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zoom RSS ショパン:ワルツ 第15番 ホ長調 遺作 KK IVa-12/BI 44

<<   作成日時 : 2011/08/03 06:07   >>

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ショパン作曲:ワルツ 第15番 ホ長調 遺作 by Tomoro




Chopin : Waltz No.15 in E Op.posth /Tomoro

● 作曲年:1829年
● 出版年:1861年
● 献呈者:なし


 【ジャンル解説】
ワルツ(円舞曲)は、西オーストリア、南ドイツ(ハプスブルク帝国)を起源とする、比較的淡々としたリズムの3拍子の舞曲です。
ヨーゼフ・ランナー(Josef Lanner 1801−1843)はオーストリアの作曲家兼ヴァイオリニストで、「ワルツの始祖」とも呼ばれています。
ヨハン・シュトラウス1世(Johann Strauß I(Vater) 1804−1849)はオーストリアのウィーンで活躍した作曲家、指揮者、ヴァイオリニストで、ウィンナ・ワルツの基礎を築いた事から「ワルツの父」とも呼ばれています。


 【作品解説】
ショパンが書いたワルツは、現在楽譜が確認されているものは全部で19曲あり、そのうち作曲者自らが作品番号を付して公式に出版したのは8曲だけです。遺作となった残りの11曲のうち、半数以上の7曲が初期の作品に含まれ、《ワルツ 第1番 変ホ長調 作品18「華麗なる大円舞曲」》が出版される1833年以前に書かれています。

《ワルツ 第15番 ホ長調 遺作》は、その中でも最初期のワルツと考えられており、新しく編纂され直したナショナル・エディション(エキエル版)におけるワルツの遺作集では、その第1曲目として扱われています。
ただし文献上では、ショパンはわずか8歳にしてすでにワルツその他を作曲していたとも伝えられており、その文献も信憑性の高いものなのですが、残念ながら曲自体は楽譜では確認されていません。
おそらく、ワルツなどの舞曲は、あくまでもダンスのための伴奏としてその場限りで即興的に演奏されていたからなのではないでしょうか。


ショパンが本格的にワルツを書き始めるのは、他のジャンルに比べると最も遅い部類に入り、それは彼がようやく20歳になった1829年からで、翌1830年にかけて立て続けに6曲も書いています。
なぜショパンは、急にその頃になって精力的にワルツを書き始めたのでしょうか?

その年ショパンは、ワルシャワ音楽院を卒業すると、8月に、4人の友人たちと共に初めてウィーンへ旅行に出かけます。
この旅行については《演奏会用大ロンド「クラコヴィアク」 作品14》の項で詳しく触れましたが、ショパン個人の一番の目的は、楽譜出版者のハスリンガーに直接会い、飼い殺し状態にされている自作の楽譜についてのお伺いを立てる事でした。
ところが、その交渉の過程でショパンに演奏会の話が持ちかけられたため、急遽彼は公開の場でピアノを弾く事になるのですが、奇しくもこれが大成功を収めます。
それによってショパンは、当初の目的以上の成果を得てウィーンを後にし、次はプロの音楽家としてまたここに戻って来たいと思うようになります。
おそらくショパンは、この旅行中に触れたウィンナ・ワルツが、そのままウィーンでの良き思い出とオーバーラップしていたのではないでしょうか。
さらに、彼は本格的にプロの音楽家として身を立てるため、今度は移住目的で再びウィーンへ渡るつもりでいました。そうなれば、当然かの地の社交界で上流社会の人々と交際する事になりますから、それを前提に、予めワルツを書きためておく必要があると考えていたはずです。
実際、ワルシャワ時代のショパンの遺作にポロネーズやマズルカが圧倒的に多いのも、彼がポーランドの上流社会と交際する中で、常にそれらが求められていたからなのですから(※詳しくは《ポロネーズ 第11番 ト短調》の項で)。
ですから、そんな彼自身のウィーンへの思いやあこがれが、この年ショパンが急にワルツを書き始めた事の理由だと考えて間違いないでしょう。


