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zoom RSS ショパン:ピアノ・ソナタ 第1番 ハ短調 作品4

<<   作成日時 : 2011/03/01 08:43   >>

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♪今日の試聴BGM♪

ショパン作曲:ピアノ・ソナタ 第1番 ハ短調 作品4
Chopin : Piano sonata No.1 in C minor Op.4

第1楽章 アレグロ・マエストーソ by Tomoro




I. Allegro maestoso /Tomoro

第2楽章 メヌエット、アレグレット by Tomoro




II. Menuetto, Allegretto /Tomoro

第3楽章 ラルゲット by Tomoro




III. Larghetto /Tomoro

第4楽章 フィナーレ、プレスト by Tomoro




IV. Finale, Presto /Tomoro

● 作曲年:1827〜1828年
● 出版年:1851年
● 献呈者:ユゼフ・エルスネル



 【ジャンル解説】
ソナタは、バロック時代までは単に器楽曲を意味していましたが、古典派時代以降に音楽形式を伴って発展し、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらによって完成されました。
基本的に、3〜4つの複数楽章からなり、主に第一楽章にソナタ形式が用いられます。
ソナタ形式とは、提示部、展開部、再現部で構成され、提示部には基本的に2つの主題が提示されます。
また、規模の大きな作品では、序奏部や終結部を伴う事もあります。


 【作品解説】
ロマン派時代以降になるとソナタはあまり作曲されなくなりますが、そんな中にあってショパンは、生涯に渡って3つのピアノ・ソナタと1つのチェロ・ソナタを書いており、いずれも、彼の作風が転換期を迎える際に、まるでブックエンドの役割を果たすかのように着手されています。


ショパンの《ピアノ・ソナタ 第1番》は、ワルシャワ音楽院時代の習作と見なされる事が多いようですが、決してそんな事はありません。
なぜなら、ショパン自身はこの曲を出版するつもりで、作品番号4(※当初は3だったそうです)とエルスネルへの献呈を添え、ウィーンの楽譜出版者ハスリンガーに楽譜を送っていたからです。
ところがハスリンガーは、ショパンが当時まだ、世界的には無名だった事もあってこれをなかなか出版しようとせず、ずっと飼い殺し状態にしてしまいます。

それから11年後、ショパンの名声と人気が完全に確立した頃、彼がノアンのジョルジュ・サンドの別荘から書いた手紙には、
「父からの手紙で、僕の古いソナタがハスリンガーから出版されて、ドイツの評論家が褒めていると知らせてきた…」(1839年8月8日?付パリのフォンタナ宛の手紙)とあります。
しかし、そのような事実は現在確認されていません。

更にその2年後、同じくノアンから書かれた手紙には、
「ハスリンガーは愚かな奴だ。彼が今印刷したがっている、いや、もう印刷して出版したいと言ってきているのは、12年前ウィーンで彼にただでやったものだ。どうすればそんな奴が好きになれると思う? 返事は書かないよ。もし書くとしたら君にも読んでもらえるよう封をせず君に送るが、強気に出るつもりでいる…」(1841年9月12日付パリのフォンタナ宛の手紙)とあります。

そのまた更に4年後、今度はノアンから家族に宛てた手紙には、
「ウィーンのハスリンガーが、僕がエルスネルに献呈したソナタを出版しました。数年前にパリの僕のところに校正を送ってきたのですが、僕はそれを送り返さず、単に、直さなければならない箇所がたくさんあるからと返事してやったのです。それで彼はおそらく印刷するのを延期していたようですが、僕もその方が都合が良かったのです。おお、どれほど月日が過ぎ去った事か!…」(1845年8月1〜5日付ワルシャワの家族宛の手紙)とあります。
ところが、この時の出版についても現在事実確認されていません。


