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zoom RSS ショパン:ポーランド民謡による大幻想曲 イ長調 作品13(2台ピアノ版)

<<   作成日時 : 2011/06/16 02:33   >>

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♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:ポーランド民謡による大幻想曲 イ長調 作品13(2台ピアノ版)
Chopin : Grande Fantaisie sur des Airs Polonais in A Op.13 (for two pianos)

序奏 by Tomoro


Introduction /Tomoro

第1部・アリア《もう月は沈みぬ》、第2部・カロル・クルピンスキのテーマ、第3部・クヤヴィアク by Tomoro


I. AIR"Już miesiąc zeszedł", II. THÈME de Charles Kurpiński, III. KUJAWIAK /Tomoro

● 作曲年:1828年
● 出版年:1834年(オーケストラ伴奏版)/2010年(2台ピアノ版)
● 献呈者:ヨハン・ペーター・ピクシス


 【ジャンル解説】
「幻想曲」(ファンタジー、ファンタジア)というジャンルはバロック時代以前からありますが、当時の幻想曲はフーガに近いものがありました。
一方のフーガがバロック期に形式的に確立すると、幻想曲はもっと自由で不定形なものとして発展します。
やがてロマン派の時代に、独立した性格的小品から大規模なものまで書かれるようになります。


 【作品解説】
ショパンの《ポーランド民謡による大幻想曲》は、オーケストラ伴奏付きのピアノ曲として書かれた大規模な作品で、ショパンにとって、オーケストラを伴った作品としては《「お手をどうぞ」による変奏曲》に続く2番目の作品です。

序奏は、ショパン作曲のオーケストラによる導入部から、ピアノによるノクターン風のカンタービレへのメドレー。
第1部のテーマは、18世紀後半に活躍した詩人フランチシェク・カルピンスキの牧歌『ラウラとフィロン』の「もう月は沈み、犬達も眠った」の詞による、作ポーランドでは非常に有名な曲者不明の歌曲。
第2部のテーマは、ショパンがワルシャワでプロ・デビュー・コンサートを行なった際に、そのオーケストラの指揮を務めたカロル・クルピンスキの作曲による《クラコヴィアク》。
第3部(フィナーレ)は、クヤーヴィ地方の民謡「トルンのヤショが行く」と言うクヤヴィアク。

本稿では今回、この曲をナショナル・エディションによる2台ピアノ版でお送りいたします。
尚、従来のピアノ・パートを担当するファースト・ピアノをステレオ右寄りに、オーケストラ・パートを担当するセカンド・ピアノをステレオ左寄りに配置してあります。


〜前回(同曲のピアノ独奏版)からの続き〜

と言うのも、ショパンの弾くピアノの音が弱くて、演奏が全く聴こえなかったと言う人もいたくらいだったからなのです。
生来病弱で、ピアノを弾く以外に運動らしい事を全くして来なかったショパンは、大きなホールの隅々にまで音を響かせるだけの力強さに欠けていたのです。
この事は、ショパンが演奏会嫌いになった最も大きな理由の一つとなります。

そんな訳だったので、オーケストラが控えめな協奏曲のアダージョでこそいい反応が得られたのですが、それ以外はいま一つで、演奏会の締めくくりに弾いた《ポーランド民謡による大幻想曲》が終わってショパンが舞台から降りると、それと同時に拍手喝采も鳴り止み、アンコールも起きなかったのです。

それでも、追加公演を望む声が多く寄せられ、ショパンは5日後に2回目の演奏会を行なう事になります。
ショパンの《協奏曲 ヘ短調》以外は、全ての共演者とプログラムが入れ替えられ、前回あまり評判が良くなかったと感じた《ポーランド民謡による大幻想曲》もやめ、《演奏会用大ロンド「クラコヴィアク」》に代えました。
使用するピアノも、1回目で使った彼自身のピアノではなく、大きな音が出るからと言う事で、ディアコフと言うロシア人の将軍が親切で貸してくれたウィーン製のピアノにしました。
参考までに、その日のプログラムは、以下の通りです。
 第1部
1.ノヴァコフスキ:《交響曲》
2.ショパン:《ピアノ協奏曲 ヘ短調》よりアレグロ
3.デ・ベリオ:《アール・ヴァリエ》 演奏・ビエラフスキ
4.ショパン:《ピアノ協奏曲 ヘ短調》よりアダージョ、ロンド
 第2部
5.ショパン:《演奏会用大ロンド「クラコヴィアク」》
6.ソリヴァ:《ヘレナとマルヴィナ》よりアリア 歌・マイヤー夫人
7.ショパンによる即興演奏


前回の教訓を活かした甲斐あって、聴衆の反応は申し分のないものでした。
特に、《演奏会用大ロンド「クラコヴィアク」》では、ショパンは4度も舞台に呼び戻されるほどの拍手喝采を浴びました。
今回は客席にいたクルピンスキは、このウィーン製のピアノで《ポーランド民謡による大幻想曲》を弾けばよかったのにと残念がりました(彼は自分の主題を取り入れてもらっているだけに、その曲に対する思い入れが強かったのでしょう)。
ところがショパン自身は、前回使った自分のピアノの方が良かったと感じていたようで、その辺でも、演奏会で聴衆が求めるものと、彼自身が音楽に求めているものとの乖離を、この時すでに感じ始めていたのでした。

この大成功を受けて、当然3回目の演奏会を求める声が相次ぎますが、それとは裏腹に、ショパンは自らが主催しなければならない演奏会を拷問とすら思い始めており、何よりも、現在制作中の《協奏曲 ホ短調》を完成させる事を優先して、演奏会の予定は先送りします。

結局、その3回目の演奏会が、ショパンにとって祖国で最後となる告別演奏会となります。
ショパンはそこで、クルピンスキの望み通りに、ウィーン製のピアノで《ポーランド民謡による大幻想曲》を演奏会の締めくくりに弾きます。
結果は大成功で、この時は、ショパンは4度も舞台に呼び戻されるほどの拍手喝采を浴びました。
そしてショパン自身も、この時はすべてがうまくいったと満足していました。

そしてショパンはウィーンへと旅立ちますが、歓待された一年前とは違い、予想に反してなかなか成果が上げられず、彼は失意のままパリへ移住する事にします。
その途中で立ち寄ったミュンヘンで演奏会を開く事になり、ショパンはそこで、ワルシャワでの告別演奏会と同じ演目を披露しました。
その時の事を報じたミュンヘンの『娯楽時報』(1831年8月30日付)では、《ポーランド民謡による大幻想曲》について、次のように書いています。
「彼は演奏会の最後にポーランドの歌をもとにした幻想曲を演奏した。スラブ民謡には聴く者に感動を与えずにはおかない何かがある。ショパンの幻想曲は会場中のかっさいを浴びた。」(※ウィリアム・アトウッド著/横溝亮一訳『ピアニスト・ショパン〈下巻〉』より)

しかしながらこの批評では、一方の《協奏曲 ホ短調》の方は、「際だって独創的でもなく、また深みが感じられたわけでもない」(※同上より)と、あまり評価されていませんでした。
なので、結局のところ褒められたのはスラブ民謡で、ショパンの作曲家としての評価は、ここではいま一つだったようです。
そのせいかどうかは分かりませんが、ショパンが公開演奏会で《ポーランド民謡による大幻想曲》を弾くのは、記録の上ではこれが最後となっています。


ちなみに私は、謎とされているショパンの生年月日に関しては、
「1809年3月1日」説を採っております(※その根拠はこちら)。
なので、本稿ではそれに則ってショパンの年齢を数えています。


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