さて、その後そんなショパンの希望が叶い、彼は翌1830年にウィーンへ渡ります。
ところが、たった1年で状況はガラリと変わってしまっており、ショパンは前年に受けたような好意的な後押しをなかなか得られませんでした。
そんな失意の日々の中で、ショパンがワルシャワの家族や恩師エルスネルに送った手紙には、以下のような記述が散見されるようになります。

「…ウィーンの人々は、ディナーの時にシュトラウスやランナーのワルツを踊り、そして1曲終わるごとに盛大にブラヴォーを贈るのです。…まったく、ウィーンの聴衆の趣味が堕落している事の証しです。…」
(※『1830年12月22日付の家族宛の手紙』より→全文はこちら

「…ここではワルツを「作品」と考えていて、それを演奏するシュトラウスやランナーを楽長と読んでいるのです!…」
(※『1831年1月29日付のユゼフ・エルスネル宛の手紙』より→全文はこちら

「…僕はワルツをうまく踊れません。そう言えば十分でしょう。僕のピアノからは、マズルカしか聞こえてきません。…」
(※『1831年7月16日付の家族宛の手紙』より→全文はこちら


こう言った記述によって、ショパンがワルツそのものを評価していなかったのではないか?などと言う意見もあるのですが、私は、それは根本的に解釈が間違っていると考えています。

エルスネル宛の手紙にあるように、当時のショパンは、それがワルツであれマズルカであれポロネーズであれ、そう言った舞曲を「作品」とは考えていなかったからです。
つまり、それらはあくまでもダンスのための伴奏をつとめる目的で書かれ、そのために日常生活の中で消費されていく「実用音楽」であり、普遍的な意味での「芸術作品」だとは見なしていなかったと言う事です。

その証拠に、ショパンが生前に出版しなかった舞曲は、何も初期ワルツの7曲だけではありません。
同様にマズルカも、《4つのマズルカ 作品6》を出版する以前に書いた約13曲中8曲が遺作となり、同様にポロネーズも、《2つのポロネーズ 作品26》を出版する以前に書いた全9曲が遺作となっています。
このうち、ポロネーズが1曲、マズルカが2曲だけ、リアルタイムで出版されてはいますが、いずれもワルシャワ限定でわずかな部数しか刷られておらず、また、作曲者自身による「作品番号」も付けられませんでした。
また、これと同じ時期に《エコセーズ》(スコットランド舞曲)、《コントルダンス》(イギリス舞曲)等の舞曲も書かれていますが、やはりいずれも生前には出版されていません。
つまりこれら大量の初期舞曲はどれも、ショパンが曲そのものの出来を不満としていたから出版されなかったのではなく、そもそも最初からそれらを「作品」とは考えていなかったと言う事なのです。
それに、完璧主義なショパンの事ですから、もしも作品の出来に不満を持っていたのであれば、彼はこれらを誰にも聴かせなかったずです。ところがこれらの作品は、その多くがプライベート目的で個人献呈されているものばかりなのです。

その後、こう言ったジャンルの曲が、純粋に「芸術作品」としても鑑賞に堪えるものになり得ると、ショパンがそう考えるようになるまで、それ相応の時間が必要だった訳です。そしてそれはそのまま、ショパンの才能の「本格的な開花」と時を同じくするものでした。

結果、パリ時代に入ってショパンが到達した《ワルツ 第1番 変ホ長調 作品18「華麗なる大円舞曲」》と言う「作品」は、現在でも尚、世界中の人々に聴き継がれ、弾き継がれる、そんな普遍的な芸術性を獲得しています。
これは、ショパンにとってのウィンナ・ワルツが、彼がウィーン時代に経験した冷遇を象徴するものだったのに対して、逆にショパンの「ワルツ作品」は、そんな「古巣への恩返し」として結実したものだったのではないでしょうか。


尚、エキエル版では、この《第15番》は中間部の後「ダ・カーポ」によって最初に戻るよう指示されており、本稿でもその戻り方を採用しております。
従来の版による戻り方も意外性があって良かったのですが、やはりオーソドックスに最初に戻る方がより自然な感じがしますし、作品自体のスケール感も増す感じがあります。

ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、
「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちら)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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