いずれにせよ、この両者の間に確執があった事が災いし、結局ショパンの生前には出版されずじまいになってしまったのです。
そのようないきさつがあったため、この曲につけた作品番号4は、ショパンの生前にはずっと欠番状態となっていた訳ですが、それは、ショパンの方にもいずれは出版する意志があったからこそ、その番号を剥奪しなかったのだとも言えるのではないでしょうか。


音楽院時代のショパンは、親友に宛てた手紙にこう書いています。

「僕は今、エルスネルのところへ厳格な対位法を学ぶために週6時間通っている」
(※『1826年11(10)月2日付ヤン・ビアウォブウォツキ宛の手紙』より→全文はこちら

このソナタは、全般に渡ってその対位法を意識して書かれており、まさに師への献呈に相応しいものだった事が分かります。


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コメント(5件)

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このソナタの出版にまつわるそれぞれの手紙自体の真贋は問題ないのですか?
nao
2013/06/22 19:27
nao様へ。
さすが、鋭いご質問です。
その点につきましては、追々私のHP『ショパンの手紙を検証する』の方で徹底検証するつもりでおりましたので、この時点での当ブログでは敢えて触れなかったのです(HPとブログと、時系列的に同時進行で作業をしていたものですから、パリ時代の手紙はまだ本格的に手をつけていなかったのです)。
差し当たって簡単に触れておきますと、一通目は怪しいと睨んでいるのですが、後の二通は本物です。二通目のフォンタナ宛は現物が現存しておりますし、三通目の家族宛(厳密にはルドヴィカ宛)はルドヴィカの娘が公表したコレクションの中に含まれていたものです(現物は第二次大戦中に紛失)。ただ、個人的に、二通目のフォンタナ宛は、あまり本物とは思いたくないような内容がちらほら…。
トモロー
2013/06/23 01:43
…となれば、第1ソナタは1845年までには出版されていたということになりますか。新刊の『ショパン その全作品』(青澤)にも「ウィーンでショパンの知らぬ間に非公式な形で勝手に出版され」たと書かれています。これからは「出版年:1851年(1845年?)」という具合になるのでしょうか。仮にも生前に出版されていたとなると、これまでの認識を変える必要があります。

このソナタが習作ではなく、ショパンが自身初の大作として世に問おうとしたものであることは、私も同じ認識でおります。シューマンの評論にあるように、当時ピアノ・ソナタの創作が衰退をきわめ、作曲されても他ジャンルの音楽に比べて時代錯誤なほど古典的な様式のものばかり(シューマン曰く“作品1ソナタ”)が書かれるという状況にあって、ショパンのこのソナタは相当大胆なものであると思います。
nao
2013/06/23 15:44
nao様へ。
確かにショパンの手紙自体は本物なので、その記述をそのまま信じてしまえばそのような事になりますね。しかしながら、ナショナル・エディション(エキエル版)の解説では、それらの手紙を引用してハスリンガーとのやり取りについて触れた上で、「最終的に、このソナタは、彼(※ショパン)によって使われなかった作品番号4を施し、作曲者の死後に出版された」としており、完全に遺作扱いして生前の公式出版譜とは分けて収録しています。要するに、ショパンの手紙にはそう書いてはあるものの、それを裏付ける出版物が現実に存在していないと言う事なんですね。
なので、私もそれに則ってこの記事を執筆しました。なにしろ私は、ただでさえショパンの手紙を鵜呑みにしない習慣がついているので(笑)…。
トモロー
2013/06/23 17:32
このソナタの最後の音、ナショナル・エディションで見たら「p」と指定されてますね(ドレミ社辞典の注解にあるように、自筆譜でそうなっているからですね)。
これは第1楽章の終わりが「fff」の主和音のあとに「p」のフレーズが付加されて終わっているのに合わせた、ソナタ的有機性を考慮した結果としか考えられませんが、これは従えないですね。昔ポーランドが制作したショパン全集の録音で、マリア・ヴィウコミルスカというピアニストが弾いたこのソナタの最後の音がなんだか中途半端な響きだったのは、その指定に従ったゆえだったのかもしれません。
nao
2013/06/29 22:46

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