのだ」という記述の矛盾】

この一言も変です。
たとえば、この箇所を厳密に解説するとこうなります…「このワルツはみんなが知っているけど(あるいは、いずれみんなも知る事になるけど)、この×印に関しては君以外には誰も知らないのだ」と。
要するに、この「小さなワルツ」そのものが二人の秘密なのではなく、そこに書き込んだ「×印」のみが二人の秘密だと、この時点でそう宣言してしまっているんですね。つまり、この文章を書いた人物は、この曲がすでにみんなに知られている曲、あるいは知られる事になる曲である事を最初から分かって書いてしまってるんです。でもそんなはずはない訳です。何故ならショパンは、そのワルツを「今朝」思い付いてその日のうちに楽譜を書き上げ、そしてその日のうちに郵送しているのですから。そのような状況では、当然まだみんながこの曲を知っているはずもないし、また、そんな個人的な曲を最初からみんなにも聴かせるつもりがあったとも考えにくいでしょう。つまり、この記述はあらゆる点で矛盾しているんです。
それに、遅筆なショパンが、その日に思いついた曲をその日のうちに書き上げ、ろくに推敲もせずにその日のうちに清書して郵送してしまうなんて、そのような事が常識的に考えにくいと言うのは、ショパンの創作工程について多少なりとも知っている人間であれば、誰にでもすぐに分かる事です。
したがって、この文章も当事者が書いたものではありえず、明らかに、予め全てを知っている第三者、つまり、《第13番》が既に遺作として出版されている事を知っている後世の人間によって書き加えられたものです(※ちなみにフォンタナが1855年に出版した《第13番》は、ショパンの姉ルドヴィカが保管していた自筆譜(あるいは彼女による「写し」)が原本になっており、ヴォイチェホフスキからは何も提供されていません。また、このワルツはショパンの作曲の師であるエルスネルの娘エミリアのアルバムにも書き込まれていた事が、最新のナショナル・エディション(エキエル版)の解説にも書かれています。つまり、このワルツの存在をヴォイチェホフスキにしか知らせていないなんて、そのような事実などない訳です)。


【4.もう一つのワルツの存在】

ショパンは、この手紙の最後を次の文章で結んでいます。
「君が怒るかもしれないようなワルツを君に送った事を許してくれたまえ、神に誓って、君に喜んでもらいたいと思ったからであって、僕は狂おしいほど君を愛しているのだ。
F. Chopin」
(※『1829年10月3日付のティトゥス・ヴォイチェホフスキ宛の手紙』より→全文はこちら

この一文も何か奇妙です。
どうして《第13番》がヴォイチェホフスキを怒らせる事になると言うのでしょうか?
単純に考えれば、ショパンはこの頃、正にこれから世界に羽ばたこうとしている大事な時期だった訳ですから、それなのに恋愛などにうつつを抜かして自国に縛られているとなれば(※これはカラソフスキーが伝記でそのように解説している事です)、男性的なヴォイチェホフスキの性格であれば、そんなショパンをきっとたしなめるはず…という事にでもなりましょうか。
しかしながら、最も奇妙なのは、それでいて、元々この「ワルツ」は初恋の相手からインスピレーションを受けて書いたものなのに、それがここでは、どう言う訳かヴォイチェホフスキに向けた愛情表現へと話がすり替わってしまっているという点です。

これはあくまでも私の想像ですが、おそらくショパンの直筆原文には、この箇所に、ヴォイチェホフスキ宛に何らかのワルツを送った事が書かれていたのではないだろうか?と思うのです。そしてそれはおそらく、《第13番》のような恋愛感情を彷彿とさせるようなタイプの作品ではなく、たとえば《ワルツ 第10番 ロ短調 遺作》のような作品だったのではないだろうかと。
仮にそうであるなら、ヴォイチェホフスキはそれがどのようなワルツだったか当然知っている訳ですから、手紙の記述をそのままにしておいたら先の恋愛話と辻褄が合わなくなってしまうと思い、それで、それを無理矢理変えようとしてこのような奇妙な文章になったのではないか?と…。



今回取り上げた《ワルツ 第13番 変ニ長調 作品70-3》は、確かに、恋愛感情を彷彿とさせるものがある曲です。でも、元々ワルツと言うのは、男女がペアになって踊るためのものですから、基本的にそう言う音楽なんですね。ですから、たとえば《ワルツ 第1番 変ホ長調 作品18「華麗なる大円舞曲」》にしろ、《子犬のワルツ》にしろ、仮に「それは恋愛の曲だ」とショパンから言われれば、長調で書かれたワルツはどれもそのように聴こえてくるでしょう。
全ては先入観のなせる業で、何も《第13番》だけが特別な訳ではないのです。


Copyright © Tomoro. All Rights Reserved.


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