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zoom RSS ショパン:ポロネーズ 第16番 変ト長調 遺作 KK IVa-8/BI 36

<<   作成日時 : 2011/08/25 21:33   >>

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ショパン作曲:ポロネーズ 第16番 変ト長調 遺作 by Tomoro




Chopin : Polonaise No.16 in G flat major Op.posth. /Tomoro

● 作曲年:1829年
● 出版年:1870年
● 献呈者:なし


 【ジャンル解説】
ポロネーズはフランス語で「ポーランド風」の意味があり、その名の通りポーランドの民族舞踏の一種です。
マズルカ同様、農民や市民によって踊り継がれていたものが、やがて士族や貴族階級にまで広がって洗練されていったと言われています。
行進曲的な色合いもあり、様々な式典等で踊られる事が多いようです。


 【作品解説】
ショパンの《ポロネーズ 第16番》は、作曲者の生前には出版されておらず、彼の死後に初めて世に公表されました。
尚、こう言った作品を系統だって分類する手立てとして、ポーランドのショパン研究家クリスティナ・コビランスカ(Krystyna Kobylańska)による『作品番号のない作品目録』の分類番号「KK」があり、そこではこの作品は「KK IVa-8」とされています。
更に、 モーリス・J.E.ブラウン(Maurice J.E. Brown)がショパンの全作品に与えた作曲順の通し番号「BI」では、この作品は「BI 36」とされています。

ショパンは20歳になった1829年の夏、友人達と連れ立って初めてウィーンへ旅行する事になるのですが、この曲は、その前の時期に書かれたと言う説もあります。しかしその辺は定かではありません。

私の考えでは、そのウィーン訪問で急遽行った2度の演奏会が大成功に終わった事から、これはその勝利の凱歌として、むしろワルシャワに帰ったあとに書かれたのではないかとも思えます。

と言うのも、このポロネーズは、今までにショパンが書いてきた8曲の初期ポロネーズとは明らかに作風が異なっており、これはのちの《軍隊ポロネーズ》《英雄ポロネーズ》の原型とも言えるような作品だからです。
ショパンがワルシャワ時代に作曲したポロネーズは、ピアノ独奏用ではこれが最後のものとなります。
独奏用以外では、このあとじきに《チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3》という室内楽が書かれますが、それもやはり、この《第16番》の作風から派生したものと言えるでしょう。
ショパンがその次に書いたポロネーズは、ワルシャワを旅立つ2ヶ月前に着手された《ピアノとオーケストラのためのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22》で、これはまさに、《チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3》をさらに拡大したものと言えます。
前者はサロン向けに、後者は演奏会用に、それぞれ、ショパンがまだ積極的に演奏活動をしていく事を前提に書かれた、きわめて実用的なポロネーズだと言えます。
ショパンはそれを最後に、突然ポロネーズを書かなくなり、約3年のブランクを経たのち、それまでとは完全に一線を画した、芸術性の高いピアノ独奏用ポロネーズを書くに至る訳です。

したがって、この《第16番》は、初期ポロネーズと後期ポロネーズのちょうど分岐点となる作品で、そのような曲が書かれるに至ったきっかけを考える時、この年のウィーンでの成功がまさにそれだったのではないでしょうか。

この曲は、よく知られている従来の版とナショナル・エディション(エキエル版)とでは若干の違いが見られます。
本稿では、主部の音符と全体の楽曲構成についてはナショナル・エディションを採用し、中間部の音符と全体のペダル記号については従来の版を採用しています。


【追記】
ちなみに、別記事のコメント欄にて、このポロネーズには偽作説があるという話を賜り、その際私は単に私見を述べるに留めさせて頂いたのですが、この場をお借りして、あらためてその事についてもう少し書いてみたいと思います。

その偽作説と言うのは、ショパンの伝記作家として著名なF.ニークスが、「ショパンの筆跡以外には彼の作品と証明するものはない」と評した事に端を発していると言う事のようです。
しかしながら、このニークスの言葉は、単に曲の内容がショパンらしくないと言いたかっただけのもので(彼はそう考えていたようです)、逆に言えば、「ショパンの筆跡があったからこそ彼の作品と証明されているに過ぎない」と言い換える事が出来る訳で、つまりこの曲には、ショパンの自筆譜なるものが存在していたと言う事になる訳です。

最新のナショナル・エディション(エキエル版)による『ポロネーズ遺作集』では、この曲は普通にショパンの遺作として掲載されており、偽作説については一切触れられていませんでした。
その解説によりますと、
「自筆譜は、おそらくティトゥス・ヴォイチェホフスキのアルバムに含まれていたもので、ほぼ確実に、この作品の唯一の真正のテキストだった(音楽テキストの前のポロネーズについての引用を参照)。」
その引用とは、
“[…]完全にブリランテ(華麗なる)ポロネーズで、どうやらティトゥス・ヴォイチェホフスキのアルバムからこっそり盗んだらしく、そしてワルシャワのカウフマンによって出版されました[…]”(1874年11月13日付の手紙に付随していた、モーリス・アントニ・シュルツのショパン研究に対するオスカル・コルベルクのコメントより)

また、
「オスカル・コルベルクの失われた筆写譜は、定期刊行ディー・ムジークの編集者に与えられた(音楽テキストの前のポロネーズについての引用を参照)。」
その引用とは、
“私のもう一方のリクエストは、20年前に(最近パリで亡くなった有名な音楽の芸術家によるポロネーズとして)カウフマンによって出版された、ショパンの変ト長調のポロネーズをあなたに探してもらう事で、それは第二版としてのものであり、同様に、私がアルバムの中から書き出されたのを見たものです。”(1879年9月27日付、オスカル・コルベルクによってユゼフ・シコルスキへ送られた手紙より)

「ショパンの作品が共有財産となる瞬間がこれまでより近付いており、そして我々は、彼の作品リストを完成させる事に全てのエネルギーをつぎ込まなければなりません。我々は、12巻からなるピアノ曲の遺産を持つのにかなりの困難を極めており、そこにはまだ、《マズルカ イ短調 第13番》と《ポロネーズ 変ト長調 第21番》のための基本テキストが欠けていて、それが特に我々の取り掛かっている版の準備を妨げています。」(1879年10月9日付、ライプツィヒのブライトコップ&ヘルテルによってモドルニツァのオスカル・コルベルクへ送られた手紙より)

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちらで)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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